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第12話 レオニスの追憶(上)


 灰色の足が、漆黒のドレスの向こうに隠れていく。


「……っ、やめて……見ないで……!」


 ステラの口から、絞り出すような悲鳴が漏れた。彼女の体は激しく震えている。震える手で必死に足を隠そうとする。その顔は、恐怖と、屈辱と、そして錯乱の色に染まっていた。


 俺は。そんな彼女が見て居られなくて、手を伸ばそうとする。


「触らないで! 見ないで!」


 声は震えていた。その悲痛な叫びが、俺の鼓膜を激しく揺らす。


 幼いころから、俺は魔術の才があると言われていた。特に相手がいったい何の術式を使おうとしているのか、見抜くことに長けていた。フォルティア公爵家に生まれ、十分な教育を受け、今や俺以上にこの国で魔術に詳しい者は数えるほどしかないと言われている。


 いっそ何も知らない人間であったら、ステラがどれほど悲惨な状況にあるのか、理解せずに済んだかもしれない。


(間違いない、石化の呪いだ。それも進行性、かなりの時間が経っている。いつからだ? いったい、いつから……)


 見るも無残なほどに石化し始めたステラの右足。そして、必死でそれを隠そうと、床にうずくまる彼女の姿。その瞳に宿る、深い絶望と、狂気にも似た錯乱の光。


「レオニス様! ステラ様は今、ご気分が優れません! どうか、お離れくださいませんか……!」


 メイドのイルーナが、決死の覚悟で俺とステラの間に割って入る。小柄な彼女の体が、震えながらも俺を阻もうとする。その姿が、この状況の異常さを物語っていた。


「っ、分かった。落ち着いたら、知らせてくれ。今夜は本邸に戻る」


 頭を下げたイルーナに続き、エルム家のメイドたちが駆け寄る。俺は即座に執事を呼び、屋敷中にかん口令を敷いた。


 俺はふらふらと、屋敷の庭に出る。頭の中は、真っ白だった。目の奥に、錯乱したステラの顔と、呪いに犯された彼女の右足が、焼き付いて離れない。


(どうしてステラに……なぜ、あんなものが……)


 屋敷の庭に出る。かつて幼い俺とステラは、歳の近い幼馴染として、何の隔たりもなくこの庭を駆け回っていた。


「レオニス、見てください! このお花、お母様が育てたんです!」


 屈託のない笑顔で、小さな花を差し出す白い肌の少女。それが、幼少期の彼女の姿だった。


 庭の上。ピクニックシートに広げられたのは、公爵家の菓子職人が腕によりをかけたレモンパイ。


「わたくし、ちょっと酸っぱいものは苦手で……」


 ステラがそう言って顔をしかめると、俺は得意げに言ったものだ。


「甘くするおまじないをかけようか」


 そう言って、自分のパイに乗った甘いクリームを、ステラのパイに分けてやった。ステラは目を輝かせ、「本当?」と首を傾げる。


 小さな口を開けて、フォークを運んだステラが、とろけるような笑みを見せた。


「ありがとうございます、レオニス!」


 しかし、成長するにつれて、ステラは変わっていったように見えた。


 茶会にも現れず、いつも黒い服をまとい、使用人にも冷たい言葉を投げかける。イヴァノさんが魔導通信で莫大な富を築くにつれ、エルム家の屋敷は豪華になった。


 俺は……ステラもそれに驕り高ぶったのだと、考えてしまった。


 会うたびに彼女は冷淡になり、そして相手を刺すような口調で話しかけてくる。ゆえに、彼女が社交界から距離を置く理由も、噂通りのものだと思っていた。


 だが、今夜、目の前で見た光景。間違いない、ステラにはとてつもなく頑丈で、強固で、そして悪趣味な呪いがかけられている。


 彼女の冷たい態度、黒ずくめの服装、社交界を避けていた全てが、もし仮に足の呪いを周囲に知られないようにするためだとしたら……。


 巻かれていた包帯は、かなり強力な術式だった。呪いが外部に分からないようにするための品。仕上げるには、相当強い力を持つ治癒師が欠かせない。


 イヴァノさんが金をつぎ込んだのは、あの呪いを治療するため。だとしたら、常に真剣で誇り高い彼も、血迷うかもしれない。


 愛する妻に先立たれ、唯一残された娘を思うあまりに犯した罪。

 許されないが、理解はできた。


 屋敷内に戻り、俺はまだステラの部屋に明かりがともっているのを見た。かすかなうめき声と共に、魔力を増幅させるための特別な香の匂いがする。


 公爵家本邸に向かい、その足で書斎へ突き進んだ。扉を開けると、父のアルバノは疲れた顔で座っていた。俺のただならぬ様子に、彼は息を呑む。


「レオニス。もしや、ステラの足のことか……」


 父の言葉は、まるで全てを見通しているかのようだった。俺は、思わず身を乗り出した。


「そうです! あの足は……あれは一体、何なのですか! なぜ、なぜステラはあんな呪いに……! 父上!」


 俺の問いは、ステラの呪いの正体と、その原因、そしてなぜそれが俺に隠されていたのか、という全てを含んでいた。


 父は、深く、深く、ため息をついた。そして、重い口を開いた。


「レオニス。すまない……ステラの呪いは、お前を、お前を庇ったことによって受けたものだ」


 父の声が、重く部屋に響き渡った。


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