「どうしてここへ……!?」
伯父の来訪を受け、シェリーズは驚愕した。
「私がここにいることはお知らせしておりませんのに……」
「アホ。かわいい甥っ子の考えることくらい、お見通しやで」
ダンデライオンのウインクで、シェリーズは思わず笑顔になる。
整えられた顎髭に白い燕尾服。おしゃれで清潔感ある服装はもちろん、飄々とした態度が人に心を開かせる。
「王宮の外であんたが頼れる人いうたら、ドクダミさんくらいしかおらんやろ。どうや? 完璧な推理やろ」
まったくその通りであった。
当のドクダミ本人は今ここにいない。
「甥っ子を匿ってくれとるお礼しよう思ったけど、それは後回しやな。それにしても……」
シェリーズの顔を覗きこみ、
「元気ないのお?」
「はあ、まあ……」
「ドクダミさんにしごかれとるんか?」
「いえ、親切にしていただいております」
「あいつ、親切なやつやったかな?」
とぼけるダンデライオンの顔を見ていると、シェリーズは母スウィータを思い出さずにいられない。
ダンデライオンはスウィータの実兄である。
思わず涙ぐむシェリーズ。
「まだまだ子供やな。え? お袋さんが心配するで」
「しかし、母上は……」
「生きとるで」
絶句するシェリーズを放って、ダンデライオンは神像の前にひざまずき、祈る。
慌ててシェリーズが後を追い、口をぱくぱくさせ手を振り、言葉にならない言葉を捻り出そうとした結果、ようやく、
「嘘だ」
とだけ言えた。
「嘘やない」
「しかし……母上は矢に体を貫かれて……」
「あんたがやったらしいな」
「まさか! どうして私が愛する母上を手にかけられましょうか! もしかすると、そのような噂が広まっているのかもしれませんが、事実は……」
「はは。わかっとる、わかっとる。本当はプラナスがやったんやろ。わしも見たわ。あいつがきらきら光る弓矢を使うんをな」
これを聞いて、ダンデライオンの従者が青ざめた。彼らもまた、その恐ろしい光景を目にしていたのだ。
透明になって潜入していたジンも同じく見ていた。
ダンデライオンがスウィータの元へ案内されたのは、その後のことだった。
「王室護衛団のやつら、何の説明もなしに、わしを引っ張って行くんや。わしのことも処刑するつもりなんかなって、ちょっと覚悟が決まったな。ところが、連れてかれた部屋には、スウィータが寝かされてるんや」
長椅子に腰かけたダンデライオンは苦々しげな顔つき。
ところが、シェリーズは、ほっとしたように、
「兄上も良心が痛んだようですね」
ジンは顔をしかめる。
――呑気なことを。
ダンデライオンは呆れ気味に、
「それは好意的すぎるんちゃうかな」
「いえ、兄上も人の子です。王族としての矜持もあるでしょうし――」
「いやいや、そんなんちゃう。利用するためや。何か悪いことに利用するために生かしてるだけやで」
「しかし……」
「本当にプラナスがいいやつやったら、スウィータのこと、もっと大事にしてくれる思うわ。スウィータ、生きてたけどな、部屋は粗末やし布団は汚いし、ろくな扱いやない。ちゃんとした治療も受けてないやろな」
てっきり死んだと思っていた妹が、実は生きていた。このことを、ダンデライオンは心から喜べない。どう考えても、彼女のこれから先に幸福が待ち受けているようには、
「思えん……」
だからこそ、何事にも楽観的な甥を、
「本当に、まだまだ子供やな」
と思わざるを得ないのだった。
「ええか、シェリーズさん。王族もヤドリギ一族も関係ない。人間はみんな、心に汚い欲望を抱えてるんや。信用したらあかん。特に、あんたは王子や。あんたのことを騙そうとする人間なんか、なんぼでもおるで」
シェリーズは黙ってうつむいた。
伯父の説教を素直に聞き入れたわけではない……とジンにはわかっていた。
教会の窓から差していた光が一瞬、消えた。鳥が空を飛んだ。
* *
「いつまでここにいるんですかあ?」
ダンデライオン一行と共にする夕食。
相手の身分が貴族であることなどお構いなしに、ドクダミがずけずけと尋ねた。
「別に長居して迷惑はかけんで。明日の朝すぐに出発するから、それまで泊めてってお願いしてるだけやんか。それにしても、あんた、料理は上手やな。さっぱりしてて、しつこくない」
「皮肉は高尚な表現なんですかあ?」
シェリーズとジン及びダンデライオンの従者たちはドキドキしっぱなしであった。
ドクダミとダンデライオン、いずれ劣らぬ癖の強い性格である。食卓は神に感謝を捧げる場であるはずなのに、二人は言葉の矛をおさめようとしない。
とうとう見かねたジンが、
「さて、それにしても、難しい局面ですね。これから如何に動けばよいものでしょうか」
さりげなく話題を変えようと試みた。
「このままだと、いつヤドリギ一族に見つかってしまうかわかりませぬ」
「うちに来たらええ」
ダンデライオンが胸を張る。これは実に頼もしかった。ヤドリギ一族はサクランボ王国全土に離散しており、どこにいてもおかしくない存在である。その点、ダンデライオンの領地は国境に接している辺境の地であり、さすがにそこなら、
「ヤドリギ一族の目も届きにくい」
と思われた。
「わしと一緒に明日出発しようや」
「伯父上さえよろしいのであれば……」
「遠慮すな! 大事な妹の息子や。わしの息子も同然やで」
ありがたい申し出にシェリーズは感激する。
そうと決まれば、
「今夜のうちに我々の荷物をまとめましょう」
提案するジンだったが、
「これこれ、ジン。そう張り切らなくてもいいんじゃないですかねえ?」
食事を食べ終えたドクダミが茶をすすり、
「あなたは行かなくていいんですからあ」
「え……?」
「王子殿下がダンデライオン殿のお城へ行かれるなら、安全は保たれるんですよお? もうお前のような護衛は必要ない……何なら、匿う人数は多いほど大変なわけですから、ここに留まるのが懸命でしょう?」
「そ、それは……」
考えてもみなかったことだ。だが、確かに、
――一理ある。
ジンはシェリーズの方を向く。シェリーズもジンを見つめている。二人が深い関係にあることは、誰にも明かしていない。
ダンデライオンは二人の若者の愛を守ろうとしたわけではないが、貴族としてのプライドから、
「うちは狭苦しいところやけど、護衛の一人養うくらい、どうってことないですわ」
皮肉な発言にかちんと来たのか、ドクダミは、
「わたくしの教会にも余裕はありますけどねえ」
などと、ぶつぶつ言い返した。
食卓にいる面々は聞こえないふりをしていたが、ジンだけはこれまでのドクダミの貢献に感謝の意を伝えた。ただし、それは優しさが故の降るまいというより、
――俺が王子に同行するという流れを確定させたい。
という思惑があったためである。
さて……
気まずい雰囲気ばかり気を取られ、誰もがまだ気づいていなかった。ねっとりした欲望が接近しつつあることに。そして、ようやくそれを把握した時には、ジンの身に未だかつて経験したことのない危機が訪れるのだった――。