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第3話 ジャガイモ経済、始まるってよ

 朝靄に包まれた森は、まるで深呼吸をするかのようにゆっくりと目を覚ます。ログハウスの窓ガラスにも、淡い雫がいくつも連なり、朝陽を小さな虹に変えていた。俺、茶川龍介は、ふと目を開けると、隣のテーブルに広がったノートの束と、そこからはみ出すように置かれた羽根ペンを見つめた。


「……うん、そろそろ限界かもしれないな」


 最初は「スローライフ」と呼べるペースだったはずの畑作業が、いつの間にか毎日一畑ペースにエスカレート。俺のチート能力“書けばそのまま現実化”のせいで、執筆で種を植えれば即日成長、収穫すれば山のような収量。収穫作業の労力もそうだが、二人で食い切れる量など遥かに超え、文字通り“ジャガイモに埋もれる”日々になっていたのだ。


 庭先に目を移せば、果てしなく広がる緑の大地。密集しすぎて互いの葉が触れ合い、微かな葉擦れ音を立てている。畑はもはや小さな農園ではなく、広大なファンタジー大平原そのものだ。このままでは、本当にジャガイモの山にログハウスが埋もれてしまうだろう。


「どうすんだよこれ……まさか、ジャガイモに潰される日が来るとは思わなかったぜ……」


 誰に言うでもなく呟くと、そのままペンを掴み、ノートをめくった。今日の執筆テーマは、もちろん“ジャガイモ経済”の始動だ。この状況を打開する唯一の方法は、俺のチート能力しかない。


《ある日、森の奥深くに佇むログハウスを訪れた一人の商人。彼は試食用に差し出された瑞々しい野菜を一口かじると、その美味さに思わず目を見開いた。『これは、これほどの野菜は見たことがない!』と感嘆し、声震わせながら交渉を持ちかけてきた。以後、毎週、馬車を連ねて代行販売に訪れるようになる》


 書き終えた瞬間、軽い目眩を感じながら、俺はゆっくりと息を吐いた。身体から魔力が抜け出たかのような疲労感だ。だが、それ以上の達成感が胸を満たす。


「よし。これで野菜も経済も、一気に回るはずだ!」


 まるで自動販売機のスイッチを入れたかのように、世界は動き出す。


 その刹那、ログハウスの重い木製ドアが、ノックも待たずに開いた。猫耳をぴくぴくさせながら顔を出したのは、もちろんルナだ。真っ白な銀髪に朝露がキラリと光り、金色の瞳は好奇心でいっぱいだった。


「うん、今日もかわいい」


「リュウ、お客さんが来たばい!」


「おっ、予定通りか。やっぱ俺のチート、即効性がハンパねぇな」


「てかさっき書いたばっかなんやろ? 本気でヤバい能力ばい……ちょっと怖かレベル」


 ルナは小首を傾げながら、半分呆れたように笑う。その声を背に、俺は外へと足を踏み出した。


 馬車の前には、真面目そうな口ひげ商人と、その助手らしき若い青年が立っている。商人の服は質の良い布地で仕立てられ、革の鞄には金属の留め具が鈍く光っていた。助手の青年は眼鏡越しに俺たちをきょろきょろと見回し、冒険者の面持ちをしている。


「お初にお目にかかります。私商人をやらせて貰っていますロブ・ロイと申します。こちらは助手のベルモットです。何やら美味しそうな香りに導かれてやってきた次第です」


 ロブ・ロイが深々と頭を下げる。その視線は、俺の足元にあるジャガイモの山に向けられていた。


「待ってました、リュウです。では、早速試食を……」


 俺は収穫したばかりのジャガイモやトマト、キャベツを丁寧に切り分け、湯気の立ち上るジャガイモにバターを絡めて、そっとロブ・ロイに差し出した。熱気を帯びたジャガイモから、甘く香ばしい匂いが立ち上がる。ロブ・ロイは一呼吸置いてから、期待に満ちた目で大きくかぶりついた。


「ふむ……これは……! これは何だ、この瑞々しさは!? このホクホクがたまりませんな。これは本当にジャガイモですか?」


 ロブ・ロイの金色の瞳がギラリと光り、口ひげが震えた。まるで宝石を見つけたかのような表情だ。その興奮が、彼の体全体から伝わってくる。


「どれを食べても今までに感じたことない甘さ、こんな質の良い野菜は生涯で初めてです! ぜひ私に、販売をお任せください!」


 ロブ・ロイの言葉に偽りはなさそうだ。この瞬間のために、俺はジャガイモを書きまくったのだ。


「いいですよ。即決で」


「いいんですか!?」


 ロウ・ロイが驚きに目を見開く。まさかこんなに簡単に商談がまとまるとは思っていなかったのだろう。


「ええ。むしろ早く持ってってくれないと、野菜で家が埋まるので(笑)」


 俺の言葉に、ルナもクスクスと笑い声を漏らす。ロブ・ロイは助手ベルモットと共に、俺とルナが次々に持ってくる野菜を、馬車に無理矢理詰め込み、大満足で大きく手を振って王都へと走り去って行った。馬車の車輪が軋む音は次第に小さくなり、やがて森の小道は再び静寂へと還っていった。


 その背中を、俺とルナは並んで見送った。ルナは満足げに胸を張り、俺は腕を組んで微笑む。肩の荷が降りたような、清々しい気分だった。


「やっぱりリュウの野菜、すごかばい。育てとらんけど誇らしかね」


「自信作だからな(文章的な意味で)」


 ルナはくすりと笑い、提案する。その金色の瞳が、何か面白いことを思いついたようにキラキラと輝いた。


「うちも、今度執筆に協力してみたいばい。例えば……『猫獣人が畑で働く姿に癒やされて、通りすがりの勇者が恋に落ちた』とか、どう?」


「それ、絶対モテるやつじゃん。(俺はもう落ちかけてるんだけど)」


「ふふっ、冗談たい」


 互いに軽口を交わしながら、俺はふと思い出した。王都から来た商人の話で、ふと耳にした不穏な噂だ。


「そういえば……王都では“魔王過激派”が小規模テロを起こしてるとかなんとか……」


 ルナの猫耳がぴくんと立った。その顔に、一瞬だけ緊張の色が走る。


「また物騒な話が出てきたねぇ……でも、リュウ、なんか楽しそうな顔しとーばい?」


 ルナに指摘された、思わず口元が緩む。そう、これは新たなネタだ。


「……新しい異世界事件ネタ、きたな……!」


 胸の奥で、作家魂と異世界マニアが静かに、しかし確実に燃え上がっていくのを感じた。


 それは、いつもの朝のルーチンだった。ログハウスの外に出て、綺麗な水が出るようにチートで設置した蛇口で顔を洗う。そして畑の様子を確認しようとしたその瞬間のことだった。


 庭先の小径に設置した郵便ポストが、いつもより激しく主張していた。近づくと、口枠に見慣れない豪華な封筒が突き刺さるように挟まれている。金の縁取りが施され、どこか甘やかな香りが漂ってくる。


「……おいおい、金の縁取りに香水の匂い付きって、絶対ろくでもない手紙だぞ」


 封筒をくるりと回しながら、俺は眉間にしわを寄せる。こんな手紙がこの森の奥に届くなんて、一体何事だ。だが、好奇心に鍵を開けられてしまったのは避けられない運命。もしかしたらチート能力のせいで、何者かに狙われているのかもしれない。上質な野菜を途切れることなく出荷しているせいかもしれない。考えるほどに、胸の高鳴りが収まらない・


 誘われるように封を切ると、中から滑らかなクリーム色のカードが滑り出た。指先に伝わる上質な紙の手触りと、ほのかに漂うローズの香りが、それがいかに高価なものであるかを物語っていた。


『王国文芸祭へのご招待。あなたの“筆の才”を、ぜひ王都で披露ください。日程:白銀祭月の中旬。場所:王都大講堂』


「文芸祭……?」


 普段は魔獣やゴブリン、魔王だのドラゴンだのが話題のこの異世界で、“文芸”なるイベントがあるとは思いもしなかった。しかも招待状!? いったい誰が、何のために、俺を? チートバレか? 脳内で様々な可能性が駆け巡る。


 リビングで俺の真似をして原稿を練っていたルナのもとへ戻り、違和感だらけの招待状をひらひらと揺らしながら問いかけた。


「なあルナ、王都の文芸祭って知ってるか?」


 ルナは羽根ペンをカリカリと走らせる手を止め、首をかしげる。その文字は俺にはとても読めたものではない、まるでミミズが這ったような文字の羅列だった。


「知らんよ。うち、字読むより野山を走るほうが得意やし。文芸て硬そうやもん、苦手っちゃ」


「だよな……文芸とか言うと、ペン先がピシッと硬直しそうだもんな」


 思わず笑いが漏れる。ルナの照れた顔と、ばさりと揺れる猫耳が可愛らしくて、つい見惚れてしまった。そんな彼女の無邪気な反応が、俺の緊張を和らげる。


 怪しい招待状に目を戻すと、その下に続きがあった。


『王国文芸祭は、自国のみならず他国からも作家、魔法学者、吟遊詩人が集い、己の“言葉の魔力”を競い合う知識と技術の祭典です。優秀な作品は貴族家の後援を受け、一生安泰の生活が約束されます』


 世界中から文芸に精通した者が一堂に集まる……作家版の婚活市場、か。これは間違いなく面白い“ネタ“になる。俺の作家魂が疼き始めた。


「……面白そうだし、ネタにもなる。行ってみるか?」


「またそげな理由で……でも、リュウがそう言うなら、ついてくばい。そのかわり王都でうまかもんば食わせてもらうけんね」


 ルナの瞳に浮かんだ期待と好奇心を見て、俺の中の作家魂が再び熱く燃え上がっていくのを感じた。彼女と一緒なら、どんなことでも楽しめるだろう。


 ◆◆◆


 街道まで出ると、乗合馬車を見つけると颯爽と乗り込む。馬車は大平原を抜け、昼下がりの王都へと向かう。車窓からは城壁の威容と、遠方にそびえる

 白銀の大講堂が視界に飛び込んできた。少しずつ近づいてくる王都の景色に、胸が高鳴る。


 王都の正門をくぐり、馬車を降り街角に足をつけると、見たこともない華やかな景観が飛び込んできた。色とりどりの旗が風に翻り、通り沿いには出店が軒を連ねる。香辛料のスパイシーな香り、焼き栗の甘い匂い、人々の笑い声と談笑が、まるで音の花火のように街を彩っている。


「……うん、これが祭りってやつか」


 俺の呟きに、ルナはにっこりとほほ笑み、俺の袖を引っ張った。その瞳は、キラキラと輝いている。


「リュウ、この空気、なんかワクワクするばい!」


「そうだな。チート作家の見せ場はこれからだ」


 だが、その華やかな喧騒の裏で、どこか居心地の悪いざわめきが街中に広がっていた。祭りの熱気とは異なる、不穏な空気が肌を刺す。


「なんか……空気がおかしかね」


 ルナは猫耳をぴくりと動かし、掲示板に貼られた黒い紙切れを指差す。俺も近づいてみると、その表面には不気味な文字が並んでいた。まるで悪趣味な落書きのようだ。


『魔王は死んでいない。我ら魔王派は再び正義を取り戻す』

『王都に裁きの時が来る』


「うわ……中二病ってこっちの世界にもあるんだな……」


 思わず呟いてしまった俺に、ルナが真剣な顔で忠告する。


「そげなこと言いよったら、なんか起きるばい」


 ルナの真剣な声が背筋をひんやりとさせる。この怪文書は、どうやら文芸祭に合わせて大量にばらまかれたらしい。配布者の狙いは何なのか、興味が収まらない。むしろこっちが本当の文芸祭か? そこには事件が起きるのを期待している俺がいる。


「魔王過激派か……また厄介なことになりそうだ」


 そう呟く俺の頬に、自然と隠しきれない笑みが浮かんだ。こんな不穏な状況でさえ、俺にとっては最高の“ネタ”なのだ。


「……よし、トラブルも事件も陰謀も、ぜーんぶ執筆ネタだ!」


「はぁ……本当に、あんたって変な人たい」


 ルナは呆れながらも、その頬にうっすらと赤みを帯びさせている。呆れ顔の中にも、どこか楽しげな色が混じっていた。俺とルナが歩く王都の大通りは、文芸祭のメイン会場でもある大講堂へ続く石畳の道へと変わった。遠くからは、開会のホルンが静かに響き渡っている。その音色は、これから始まる物語の序曲のようだ。


「なんかドキドキしてきたな」


「興奮が止まらんばい」


 チート作家の新たな物語は、怪文書と過激派の陰謀を巡る、“言葉の魔力”を賭けた戦いへと続いていく。

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