ジンが捕らえられた。ドクダミにゆっくり服を脱がされ、今にも好き放題なぶられようとしている。
シェリーズは壁の向こうで何もできず立ち尽くす。
危機的な状況。
しかし――
――希望はある。
ジンとシェリーズは同じ思いだった。楽観論ではない。根性論でもない。二人は同時に、ある記憶を思い出していたのだ。
それは数年前。ジンが王宮へ勤めるようになって、間もない頃だ。当時、二人は間違いなく、
――この汚い魔法を見た。
ピンチを打破するヒントを探そうと、二人はそれぞれ記憶を手繰り始めた……。
* *
「ずいぶん若いな」
「元服も済んでいないんじゃないか?」
「いや、そこまで幼くはないらしいが」
「いずれにせよ、これほど若い新入団員はドクダミさん以来ですな」
およそ五年前……。
王宮にて、一人の若武者が大きな注目を浴びていた。
彼の名はジン・マザード。
天才剣士として名高く、その力を買われ、王室護衛団へ入団する運びとなった。凄まじい名声に反し、年齢はわずか十五。周囲に立つ新入団員は、皆、年上であり、中には一回り上の者もいる。それがゆえの話題であった。
さて、
「入団式では、新入団員とベテラン団員が、国王陛下の御前で試合をするのが慣例だが……」
ジンの相手を誰が務めるのか。
式典が始まり、国王オウトウを始め、全王族が勢揃いする。
ジンは国王の前にひざまずき、
「国家に忠誠を誓います」
と
オウトウは大変ご満悦で、
「これは良き臣下を得た」
そして御前試合の対戦相手に、ドクダミを指名した。
ドクダミはこの時点で既にシェリーズ担当班の班長である。これほどの役職の者が新入団員の試合相手になることは前例がなく、しかもドクダミは天性の剣技を持つと評される。国王がよほどジンに期待していることの証しであろう。
客席から、ざわめき、どよめきが止まらない。
当の本人達は顔色ひとつ変えない辺り、やはり強者。
ジンに至っては、
――老人め。これまで王宮で甘ったれた生活を送ってきたんだろう。今日を限りに引退させてくれる。
という、ひどい意気込みだった。
申し添えておくと、ジンはドクダミがヤドリギとは知らされていなかった。王宮という極めて重要な地に潜入しているからこそ、裏切り行為がないか、スパイとしての能力は十分か、職務に怠慢がないか等々を監視されているのだ。
「始め!」
審判の合図により、二人が立ち合う。
「……」
「……」
両者、睨み合い、動かない。
観衆、固唾を飲んで見守る。
王宮全体が静寂に包まれた。
不意に、鳥の飛び立つ音――
「えい!」
「ふん!」
ジンとドクダミ、それぞれ跳躍し、宙に浮いたまま木刀を打ち鳴らす。着地すると、ジンは回転しながら胴を狙い、ドクダミはこれを払いつつ、下段から振り上げる。
息つく暇のない攻防。
だが、決着は呆気なかった。
ジンが足をもつれさせ、
「あっ……」
体勢を直そうと試みた時には、喉へ木刀を突きつけられていた。寸止めである。が、一本とみなされ、
「勝負あり!」
審判が叫んだ。
途端に観衆から大きな拍手が起こる。
無表情を装うが、ドクダミは若造を打ち負かした喜びを抑えきれない。口の端がひくひくしている。
一方、ジンは悔しさに肩を震わせているかと言えば、そうではない。むしろ、ドクダミに深々とお辞儀をし、
「参りました! 我が人生で、あなたほど強い方は他にいません!」
目を輝かせている。
殊勝な態度を演じているのではない。これがジンの悲しい本性なのだった。
――強さこそが正義。強くなければ生きていけない。
悲惨な人生が、こうした価値観を育んだ。
ドクダミの勝因には、実は剣術の技巧だけでなく、魔法【ネバネバーランド】でジンの足をもつれさせたことも含まれるが、ジンは知らない。
「うん、まあ……あなたもまあまあ強かったですよお」
「恐縮です!」
嫌われ者のドクダミ。今まで向けられたことのない情熱的な視線を向けられ、たじたじ。
ジンの所属先がシェリーズ担当班になる、すなわち、ジンが自分の部下になると知った時、ドクダミは心から喜んだ。既にジンに対し、並々ならぬ好意を抱き始めていたわけだ。
「是非、その強さで我が息子を守ってやってくれ。おぬしは若く、強い。いずれドクダミの後継者となるじゃろう。おい、ドクダミ。そのつもりで、この者を育てるのじゃぞ」
高らかに笑うオウトウの隣で、シェリーズが微笑していた。
* *
「きみは野に咲く花のようだね」
「はあ……」
「願わくは、誰にも摘まれず、ずっと綺麗に咲いていてほしいものだ」
シェリーズ担当班に潜り込んだジン。
王宮での生活は退屈極まりないものだった。何事にも優雅さが求められ、王族の一日の大半は上品な習い事に費やされる。今、ジンは花を活けるシェリーズを見守っている。
「ああ、花は
「王子殿」
と、そこへドクダミが顔を覗かせる。相手が王子であっても容赦なく、
「頓珍漢なことをおっしゃってないで、手を動かしてくださあい」
「だって……花がかわいそうじゃないか」
「いいえ」
「おかしいと思わないか? 花をわざわざ摘んで、綺麗に飾るだなんて。あるがままの姿が一番美しいのに。それに、そもそも、私は無益な殺生を好まない。花には土に根を張っていてほしいものだ」
「はい、口答えですねえ。今日のおやつはなしでえす」
「そんな……」
もう子供ではない年齢だが、シェリーズの言動はどこか子供じみていた。
そう感じてしまうのは、ジンがヤドリギ一族で、シェリーズが王族という生まれのせいかもしれない。いずれにせよ、ジンにとって、シェリーズは、
――甘ったれた王子。
でしかなかった。
ところが、ある日。
狩りの行事に同行したジンは、シェリーズの弓術の腕前を目撃し、大いに驚くことになる。
ドクダミはジンに耳打ちし、
「王子は一種の天才なんですよお。あ、これ、本人には内緒ですよお。調子に乗っちゃいますからねえ」
空飛ぶ鳥がシェリーズの放った矢に射られ、自身の手の上へぴったり落ちるのを見た時には、ジンは感動さえ覚えた。
が、シェリーズ本人は恬淡としている。
「いかがなされました?」
ジンは王子の体調不良を疑った。
すると、シェリーズは微笑し、なんと、鳥から矢を抜き去り、空へ帰してあげたではないか。
「殺してはなかったんだよ。両の翼を矢で串刺しにしてただけだからね」
さらっと言ってのけるが、神業である。
ジンは鳥を目で追いかけ、シェリーズは護衛を見つめる。
「私は血を見るのが嫌いだ。殺生など無益でしかない。国家は他者を殺すためではなく、生かすためにあるべきだ。ジン、きみもそう思わないか?」
「この身に代えましても王子をお守りします」
「有事には、私の命より自分の命を優先しろ」
王族や貴族に、このようなことを言う者がどれだけいるだろう。
だが、
――温室育ちの世間知らずめ。
ジンは冷ややかだった。