「おお、待っていたぞ。我が姪・ベアトリクス!」
国王は玉座から立ち上がり、数段の階段を下りてわざわざ私の目の前に立った。
「伯父様……」
私は何と言っていいかわからず、黙り込む。支えているアルベルトの陰に、隠れてしまいそうになるのをなんとか耐える。
「弟……おまえの父親のことは、残念だった。ただ、エトヴィンは無事だ。あれは国外追放にすることとする」
「お兄様を……? 寛大な処置、感謝致します」
私は深く頭を下げる。
(だってアルベルトが言ってくれたもの。『貴女まで兄を嫌わねばならないということはありません』って)
そう、冷たいけれど、エトヴィンお兄様は私の唯一の肉親で、兄妹だから。
「また、みなに告げねばならない重大な知らせがある」
王の間はしんとした。国王は重々しく口を開く。
「私は次期国王をベアトリクスにすると決めた! ベアトリクスが我が弟の奸計を伝えてくれねば、こちらは奇襲に耐えられなかったかもしれぬ。そうすれば国は混迷を極めるところであった。ベアトリクスはこの国を救ってくれたともいえる」
「え……」
私が言葉を発するより先に、アメリアが叫んだ。
「どういうことお父様! 私、女王になれるからと思って、そのつもりで生きてきたのに……!」
「そのわりには、勉学をおろそかにしていたと、エルンストから聞いている。日頃の振る舞いを誰に聞いても、おまえに国王になる資格はない」
エルンストは両目を閉じて恭しく頭を下げた。
「エルンスト……この、裏切り者……! せっかく、せっかくこの私が目をかけてあげたのに!!」
「“この私”などというご令嬢は、もういないのですよ、アメリア様」
エルンストの冷たく綺麗な声が淡々と告げ、アメリアは怒りに全身を震わせる。言葉も出ない様子だ。
「いずれ、その時が来たら。この国を頼む、ベアトリクス」
アルベルトが私を見やる。まなざしは祝福のそれだった。
私は心を決めた。
私はいつも変わらない。アルベルトと一緒にいたいだけ!
「謹んでお断り致しますわ、伯父様」
私は凛と返した。
「私がほしいのはただひとりの愛だけです。政治には関わらず、好きに生きていきたいの」
国王が目を丸くする。その場にいた全員が絶句していた。
「……ベアトリクスは功労者だ」
悩ましそうに国王は言う。
「玉座に就いてほしいのはやまやまだが、その願いを無下にもできぬ……」
「クリストハルト様にはまだ、望みがありましょう」
エルンストがそう口にする。
「ベアトリクス様にこれ以上窮屈な思いをさせるのは、王も本意ではないのではありませんか?」
ふむ、と国王は頷き、続ける。
「ベアトリクス、望みはないか。私に与えられるものならば、なんでも与えよう」
王になるとはこういうことなのだろう、と私は思う。
八月一日──私は王宮の伯父様にご挨拶をしに伺った。伯父様は執務中だとかでろくに話も聞いてくれず、楽しんでくれ、なんて言葉もなかった。いまだって、「与える」なんて言葉で私に接する。いくら伯父様とはいえ。
そんな尊大な人間になってしまうなら、私には玉座なんていらない。
「では、誓約書を書いていただけないでしょうか。私とアルベルトに今後一切干渉しない、という誓約書を」
「なんと……。次期国王の座は」
「クリストハルト様にでも差し上げてください」
私は笑顔でそう口にする。私にまったく興味のなかったクリストハルト。だから私も、彼にはまったく興味がなかった。アメリアを溺愛して、ちやほやしていただけの青年。彼に国王が務まるのかは、知らないが。
(きっとエルンストあたりがうまくやるわ)
それより、と私は声を張り上げる。
「誓約書には、伯父様も、エルンストも、アメリアも。署名をしていただける?」
その場でエルンストが誓約書を作成し、国王とエルンストとアメリアがその紙に署名をした。アメリアの文字は、ひどく乱れていた。
「アルベルト。ずっと私と一緒にいてくれるかしら」
私は今更な問いをアルベルトに向ける。
「ベアトリクス様……」
驚きに満ちたアルベルトの目の奥には、たしかに私への愛情が見て取れる。もうずっと前から、気付いていたことだった。
「“様”なんていらないわ、アルベルト。私、あなたの主人ではないし、お客様でもない。私とあなたにはいま、名のついた関係は何もないわ。それでも」
アルベルトは突如膝を折り、私の手を取った。
「ずっとお護り致します。ベアトリクス、俺はずっと貴女とともに生きてゆきたい!」
「足の傷が、……!」
心配する私をものともせず、アルベルトは私を横抱きにして立ち上がる。
「不肖アルベルト、二度目の誘拐をさせていただきます!」
国王が目を細め、エルンストがゆったりと拍手をした。アメリアは茫然自失の体だった。
「それでは、ご機嫌よう!」
私は歌うように言った。アルベルトは私を抱えたまま、居並ぶ人々に背を向ける。
寛大だけれど尊大でもある国王。興味のひとかけらも向けてはくれなかったエルンスト。ここにはいないけれど、アメリアしか眼中になかったクリストハルト。そして、私を敵視していたアメリア。
私は去るのを待たれる客人で、みな私に冷たかった。けれど私はここでアルベルトに出会えた。アルベルトだけはしっかりと私を見てくれて、私を思いやってくれて……。そしていま、私たちは結ばれた。
アルベルトが階段を下りてゆく。私を抱いて。私は振り返り、背後の人々にとびきりの笑顔を向けた。ここから先はゲームとは無関係の、私・ベアトリクスだけの人生だ。ベアトリクスと、アルベルトだけの人生だ。
私は高らかに宣言する。
「ベアトリクスはこの世界のどこかで、アルベルトとふたり幸せに暮らします!」