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第2話 ゴブリン来たけど、ジャガイモ掘ってる方が平和だわ

 夜明けからしばらくたち、森の静寂の中に陽光が差し込んでいた頃、遠くの森の奥から、風に乗ってかすかな悲鳴が運ばれてきた。それはまるで、助けを乞うかのような切羽詰まった響きで、俺の耳元に直接語りかけるようだった。


「……いやいやいや、これ完全にイベント発生でしょ。まさに“ヒロイン助ける”パターンじゃんか。」


 考えるよりも早く、俺のラノベ脳がフル回転し、胸の内でアドレナリンがじわりと滲むのを感じた。だが、武器を取りに戻る必要はない。俺には“書けば現実になる”最強のチート能力があるのだから。


 自然と手が伸び、ペンを手に取り、ノートを開く。


《ログハウスの敷地周囲には、人間や魔物の侵入を阻む淡い光の結界が張り巡らされている。どんなに強靭な怪物でも、そのバリアに触れれば弾き飛ばされ、無害なものだけがすり抜けられる》


 書き終えると、地面に沿って淡い青い線がひらひらと現れ、ゆっくりと広がっていった。結界はやわらかく輝き、ちょうど城壁のように俺の家を守っている。


「さぁ来いよ、ラノベ的ピンチイベント!」


 森の奥で、草を踏みしめる音が一気に近づいてくる。ザッザッ、ガサガサガサッ!


 木々をかき分けて飛び出してきたのは、金色の瞳を持つ猫耳の少女だった。真っ白な髪は乱れ、小さな肩には泥がいくつも付いていた。血の跡がかすかに伸びたボロ布の服、そしてか細い足には引き裂かれた跡。息を切らしながらも、どこか気高い気配を漂わせている。


「猫耳きたぁぁぁ、ラノベ好きのみんな、猫耳だよ、もふもふが俺の目の前に来たんだよ。そして……めっちゃかわいい。」


 思わず心の声が漏れた。だが、その直後、少女の背後から、薄汚れた緑の肌にヨダレを垂らすゴブリンが五体、がっと飛び出してきた。


「ギャーッ!」


「うわっ、こいつらが本物のゴブリンか……想像以上に汚ねえな……」


 しかし、結界のラインに足を踏み入れた途端、ゴブリンたちは勢いよくバリアに弾き返され、宙を舞う。まるでトランポリンで遊ぶ子供のように、何度も跳ね飛ばされている。


「にゃ……? なんこれ、入ってこんと?」


 少女は目を丸くしながら、不思議そうに結界を指差した。ゴブリンは慌てて結界に向かって突進を繰り返すが、いずれも無駄骨。轟音とともに背中から落下し、呻き声をあげながら森の中へ逃げ帰っていった。


「ふふ、俺のチート、ナメんなよ」


 つい、得意げに呟いてしまう。そんな俺の前で、少女はホッと息をついた。


「……あ、あの、あんた……なん者ね? なんか、バリア張ったごたーばってん」


 金色の瞳がじっと俺を見つめる。俺も思わずドキリとしながら、咄嗟に笑顔を作った。


「俺? 通りすがりのジャガイモ農家さ」


「は……? なんそれ、変態なの? ジャガイモ農家がなんでバリア張れると?」


「変態じゃない! ただのチート持ちの農家だよ!」


 少女はしばらくぽかんとした顔で俺を見つめたあと、小さく鼻で笑った。


「ふーん……ジャガイモ農家のくせに、助かったばい。ありがとね。あたし、ルナ。猫獣人第」


「そうか、ルナか。俺は龍介、茶川龍介」


 名前を名乗った瞬間、猛烈な眠気が全身を襲ってきた。まるで重い雲に覆われたように、意識がふわりと遠のいていく。


 チートの代償、キター。まじかよ、このタイミングで来たか……!


 気づけば、ログハウスの大きなテーブルの上に山盛りの蒸したジャガイモが並び、その向こうにルナが座っていた。


「ん……ここは?」


 眠たげに目をこすりながら見回すと、ルナがにこりと微笑んだ。白銀の髪がゆらりと揺れ、猫耳がぴくりと動いている。


「おはよ、突然倒れたから家の中に運んどったばい。蒸したてジャガイモ、ご自由にどうぞ」


「いや、これ俺のジャガイモだろ?」


「男のくせに、そんな細かいこと気にすることなかと!」


 ルナの金色の瞳に見つめられると、俺の頬が火照る。まるで月明かりに照らされたようなその笑顔は、夜の森よりも静かに心を照らしていた。


 たぶん、ゴブリンそっちのけでジャガイモ掘ってる方がずっと平和だわ。


 そう思いながら、俺たちはログハウスの中で、ほくほくとしたジャガイモを二人並んで頬張り始めた。森のざわめきも、遠くで消えたゴブリンの足音も、今はすべて日常の一コマだ。平和で、そしてちょっとドキドキする、そんな、俺の異世界スローライフは、今日も続いていく。


 ログハウスの朝は、いつも静かな奇跡を運んでくる。だが、俺とルナの日常は、いつしか奇想天外な展開を織り交ぜながら紡がれていく。


 あれから数日。ルナとの共同生活は、あっという間に俺の日常に溶け込んでいった。


 ルナは15歳で獣王国出身らしい。ここに来た時はまるで獣のような荒々しさが垣間見えた。それが今では、まるで飼い猫のように、毎朝ソファの上で丸くなって眠っている。木漏れ日が窓辺からそっと差し込み、彼女の白銀の髪を淡く照らす光景は、正直、めちゃくちゃ可愛らしい。なによりもあのもふもふな猫耳を触りたい欲求を我慢するのが大変だ。


「おはよう……って、おいルナ、また俺の原稿の上で寝てたろ!顔にインクがついて、黒くなってるぞ」


 枕元に置いた原稿用紙には、昨夜書きかけの文章と一緒に、小さな爪の跡が残っていた。しかもペンが1本、根元からポキリと折れている。


「ん~……だってあんたの紙、柔らかくて好きっちゃもん。ふわふわしとーし……インクの匂いも落ち着く~」


 その甘ったるい博多弁に、胸を鷲掴みにされそうになる。


「そんな理由がある!? 今日のチート文章、まだ書いてなかったのに! お詫びに肩でも揉むか、ん?」


「……まぁまぁ、あとで芋を蒸してやるけん」


 ルナは満足げに伸びをし、猫のように背伸びして床に降りた。俺は内心、「そのツンデレ、反則だろ……」とため息交じりに頷く。


 そんなある日の昼下がり。仲良く並んでジャガイモの皮をむいていたとき、ルナが顔を曇らせた。


「ねぇリュウ……なんか最近、森の外が騒がしかね?」

「騒がしいって、具体的には?」

「聞いとるばい。街のほうで『魔王復活か!?』って噂が飛び交っとるらしいかばい」


 “魔王”その言葉を聞いた瞬間、俺の中のラノベ魂がバチバチと火花を散らした。まさか、この平和なスローライフに、そんな大事件が起きるのか!?


「いやいや、そんなご都合主義な話、あるかよ……」


「あるばい。この世界はなんでもありたい」


 ルナのクールな一言に、確信する。ここは異世界、ジャガイモが即日成長する世界だ。魔王が復活しても不思議はない。いや、むしろ、ないと困る、と俺のラノベ脳が囁く。


「よし……じゃあ、確かめに行くか」


 簡単な身支度をした二人はログハウスを出た。俺にとって初めてログハウスを離れての旅になる。キャンプをしながら数日かけて森を抜け街道を進んだ。時折行き交う馬車の中に乗り合い馬車があったので乗せてもらうことにした。

 木々のトンネルを抜けると、そこには緊張に包まれた王都ルミアステラの入口があった。城門をくぐると、街の空気は明らかに重く、人々の間に不安が漂っているのが肌で感じられた。


 酒場の壁には真っ赤な字で「魔王復活か!?」と書かれた貼り紙が踊り、民衆はざわめきながら手に手に新聞や布告書を掲げている。


「魔王軍が復活!?」「勇者が足りん!」「やばい、畑荒らされた!」「ジャガイモが盗まれた!!」


 最後の一行は、まさに俺のライバル宣言のようだった。おいおい、俺のジャガイモに手を出すなよ!


「俺のジャガイモだけは無事だろうな……」


 街の中を歩いているとますます魔王の噂が飛び交っていた。


「まさか本当に……?」俺の胸の奥で、期待と少しの興奮が入り混じる。


「魔王っちゅうもんは、本来ここを滅ぼすためにおるとやろ?」


 ルナの眉間にシワが寄る。だが俺は、恐怖よりも好奇心を抱きながら、そっとノートを取り出した。


 俺のチート能力、“書けば現実になる”。


 今度はどんな展開を描こうか? 長年積み上げたラノベ魂が、不適な笑みを浮かべた。そして自然とペン先を走らせる。この世界は、俺の掌の上にあるようなものだ。ならば、最高の物語を紡いでやる。


《魔王様は、心を入れ替え、王様に土下座して同盟を申し入れることにした。これにより、魔王軍は王国と手を組み、共に世界の平和を守るという新たな物語が始まる》


 書き終えた瞬間、街の雲行きが異変を起こした。遠くの空が黒く渦巻き、地鳴りのような轟音を伴って、真っ黒なドラゴンが降臨したのだ。その背に、漆黒のローブを纏った厳かな人物がどっしりと座っている。


「……これが、魔王なのか?」


 民衆が息を呑む中、城壁の上から一斉にバリスタの矢が放たれた。しかし、放たれた矢はドラゴンの翼すら傷つけることなく、地面へバラバラと落ちていく。魔王は静かに歩みを進め、王都の中心、玉座の前までやってきた。


「わ、わしが悪かった!! 土下座っ!!」


 バァン! 魔王、文字通りひれ伏す。


 王様も宙を見上げたまま固まっているが、その側近の宰相たちが口々に叫ぶ。


「受け入れましょう! 世界の平和のために!!」


 場は驚きと安堵の入り混じった和解ムードに包まれる。こうして、魔王ダルクスこと魔王様は、『王国と共に歩む』ことを宣言したのだった。


 その話は瞬く間に王都、王国へと広がった。


「……マジで、終わったな」


 俺は屋台街で買った何かの肉の串焼きを頬張っていた。想像以上に簡単に解決してしまって、少し拍子抜けする。


「リュウ、すごか……あんた、本当に世界変えてしもうたとよ」


 同じく何かわからない肉の串焼きを頬張ったルナの瞳には驚きと尊敬が交錯している。俺は肩をすくめながら笑った。


「いや、俺が変えたんじゃない。執筆が、物語が変えたんだよ」


「かっこつけすぎやろ……でも、嫌いじゃなかよ」

「俺のこと?」


 ルナは照れたように顔を赤らめ、そっと手を握ってくれた。


 世界は平和になった。しかしその影で、魔王軍から分裂した過激派が密かに台頭し始めているという噂もある。


 だが今はまだ、そんな先のことは気にしない。


 ログハウスの周りでは、今日もジャガイモが瑞々しく実り、庭には小さな花が咲き乱れている。たまにドラゴンが悠々と空を舞い、蒸し焼きにしたジャガイモの香りが風に乗ってどこかの村まで届く日もある。


 ルナは相変わらず、俺の原稿の上で丸くなり、俺は毎朝、ペンを握って物語を書く。


 魔王様が土下座する世界など、想像もしなかったけれど。

それでも、このチートだらけの異世界スローライフは、いままででいちばん楽しく、いちばん幸せだった。

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