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第09話 野望が生まれる

 ――ママ、どうしたんだろ?


 拷問部屋を出たプラナス。護衛に車椅子を押してもらいながら、母ウィルダの不可解な行動に思いを馳せる。


 ――みんなの前で、あんなキスするなんて。それに、これは何だろう?


 プラナスの口の中には、サクランボのヘタがあった。ウィルダが口の中で渡してくれたもの。舌で形を確かめれば、普通の形状ではなく、特別な形に結ばれてあるのがわかる。

 ところで――

 プラナスはキスの最中から体調が悪化していた。怪我の後遺症かと思ったが、違う気もする。吐き気や眩暈めまい、軽い頭痛など、今までにない症状だった。

 プラナスはまだ魔法のことを何も知らない。


「む」


 廊下の先に国王オウトウの姿。プラナスを視認した途端、露骨に嫌な表情をした。どうやら拷問に立ち会うつもりのようだ。

 プラナスは王に道を譲るため、廊下の端に寄った。

 両者がすれ違う、まさにその瞬間。

 間の悪いことに、プラナスは、


「ああ、あ……」


 出してしまった。小さい方ではない。新鮮な臭気が廊下一帯に広がり、人々の鼻を突き刺す。涙目で上体をよじっても、穴を引き締めることはできない。

 オウトウは舌打ちして、通り過ぎる。そして、本人に聞こえる程度の小声で、


「ダメになったのが、あいつでよかったわい」


 要するに、愛息シェリーズが無事でよかったという意味だ。

 プラナスは弟に嫉妬する。父に対する怒りも覚える。だが、根性はない。何も言い返せずに、うつむいている。

 自室に戻ってからは、ずっと布団の中でうじうじ。お漏らしは護衛が始末をしてくれたわけだが、


「俺らは介護士じゃないんですけどね」


 堂々と不満をぶつけてくる。もちろん、これは臣下が主君にとってよい態度ではない。

 だが、今のプラナスにどのような抗議ができようか。何をされても、心底申し訳なさそうに、


「ごめんなさい」


 泣くしかできないのだ。

 護衛たちの士気はすっかり低下している。


「人生、こんなはずじゃあな」

「どうするよ」

「何が?」

「今後だよ。転職でもするか?」

「別に……」

「宛もないしな」

「発想を転換しろよ。大して頑張らなくても、それなりの地位と名誉、報酬が保障されてるんだ、と」

「腐っても王室護衛団だもんな」

「ふむ」

「あっちよりはましじゃないか」

「側室担当班のことか」

「なんせ、あの側室、国王陛下を暗殺しようとしてたらしいからな」

「あの班のやつら、謹慎させられてるらしいぜ」

「恐ろしい」

「明日は我が身よ」


 彼らの不満を耳に挟みながら、プラナスはふと思い付き、口からサクランボのヘタを取り出してみた。


 ――変な形。


 ヘタはぐちゃぐちゃに絡められていた。輪になっているどころではない。縦に横に折り重なり、まるで蜘蛛の巣の如き形状をなしている。

 プラナスはしばらくそれを凝視していたが、やがて何を思ったか、皿の上へ山盛りにされたサクランボをひとつ取って、ヘタごと口の中に入れた。もごもご口を動かしている。口から取り出してみると、三重になっている。どうやら、ウィルダからもらったヘタを再現しようとしているようだ。


 ――そう言えば……


 ヘタを舌で操りながら、プラナスは母の言葉を思い出す。


「キスが上手いと、口の中でヘタを結べるんだよ。知ってたかい? あんたも練習しときな」


 時間もサクランボもたっぷりあるのだ。

 プラナスは黙って口を動かし続けた。


     *     *


 事件から幾日か経過した、ある日。

 心配する周囲の声を押し切り、オウトウは狩りに出掛けた。参加者はオウトウの他にシェリーズのみ。もちろん、それぞれの護衛は付いて来ている。

 周囲が不安げにしている中、ジンは至って平静である。

 城を出発する直前でさえ、シェリーズは何度もジンに、


「本当に安全なんだな?」

「ええ」

「ヤドリギ一族がまた仕掛けてくるのではないだろうか?」

「しばらくヤドリギ一族に動きはないでしょう。いや、動かぬのではなく、動けぬのです。一度に二人もの手練れを失ったわけですから」

「ふむ」


 ヤドリギ出身のジンだから説得力があった。

 シェリーズは今、安心して狩猟を楽しんでいるようである。と言っても、そこは平和主義者、いつものように鳥も獣も殺さず、むしろ逃がしてやるように矢で追いたてている。


「シェリーズ! お前というやつは!」


 オウトウが呆れる。


「陛下、私はどうしても無益な殺生をしたくないもので」

「弱肉強食は無益な殺生なぞではない。食わねば死ぬ。食えば生きる。至極当然の自然の摂理じゃろうが」

「はあ」

「もうよいわ。わしが一人で晩餐の食材を調達してくれる」


 腹立ちまぎれに矢を放ったオウトウ。見事、空飛ぶ鳥に命中……したものの、


「しまった」


 急所を外してしまった。

 鳥は即死せず、しばらくの間、ふらふらと空を漂っていたが、やがて遠くの方で墜落した。


「私が捕獲に参りましょう」


 息子の申し出に、


「う、うむ。すまんの……」


 決まりの悪そうなオウトウであった。

 騎乗するシェリーズの後ろからジンが付き従う。わずかでも機会があれば二人きりになりたがる。さすがに目合まぐわいなどするつもりはないが、喋らずとも、ただ一緒にいられるだけで幸せを感じていられた。

 ジンが鳥を見つけた。半端なところに矢が刺さっており、土の上で苦痛に悶えている。接近する人間に怯え、飛び立とうとするが、その力はない。

 シェリーズは馬から降りた。沈黙している。


「……王子? いかがなされた?」

「ジン、私はどうすればよいかな」

「どうと申されても……とどめを刺して持ち帰るより他にありますまい」

「うむ」

「まさか助けたいと?」

「無理だろうな。助かるまい。いっそ一思いに殺してあげた方がよいのだ。わかっているが、どうも難しい」

「優しすぎるのですよ、王子は」


 これに対し、シェリーズが何か言いかけて口を開いた時――

 大きなどよめきが起こった。

 オウトウがいる方からだ。遠目にも、護衛たちの慌てぶりがわかる。尋常ではない。


「ジン、乗れ!」


 シェリーズはジンを後ろに乗せて、馬を走らせる。

 瞬く間に駆け戻ったシェリーズは、


「何事だ!?」

「シェリーズ王子殿下……大変です」


 護衛の一人が答える。

 その顔は青ざめ、声は震えている。


「国王陛下が暗殺されました……!」

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