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第06話 爛れた夜

「枕は柔らかいのでなければダメと言うとるじゃろうが!」


 オウトウは寝室にて、妻のスウィータを睨み付ける。


「この枕さん、かわいいやないですか。ほら、触ったらへこむでしょう」

「前のはどうした?」

「さいならしました」

「捨てたのか!? なんで勝手に……せめて新しいものを用意しておかんか!」

「やから、これを」

「これは硬い!」

「私のを使いますか。柔らかいですよ」

「わし専用でないと嫌じゃ!」

「面白い方ですね、あなたって」


 とうとうオウトウの怒りは沸点を超えた。もうよい、と怒鳴り、わざと大きな音を立てて部屋を出る。


「国王を支えるという自覚が持てておらん!」


 向かった先は側室ウィルダの部屋。自身とウィルダ両方の護衛に対し、今夜は用がないから入室しないようにと命じ、すぐベッドに横たわる。そこにはオウトウ好みの柔らかい枕がある。


「ん~~~~。わしゃもう疲れきったわえ」

「どうしたんですかい、国王陛下」


 ウィルダは優しくオウトウの頭を撫でる。


「王妃はダメじゃ。何もわかっとらん。ひどい女じゃ」

「ええ、ええ。陛下は頑張っとられますもんね」

「のぉ、飲み物がほちいの」

「はいはい、ありますよ。あなたの好きなのが」


 こういうことが度々あるので、ウィルダはサクランボを漬けた酒を常備している。グラスへ注ぐついでに、こっそりサクランボをヘタごと口に入れる。何やら口の中でもごもごしている。

 オウトウは寝っ転がったまま、ちびちび酒を飲み、


「おいち」


 甘えた声を出す。

 ウィルダは壮年男性を、まるで赤子をあやすように、


「よしよし、いい子ね」

「ばぶう」


 オウトウはすっかり赤ちゃんになってしまった。背中を丸めて、ウィルダにすりすり。上目使いで大きな胸を見つめる。授乳してほしいという合図だ。

 ウィルダはこれを心得ている。胸元をはだけ、


「はい、どうぞ」

「んむう」

「んふ……悪い赤ちゃんね。夕食はお残ししたのに。デザートばっかり」

「んー! んー! ママぁ」

「はい、はい。こっちのデザートもほしいんだね」


 お次はキス。

 舌と舌が絡まり合う時、実はウィルダの魔法が発動していることを王は知らない。自分の体が毒されていることも。


 ――愚かな。


 バルコニーの窓越しに嘆息するのは、魔法で透明化しているジンである。


     *     *


 両親が恥ずかしい戯れに興じているとは露知らないプラナス。彼は彼で浮わついていた。念入りに入浴と歯磨きを済ませた後、香水をつけ、鏡を見ている。


 ――ようやく、きみが手に入る。


 ジンに誘いをかけられ、天にも昇る想いだった。どうせなら、うんとお洒落して出掛けたいところだが、ジンから服装を指定されているため、我慢しなければならない。仕方なく、頬かむりする。

 部屋に護衛はいない。


「出てって。じゃないと、きみの家族を殺すよう」


 例によって、脅迫めいたわがままを吐き散らかし、追い出したのだ。

 プラナスは暖炉の中に入り込み、上から垂れ下がっている縄梯子をのぼり始めた。ジンが事前に用意したものだ。お城の煙突はさすがに長く、普段まったく運動をしないプラナスにはかなりの重労働だった。半分の距離にも達していないのに、手の皮が剥がれ、じくじく痛む。


「やっぱ引き返そうかな……」


 煙突を抜けても、まだゴールではない。そこから更に進まねば、待ち合わせ場所には行き着かない。


 ――ジンはいつもこんな苦労をしてるんだ。いつも……いつも……。


 実際には、ジンは魔法を使って透明化し、堂々と廊下を歩くなどしているのだが、それはプラナスの知るところではない。

 とにかく、これまでの人生で一度も逢い引きをしたことのないプラナスには、すべてジンに言われるがまま行動するより他にないわけだが、裏を返せば、ジンとシェリーズは慣れてしまうくらいこの手のことを経験していることになる。これがプラナスに火を着けた。


「絶対抱いてやる……!」


 縄を血で染めながら、勢いよくのぼる。根性なしのプラナスが根性を見せた。


     *     *


 その頃、ヴィスクムはもがいていた。手足は縄で縛られ、口には猿轡を噛まされ、完全に自由を奪われた状態。

 今、彼の身柄は押し入れの中にある。暗いが、狭くはなく、匂いもよい。鴨肉のソテーが蒸気を放っている。あまりにヴィスクムが肉をほしがるため、シェリーズのお情けで用意されたものだ。ジンはこれを当然のように、彼の足元に置いた。


 ――ジンのガキゃ、絶対ブッ殺してやる!


 ヴィスクムは怒りに燃えながら、体をよじる。こんなことをしても、どうせ無駄だろうとわかってはいるのだが、肉の魅力に抗えない。すると……意外にも、縄が解けた。


「カカカ! やったぜ、クソッタレ!」


 自由を取り戻したヴィスクムは、早速、肉にかじりついた。皿についたソースまで舐めとる。敵地で出された食事を口にするのは、殺し屋としては軽率かもしれない。だが、我慢の限界だった。それに、さすが王宮の料理、毒入りだとしても悔いはないほどの絶品であった。

 恐る恐る、押し入れから出たヴィスクム。

 ジンもシェリーズもいない。


「あいつら、また外で抱き合ってやがんのか? ……元気すぎるだろ……」


 鳥肌が立った。

 さて、ヤドリギの殺し屋を監禁していることは、ジンとシェリーズ二人だけで共有しており、護衛を含め、他の誰にも知らせていなかった。だから、客間に現れたヴィスクムを見て、シェリーズ担当班の護衛たちは驚いた。


「だ、誰だ、貴様……!」

「出合え! 曲者だ!」

「何者だ?」

「そもそも、どこから侵入した!?」


 ヴィスクムは舌打ちするや、窓から身を投げた。落下の最中、木の枝からサクランボの実を引きちぎり、ヘタごと口の中へ入れた。ここはサクランボ王国。サクランボはどこにでも自生している。

 そこから魔法を発動するまで、およそ一秒。頭頂部に残るたった一本の毛を自在に操り、木の幹に毛髪を巻き付け、落下速度を落とすと、ゆっくり着地した。これがヴィスクムの魔法【髪様の御褒美】だ。


「しかし、やりづらいのう」


 警備や護衛、門番などが至るところに詰めている。右へ行っても左へ行っても、誰かしらと遭遇し、その度に、


「怪しいやつ!」

「止まれ!」

「おい、こっちに変なのがいる!」


 などとうるさいやつらを、


「思い知れ、サクランボのゴミどもめ!」


 と、毛で殺さねばならない。


 ――とにもかくにも安全圏に移動せんといかん。シェリーズ暗殺計画は一からやり直しじゃ。


 そう思っていた。ところが、案外、簡単にシェリーズを見つけることができてしまう。

 闇雲に逃げていたヴィスクムの目に、護衛も付けず、こそこそ歩いている男の姿が映ったのだ。頬かむりしている上、なんだか服が薄汚れているものの、艶やかな金髪や高い背丈からして、


 ――間違いなくシェリーズじゃ!


 ヴィスクムは看破した。

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