三度目の金曜日が始まったとき、暁月は自分が平凡な男子高校生だと諦観するのはやめた。
自分は何としても、この閉ざされた時間の檻から出てみせる。その決意が、今までで一番暁月を冷静な気持ちで動かした。
担任から高宮の紹介を受けた直後の休み時間、暁月は廊下を歩いていた彼をつかまえて言った。
「高宮先生。昼休みにカウンセリングを受けたいです」
暁月は人の心を見抜いて先回りできるほど、人の心の仕組みをよく知らない。
けれど殺人の始まりは、金曜日のカウンセリングが起点だと知っている。だから暁月は誰よりも早く、他の学生と高宮の間に割って入ることに決めた。
暁月の言葉を、高宮は穏やかに受け止めたようだった。「どうぞ、面談室でお待ちしています」と答えて、その場は離れた。
「よく来てくれました。成田さん、今日はどうされましたか?」
昼休み、高宮は慣れた様子で暁月を迎えた。実際、彼はこの面談室でもう何人ものカウンセリングをこなしたに違いなかった。
暁月は席につくと、淡々と言葉を放った。
「……先生、僕はこれから誰が殺されようと構わない」
高宮は少し首を傾けて、先を促すように黙って暁月を見返す。
「誰の心にどんな澱があろうと、黙って通り過ぎる覚悟はできています。……ただし」
「ただし?」
高宮は手助けをするようにそっと問い返す。
「自分の心の澱だけは見つけ出して、この時間を出て行きたい。そのためには、先生に共犯になってもらわないといけないんです」
高宮は暁月の瞳の奥をじっと見つめた。そこには暁月自身もまだ見えていない、自分の心の澱がひそんでいるのかもしれなかった。
沈黙はそれほど長くなかった。高宮は優しく微笑んで言う。
「……いいでしょう。私はあなたの共犯になります」
カウンセラーは患者と信頼関係を築いても、依存してはいけないと聞いたことがある。暁月は、高宮との関係にもそれが当てはまると思った。
ふいに高宮は、目の動きだけで面談室の外を示した。暁月はその意図に気づいて、静かに椅子から立ち上がる。
「あ……!」
暁月が音を立てないように面談室の扉を開くと、そこで驚いた顔の流々が立っていた。面談室の壁は薄い。いつか暁月がそうしたように、中の声を聞こうとしたに違いなかった。
うろたえた様子で目を逸らす流々を見下ろして、暁月はふと気づいたことがあった。
流々は大人しく、いい子で、そしてわずかだが暁月に興味を示していた。
ささやかすぎて笑ってしまうような、そんな淡い気持ち。
「成田くん……?」
その好意を初めて意識したとき、暁月はとっさにそれを受け取れないと思った。
暁月はにこっと笑うと、不思議そうな流々の前で高宮に近づく。
それで暁月は育ちの悪い猫のように……高宮の唇に口づけた。
「え」
びっくりして立ちすくんだ流々の前で、暁月は高宮の唇をぺろっとなめて体を離す。
「……ごめんね。僕ら、こういう関係だからさ」
流々は赤くなって後ずさる。追い打ちをかけるように暁月が一歩歩み寄ると、流々は耐えられなくなったのか走って逃げだした。
暁月が小さく息をつくと、隣に並んで高宮が笑う。
「知りませんでしたよ。共犯というのは、こういうことでしたか?」
「仕方ないですよ」
暁月は苦笑を返して、独り言のように付け加える。
「どうせ彼女、本当はずっと夾助くんの方が好きだから」
これも一つの失恋かな。自分から振っておいて情けない話だけれど、夾助と張り合う勇気もないのだから仕方ない。
暁月は流々が去った後の廊下をみつめながら、自分の中の野蛮な部分を一つ、自分の一部だと認めたのだった。
土曜日、暁月は一人で繁華街を歩いていて、ある光景に出くわした。
「る、流々……いいのかよ」
それはラブホテルの前で、夾助が戸惑いながら流々を制止しているところだった。
「俺は焦ってねぇし。流々の心の準備ができたらでいいんだ」
「……私は、いいよ?」
夾助の腕をおずおずと引いた流々は、彼を見上げて言葉を返した。
「ねえ、夾助くん。私、悩んでたときもあった。私たち学生だし、夾助くんは女の子に人気があるし……別れようと、思ったこともあるよ」
「……流々」
「でもね、私、そんなにいい子じゃないって気づいたの」
流々は今までの彼女なら信じられないほど艶っぽく笑って、夾助の腕を胸に押し付ける。
「いい子はきっと、夾助くんの方。ずっと私のこと大事にしてくれた。……だから私のところに落ちてきて? 一緒に悪い子になろう?」
そう言って、流々は夾助をラブホテルの方へと引き込む。
夾助はもう流々を制止したりしなかった。彼女への愛情か、欲情かに引きずられて、仄暗い夜の世界に足を踏み入れた。
暁月は暮れ始めた空を仰ぐ。曇天の予報は向こう一週間続いて、終わりにはきっと大雨が降る。
……けれど土曜日には結局、殺人は起きなかった。