護衛の眠りは浅い。警護対象にいつなんどき危険が迫るかわからない。体が寝ていても、頭は起きている。
ダンデライオンが教会を訪ねた、その日の、虫の音も聞こえないほど夜が深まった時間帯。
ぴちゃ、ぴちゃ……。
ジンは目を閉じたまま、水の音を聞いていた。
――雨漏りか?
床下からも水の音が聞こえ始めた。
――浸水か?
ずいぶん老朽化した教会である。そうしたことがあっても、おかしくはない……。
――いや、おかしい!
ジンは布団を撥ね飛ばし、上体を起こす。
気づいた違和感は二点。まず、雨は降っていない。次に、ここは二階。川にでも飲み込まれていない限り、浸水などあり得ない。
が、時すでに遅し。
ジンは目を真ん丸に見開く。教会の寝室にいたはずが、床も壁も天井もねばねばした材質でできた、異様な空間にいる。
――魔法!?
としか考えられない。
即座に、シェリーズを叩き起こそうとするが、いない。ジンの隣で寝ていたはずだが、今そこは壁になっている。
ここで一旦、寝室の割り振りを説明しておく。
普段から二階の寝室はドクダミとジン、そしてシェリーズの三人で共用している。三人が横になっただけでゆとりはなくなるので、
「ダンデライオン殿と従者の皆さんには一階の長椅子を使っていただきましょう」
「寝心地よさそうな椅子やもんな」
とダンデライオンは笑顔で応じ、そこでもまたドクダミとの間に一悶着あったが、それはともかく、要するに二階の寝室には三人いたはずなのだ。
「これは一体……」
戸惑うジンだが、不意に、
「魔法ですよお」
と返事があったので驚いた。声の主はドクダミ。彼だけはジンと共にいる。どうしたわけか、落ち着き払った様子だが、そこは王室護衛団に長年所属した年の功か。
「ヤドリギ一族がここまで来ていた、ということですね」
「そうですねえ」
「しかし……ここはどこでしょう? どのような魔法なのかわからぬと、手出しできませぬ」
「ここは教会ですよお」
「ということは?」
「教会の寝室の中に、この空間が作られてるんですう」
「ほう……しかし、よくわかりますね?」
「だって、わたくしの魔法なんですもん」
膝を抱えるように座るドクダミ。
その小さな目を、ジンは覗きこむ。そこから読み取れることは、彼が正気を保っていること、決してふざけているわけではないこと、つまり、
――こやつは敵なのだ!
叫ぼうとして、ジンは大きく口を開いた。壁の向こうにいるはずのシェリーズに、逃げろと伝えるためである。
だが、大量の粘液が口に侵入した。
* *
ところが、シェリーズは目覚めた。
部屋で起こっている異変にまったく気づかず、楽しい夢を見ていたのだが……妙な音がして目が覚めた。雨音に似た音であれば、睡眠を邪魔しなかったであろうが、それはくぐもった声だった。
――聞いたことがある。
夢うつつでシェリーズは思った。
ジンが声を我慢できない時、口で口を塞ぐと、まさにこういう声になるのだ。
「ジン……」
伸ばした手が変な感覚を得た。
ねば……ねば……。
びっくりして目を開けると、粘液らしきものがそそりたち、壁の形を成しているではないか。ジンとドクダミが寝ていたはずの場所だ。
「ジン!」
返事はない。が、
――間違いなく、この呻き声はジンのもの。
だからシェリーズは泥のような壁に拳を突き立てた。ところが、意外と弾力があり、いくら叩いても突き破ることができない。むしろ、壁から触手状の粘液が伸び、シェリーズの手に絡まる。
「うっ……」
あまりの気色悪さに、思わず手を引っ込める。
ここでシェリーズは、
――魔法だな!
確信し、距離を取りつつ、必死にジンへ呼び掛け続けた。
騒ぎがダンデライオンを起こしてしまったらしい。階下から、心配する伯父の声が聞こえて来る。
「伯父上、来てはいけません!」
「どうした」
「ヤドリギ一族が襲来してます!」
「なにい」
「ただちに逃げてください!」
「あんたも早く逃げな! 大丈夫なんか!?」
「私には構わないで!」
愛するジンを放って行くなどできないのだ。
「ジン、聞こえてるか!? いったい中で何が起こってる!?」
「うるさいですねえ」
「ドクダミ! ドクダミ、そこにいるのか? ジンは無事か?」
「殺すつもりないですから、ご安心くださあい」
「……何?」
* *
ジンは汚い壁越しにシェリーズの声を聞きながら、返事もできない。
彼を苦しめるのは無数の触手。粘液にまみれたミミズのような物体が、体の上を這い、口を塞ぎ、全身の自由を奪う。どこに由来するのか、辿って見れば、ドクダミの股間に行き着く。ズボンの中で何がどうなっているか不明だが、股間部分が脈打ち、裾から粘液が溢れている。
この状態で恥ずかしげもなく、ドクダミは、
「察しの悪いお方ですねえ」
シェリーズを煽るように、
「これはわたくしの魔法【ネバネバーランド】です」
「ドクダミ……きみはヤドリギなのか!?」
「逆に、そうじゃなかったら何だと言うんですう?」
如何にも、ドクダミはヤドリギであり、魔法こそ強さの秘訣である。剣術に長けているのは事実だが、それだけでのしあがったのではない。例えば、対戦相手の足裏に粘液を忍ばせ、蝿取り紙の要領で、足を地面に固定することもできる。卑怯な技を使うことに、
「躊躇なんてしませんよお」
と心の底から思っている理由は、ヤドリギ一族の一員として、目的を果たすためである。
では、此度の目的は何か?
「指令が届いたんですねえ」
「他にも、この辺りにヤドリギがいるのか!?」
「伝書鳩ってものを知らないんですかねえ」
「む。じゃあ、どんな指示を受けたんだ?」
「国宝の在処を突き止めろ、ですって」
ドクダミはシェリーズと会話をしている間も、触手を用い、ジンの服をじわじわ脱がす。
見られたくないところを見られ、触れられたくないところに触れられ、ジンは顔を真っ赤にする。体温が上昇しつつある。
「ジンに尋ねてもいいんですけどねえ、どうやらジンはヤドリギとしての矜持を忘れてしまったみたいなので、どうせわたくしの質問に素直に答えないでしょう。だから、王子殿。教えてくださあい」
しばしの沈黙。
それから、シェリーズが苦しげに、
「ジンは国宝の隠し場所など知らない。解放してやってくれ」
「しませえん」
「どうしてだ」
「だって……あなたにとって、ジンは特別なんでしょう?」
――やはり……。
ジンはドキッとする。
――俺と王子の関係を悟られていたか。
しかし、ドクダミが次に打ち明けた事実を、ジンはまったく気づいていなかった。夢にも思わなかったことである。
「ああ、悔しい。ジンだけは、わたくしのことを気持ち悪がらず、尊敬してくれたんです。ずっとずっと……好きだったのにい」
ジンもシェリーズも言葉を失った。
ドクダミは、だからこそジンを拷問したくないと言うが、しかし一族の目的を達するためであれば、
「王子殿が国宝の在処を言うまで、わたくしはジンとここで二人きりですよお。今までしたくてもできなかったことを……たあっぷりしますからあ」