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第15話 スローライフの王子様

 食後、作法に則り、自分の使った食器は自分で洗い、ジンとシェリーズは二階に上がって就寝しようとした。


「ジン、ちょっとこちらへ来なさい」


 ジンだけ呼び止められた。

 シェリーズがさっさと二階へ上がったところで、ドクダミはジンの肩に手を置き、


「この服はいけませんよお」


 王宮潜入にあたり、ジンは念のため護衛の制服を着用したのだが、教会に戻ってから着替えるのを失念していた。


「誰かに見られでもしたら……もちろん、仲間を売るような最低なやつは、村民の中にはいませんけどねえ」

「は。申し訳ございませぬ」

「いいですかあ、きみは王室護衛団の者ではないんですう。ね?」


 教会に逃げ込んだジンとシェリーズは、新しく配属された若い神父として生活を始めた。ゆえに、服装も神父のものでなければいけない。

 ドクダミは紙袋の中から黒衣を取り出し、


「新しいものを用意しておきましたからねえ」

「そんな、わざわざ……」

「既に渡したのは、わたくしのお古で、あなたの体には合わないサイズでしたからねえ。さ、すぐに着替えましょう」

「はあ。……え? ここで、ですか?」


 驚いたことに、ドクダミはジンの服を手ずから脱がしだした。


「子供ではありませぬゆえ……」


 一人で着替えられる、と顔を赤らめるジン。

 だが、ドクダミは聞く耳を持たず、するする脱がしつつ、


「ところで、しばらく出掛けてたようですけど、どこで何してたんですかねえ?」

「い、いや……ちょっと野暮用が……あの、本当にもうよいですから」

「務めを果たしなさい、務めを。神様に与えられた、自分にしかできない本当の務めを」

「は、はい……あ!」


 とうとう、これ以上はいけない、というところにまでドクダミの手が届いてしまった時、ジンは跳び跳ね、


「後は自分でできますから!」


 慌てて二階へ走った。


     *     *


 教会での暮らしは楽ではない。

 夜が明けきらないうちに起床し、朝の礼拝を行なう。一時間以上、神にひざまずいた後、自分達で作った朝食をいただく。贅沢は許されない。少しで満足することを覚える。食器を洗うと、次は洗濯と掃除。何事においても人を雇う余裕がないため、神父が自分の体を動かすことになる。

 また、同様の理由で、この地の神父は畑仕事にも精を出す。建前としては、


「農作業を通じて神と対話する」


 ためだが、ドクダミ曰く、


「こんなことで神に出会えれば苦労はしないですよねえ」


 虫を除いたり、雑草を引き抜いたり、作物を間引きしたり……シェリーズは無論、ジンにとっても人生で初めてのことばかり。近隣の百姓たちに教えを乞いながら、毎日、知識と経験を積んでいった。

 気のいい百姓たちは、急にやって来た若者二人を邪険にしない。王宮で培った社交術が役立った面もあるだろうが、二人がよく働くからでもある。


「どれ、私が運ぼう。力仕事は任せてくれ」


 シェリーズが老いた百姓から、収穫物を引き受ける。さりげない優しさが評判の秘訣。


「いい子達ですね」

「天使のようじゃ」

「これからはたっぷりお布施しようかの」

「そりゃいい」

「じじいの方はまだいなくならんのかな」

「もう古い神父は用済みじゃ」


 百姓からもひどい言われようのドクダミである。陰気な性格は田舎暮らしでも変わらなかったらしい。

 とは言え、ドクダミは決して、かわいそうな老人ではない。

 王室護衛団を退団してから数年。


「さすがのドクダミもすっかり老けこんでるんじゃないかな……」


 再会前のシェリーズはしきりに不安がったが、なんの、鍛え上げた体は衰えておらず、背筋はまっすぐなまま、重たい農機具を軽々と持ち上げるなど、矍鑠かくしゃくとしているのだった。

 ドクダミは、作業を頑張るジンに、そっと近づき、


「大丈夫ですかあ? お疲れのようですけどお」


 てっきり咎められているものと思い込んだジンは、慌てて、


「すぐに片付けます!」

「いえいえ、無理はしちゃいけませんよお」

「ドクダミ殿……」


 顔に似合わず優しいところのあるドクダミに、ジンは感激……したのだが、


「ほら、張り切りすぎて、お手々がこんなに汚れちゃってえ」


 手を撫でさすられて、ぞっとした。

 ちょうど、その時――


「おおい、ジン」


 偶然、シェリーズが呼び掛けた。

 これ幸いとジンは駆け出したが、その背中にドクダミがぼそっと呟いた。


「王子殿に慰めは必要ないですからねえ?」


 それは意味深長な物言いだった。

 ジンもシェリーズも二人の関係を打ち明けてはいない。だが、ドクダミは、赤子の時からシェリーズを世話し、またジンの上司として勤めていた男だ。察しているのかもしれない。あるいはジンが勘繰りすぎているだけかもしれないが。

 そうした不安がジンの表情に浮かんでいたのかもしれない。シェリーズは、駆けつけたジンに対し、


「どうした。もう疲れたのか? 情けないな」

「いや……俺は元気ですよ。……少なくとも、床の上で寝るほど疲れたことはありませぬ」

「こいつ、珍しく生意気なことを」

「今は同じ身分ですからね……無職の旅人という」

「私はもう無職ではないぞ。百姓になった」

「ふ。俺もです」

「では、競走しよう。この荷を背負って、どちらが速く倉庫まで辿り着けるか。買った方が親分だ」

「受けて立ちましょう」


 青空の下を元気よく走る二人の若者の姿。

 ドクダミが鋭い目付きで、これを見つめている。


     *     *


 平和な日々。

 しかし、いつまでも安住するわけにはいかない。


「いつなんどき、ヤドリギ一族の魔の手がここまで伸びてくるかわかりませぬから」


 ジンは決して警戒を緩めない。

 一方、シェリーズはすっかり気が緩んでいた。田舎暮らしが楽しいこともあろう。だが、それ以上に、


「生きる甲斐がないよ」


 このことである。

 シェリーズの立場で考えれば、地位も家族も帰る場所も奪われ、何の目的もない人生になってしまったのだ。

 ジンにとっては困ったことに、


「奪い返してやるという気概はないのですか!」

「ない」


 のである。

 シェリーズという人間は、良くも悪くも優しく、欲を持たない。それがこの場合、裏目に出た。

 だが、転機が訪れた。


「おう、邪魔するで!」


 ジンが王宮に潜入した数日後のこと。

 古びた教会に、珍しく来客があった。


「はいはい。どちら様でしょう?」

「タンポポ・タラクサカム・ダンデライオンや」


 態度や服装からして、明らかに只者ではない。おまけに従者がついているのだ。貴族である。


 ――シェリーズの伯父様ではないか。


 さすがにジンはこの男の顔と名を把握していた。

 そしてこの貴族ダンデライオン公こそが、シェリーズに朗報を持って来たのだ。

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