――これはまずい。
ジンは魔法【かくれんぼ】を使い、透明になった状態で、王宮に忍び込んだ。偵察のためだが、あわよくば、
「プラナスめを暗殺してくれる」
つもりであった。
シェリーズからは、
「無益な殺生だ」
と言われるに決まっているので、暗殺の意志は伏せておいたが。
今日は即位の儀が行なわれる日。大勢の人でごった返し、通常とは異なる業務に忙殺され、警備に隙が生じることは必至。おまけに、ジンはここで王室護衛団の一員として働き暮らしていたのだ。いつ、どこの警備が手薄になるかもわかっている。まさに暗殺にうってつけの日なのだ。
「……む?」
本会場にて、ジンは誰よりも先に異変に気付いた。一人の覆面男が抜刀し、プラナスをめがけ走り出したのだ。殺し屋であることは明らかだ。
ジンは
――わざわざ俺が動くまでもなかったか。
ところが、まったく予想だにしなかったことが起こった。
突如、小さな少年が全身から木々を生やしながら巨大化。覆面の男を弾き飛ばしたのだ。どう見ても魔法である。
その上、ウィルダの存命が確認された。
――これはまずい。
他にもヤドリギがいるかもしれない。その場合、プラナスを百パーセントの確率で仕留める自信がジンにはなかった。
* *
空が曇り始めた。
城下町を出て、中心部を外れ、住宅地からも遠く離れたところに、田園風景が広がる。一応、区画上は王都であるものの、華やかさはまったくない。百姓の家は雨風を凌げるかどうか不安になるほどもろく、老朽化している。
そうしたボロ家に紛れ、一軒の教会がある。
「神様が住んでるとは思えない」
と近隣住民から笑われるほど、ボロい。よく言えば、貧民と苦楽を共にする、慈愛に満ちた神様なのだろうが、別に人気があるわけでもない。
その二階の、ヒビの入った窓ガラスが、ひとりでに動いた。
「ただ今、帰って参りました」
何もないところから声がした……かと思うと、ジンの姿が現れた。透明になる魔法を解除したのだ。
対し、張りのない低い声が、
「首尾はどうだったかな?」
「お恥ずかしながら、最悪の一語に尽きます」
うつむくジン。
すると、会話相手が失笑。みすぼらしい格好をした百姓……に扮したシェリーズである。床の上に寝転がったまま、
「それはよかった」
「王子、何がよいのですか」
「だって、暗殺に失敗したんだろう?」
ジンはぎくっとした。プラナスを暗殺するつもりだとは一言も漏らしていないのだ。
さすがシェリーズ、護衛の思惑を見抜いていたようだ。しかし、心優しい王子は、それを見抜いていながら止めはしなかった。無言のうちにジンを送り出したのだ。そこにシェリーズの複雑な想いを看て取ることができよう。
だが、ジンは王宮の悲惨な実態を目の当たりにしたばかりだ。王子に安心してほしくなどない。王宮がヤドリギ一族によって支配されていることを早口に語った。
「何、本当か!?」
シェリーズが上体を起こす。
――ようやく王子も危機感を抱いてくれたか。
ジンは満足したが、そうではなかった。
「二人とも無事だったのだな。本当によかった」
ウィルダとフェスターなる子供が存命だったことを喜んでいただけなのだ。
ジンは呆れてしまった。
へらへら笑いながら、シェリーズは床に寝転がる。今日のシェリーズはどこか投げやりだった。自暴自棄と言ってもいい。真面目に頑張るジンを茶化す素振りすらある。
「王子。しっかりなさい。せめてベッドの上で横になってください」
「もう王子ではない。何者でもない。無職の旅人だ」
「何を仰います。あなたの帰還を待ち望む人が大勢おります」
「ふ……王宮に舞い戻ったところで、誰が喜ぶ。……父上も母上も私を出迎えてくれはしない……」
ここに至って、ジンははっと気づいた。
いつもと違う様子のシェリーズは、ふざけているわけでもなければ、不貞腐れているわけでもない。義兄に殺されかけ、両親を喪失し、天涯孤独の悲しみの中にいるのだ。
だが……
彼は王家に生まれた。幼少時より王族の一員としての振る舞いを強要され、個人の感情をなるべく抑圧して生きてきた。それゆえ、誰にもありのままの姿を見せなかったし、抱えきれないほどの悲しみを、
――どう処理したらいいのか……。
わからないのだ。
そのことに思い至ると同時、ジンは心臓の辺りで優しい苦しみを感じた。
「王子……」
「王子ではないと言っただろう」
「無職の旅人殿」
ジンは椅子に座ったシェリーズの頭を、胸へ引き寄せ、抱き締めた。
「ジン……?」
「甘えてよいですよ」
「え?」
「ほら」
「いや……そう言われても……」
「あなたは頑張り屋です。なれど、頑張りすぎです。少し休んでください。ほら、俺の胸で」
戸惑うシェリーズだったが、耳元で囁きを受けながら頭を撫でられるのが心地よく、いつしかジンの背中に手を回し、深呼吸していた。
両者共、次第に体が火照る。
が、そこから裸の交わりに発展することはなく、それどころかキスすらしなかった。ここが教会だからという理由もあるが、そうでなくとも、ただくっついているだけで満足できた。
ジンの体に、赤黒い入れ墨がうっすら浮かび上がっていた。
* *
ジンとシェリーズは階下に下り、薄汚れた厨房に立つ。
平日の夕方。食事時。教会の中には誰もいない。
「さあ、王子。お手伝いしていただきますよ」
召し使いを雇う余裕などない貧乏教会である。食事を含め、あらゆる家事は自分達でこなさなければならない。特に、現状、シェリーズが自分を、
「王位継承順位筆頭王子だ」
などと名乗るわけにはいかない。ゆえに、ここ最近は身の回りのことを自分でやらねばならなかった。王族の一員としては屈辱的とも思える環境だが、そこは意外と、
「こういう暮らしも悪くない」
楽しめているようであった。
野菜や穀物は、どれも神父が自分で育てたか、近隣の百姓が布施してくれたものである。王宮の料理に慣れている二人も、やはり美味とは新鮮さに他ならないと感嘆する。
そうした食材を洗ったり切ったりしつつ、シェリーズは、
「ドクダミはどこへ行った?」
神父のことである。
「お出掛けのようですね。おそらく、畑仕事でしょう」
「さあて、どうかな」
「と、おっしゃいますと?」
「私達を見捨てたのかもしれない」
「王子、失礼ですぞ」
まさに失礼な会話をしている時だった。
「見捨てた方がよかったですかあ?」
まずいことに、本人に陰口を聞かれてしまった。
当教会の神父、ドクダミ・ハウトゥイニアが調理場の入り口に立っている。