――ママ、どうしたんだろ?
拷問部屋を出たプラナス。護衛に車椅子を押してもらいながら、母ウィルダの不可解な行動に思いを馳せる。
――みんなの前で、あんなキスするなんて。それに、これは何だろう?
プラナスの口の中には、サクランボのヘタがあった。ウィルダが口の中で渡してくれたもの。舌で形を確かめれば、普通の形状ではなく、特別な形に結ばれてあるのがわかる。
ところで――
プラナスはキスの最中から体調が悪化していた。怪我の後遺症かと思ったが、違う気もする。吐き気や
プラナスはまだ魔法のことを何も知らない。
「む」
廊下の先に国王オウトウの姿。プラナスを視認した途端、露骨に嫌な表情をした。どうやら拷問に立ち会うつもりのようだ。
プラナスは王に道を譲るため、廊下の端に寄った。
両者がすれ違う、まさにその瞬間。
間の悪いことに、プラナスは、
「ああ、あ……」
出してしまった。小さい方ではない。新鮮な臭気が廊下一帯に広がり、人々の鼻を突き刺す。涙目で上体をよじっても、穴を引き締めることはできない。
オウトウは舌打ちして、通り過ぎる。そして、本人に聞こえる程度の小声で、
「ダメになったのが、あいつでよかったわい」
要するに、愛息シェリーズが無事でよかったという意味だ。
プラナスは弟に嫉妬する。父に対する怒りも覚える。だが、根性はない。何も言い返せずに、うつむいている。
自室に戻ってからは、ずっと布団の中でうじうじ。お漏らしは護衛が始末をしてくれたわけだが、
「俺らは介護士じゃないんですけどね」
堂々と不満をぶつけてくる。もちろん、これは臣下が主君にとってよい態度ではない。
だが、今のプラナスにどのような抗議ができようか。何をされても、心底申し訳なさそうに、
「ごめんなさい」
泣くしかできないのだ。
護衛たちの士気はすっかり低下している。
「人生、こんなはずじゃあな」
「どうするよ」
「何が?」
「今後だよ。転職でもするか?」
「別に……」
「宛もないしな」
「発想を転換しろよ。大して頑張らなくても、それなりの地位と名誉、報酬が保障されてるんだ、と」
「腐っても王室護衛団だもんな」
「ふむ」
「あっちよりはましじゃないか」
「側室担当班のことか」
「なんせ、あの側室、国王陛下を暗殺しようとしてたらしいからな」
「あの班のやつら、謹慎させられてるらしいぜ」
「恐ろしい」
「明日は我が身よ」
彼らの不満を耳に挟みながら、プラナスはふと思い付き、口からサクランボのヘタを取り出してみた。
――変な形。
ヘタはぐちゃぐちゃに絡められていた。輪になっているどころではない。縦に横に折り重なり、まるで蜘蛛の巣の如き形状をなしている。
プラナスはしばらくそれを凝視していたが、やがて何を思ったか、皿の上へ山盛りにされたサクランボをひとつ取って、ヘタごと口の中に入れた。もごもご口を動かしている。口から取り出してみると、三重になっている。どうやら、ウィルダからもらったヘタを再現しようとしているようだ。
――そう言えば……
ヘタを舌で操りながら、プラナスは母の言葉を思い出す。
「キスが上手いと、口の中でヘタを結べるんだよ。知ってたかい? あんたも練習しときな」
時間もサクランボもたっぷりあるのだ。
プラナスは黙って口を動かし続けた。
* *
事件から幾日か経過した、ある日。
心配する周囲の声を押し切り、オウトウは狩りに出掛けた。参加者はオウトウの他にシェリーズのみ。もちろん、それぞれの護衛は付いて来ている。
周囲が不安げにしている中、ジンは至って平静である。
城を出発する直前でさえ、シェリーズは何度もジンに、
「本当に安全なんだな?」
「ええ」
「ヤドリギ一族がまた仕掛けてくるのではないだろうか?」
「しばらくヤドリギ一族に動きはないでしょう。いや、動かぬのではなく、動けぬのです。一度に二人もの手練れを失ったわけですから」
「ふむ」
ヤドリギ出身のジンだから説得力があった。
シェリーズは今、安心して狩猟を楽しんでいるようである。と言っても、そこは平和主義者、いつものように鳥も獣も殺さず、むしろ逃がしてやるように矢で追いたてている。
「シェリーズ! お前というやつは!」
オウトウが呆れる。
「陛下、私はどうしても無益な殺生をしたくないもので」
「弱肉強食は無益な殺生なぞではない。食わねば死ぬ。食えば生きる。至極当然の自然の摂理じゃろうが」
「はあ」
「もうよいわ。わしが一人で晩餐の食材を調達してくれる」
腹立ちまぎれに矢を放ったオウトウ。見事、空飛ぶ鳥に命中……したものの、
「しまった」
急所を外してしまった。
鳥は即死せず、しばらくの間、ふらふらと空を漂っていたが、やがて遠くの方で墜落した。
「私が捕獲に参りましょう」
息子の申し出に、
「う、うむ。すまんの……」
決まりの悪そうなオウトウであった。
騎乗するシェリーズの後ろからジンが付き従う。わずかでも機会があれば二人きりになりたがる。さすがに
ジンが鳥を見つけた。半端なところに矢が刺さっており、土の上で苦痛に悶えている。接近する人間に怯え、飛び立とうとするが、その力はない。
シェリーズは馬から降りた。沈黙している。
「……王子? いかがなされた?」
「ジン、私はどうすればよいかな」
「どうと申されても……とどめを刺して持ち帰るより他にありますまい」
「うむ」
「まさか助けたいと?」
「無理だろうな。助かるまい。いっそ一思いに殺してあげた方がよいのだ。わかっているが、どうも難しい」
「優しすぎるのですよ、王子は」
これに対し、シェリーズが何か言いかけて口を開いた時――
大きなどよめきが起こった。
オウトウがいる方からだ。遠目にも、護衛たちの慌てぶりがわかる。尋常ではない。
「ジン、乗れ!」
シェリーズはジンを後ろに乗せて、馬を走らせる。
瞬く間に駆け戻ったシェリーズは、
「何事だ!?」
「シェリーズ王子殿下……大変です」
護衛の一人が答える。
その顔は青ざめ、声は震えている。
「国王陛下が暗殺されました……!」