藤原景子はようやくご機嫌になり、自分の好きな食べ物を次々と挙げた。
藤原悠真はそばで静かに聞いていた。
「景子ちゃんのその服、すごく似合ってるよ。とっても可愛い」景子が言い終わると、下瀬知絵は彼女の服を褒めた。
「本当?」
「もちろん本当よ」と知絵は笑った。
「今日は学校どうだった?お友達とは仲良くしてる?」と続けた。
二人は楽しそうに会話を交わし、悠真はほとんど口を挟まず、ゆっくりと食事を続けていた。
事情を知らないウェイターは、彼らを家族だと思い込み、知絵に羨ましいような眼差しを向けた。
その時、景子の携帯に藤原陽菜からのビデオ通話が入った。
朝約束していた電話だ。
しかし今は知絵お姉さんと楽しく話している最中で、切るのが惜しかった。
朝、陽菜が他の子を抱っこしているのを見た時は不機嫌だった。
でも授業で先生が「お父さんとお母さんは自分の子供が一番可愛い。どのお母さんにとっても子供は替えのきかない唯一無二の存在なのよ」と教えてくれて、安心した。
陽菜はなかなか出ない景子を心配し、担任に電話をかけた。
ちょうど休憩室にいた担任は「景子ちゃんは大丈夫ですよ。お父さまと、お姉さんとビデオチャットをしています…そうですね、私から一声かけて——」
「結構です」陽菜はそこで、景子が知絵と悠真と話しているのだと理解した。
つまり、悠真は今知絵と食事をしている可能性が高い。
彼女は優しい声で「大丈夫です、そのまま話させてあげてください。お願いします」と言った。
電話を切り、陽菜は景子にメッセージを送った。
【学校はどうだったか、新しい友達はできたか、給食は何を食べたか、お昼寝は先生の言う通りにちゃんと寝てね】と。
10分以上経ってから、景子のボイスメッセージが届いた。
【わかったよお母さん。ちゃんとお昼寝するから】
小向美奈子と一日過ごし、陽菜は彼女が明るく社交的で、仕事の能力も高いことに気づいた。
夕方6時過ぎ、陽菜が帰宅準備をしていると、美奈子が今日の指導への感謝で食事に誘ってきた。
「そんなに気を使わなくても」と陽菜は丁寧に断った。
美奈子がさらに勧めようとした時、陽菜の電話が鳴った。
悠真の母親である藤原清からの着信だ。
最初は見間違いかと思った。
清はこの嫁を眼中になく、普段はろくに連絡もしない。
ここ数年で連絡してきたのは片手で数えられるほどだ。
「お義母さん?」陽菜は訝しげに出た。
「海斗が最近こっそりレースに参加している。心配だから、今から場所を送るから連れ戻してきなさい」清は余計なひと言もなく、命令を出したらすぐに切った。
数秒後、送られてきたのは郊外のサーキット場だった。
陽菜は美奈子に「急用ができたので失礼します」と告げた。
1時間以上かけて到着したサーキット場は広く、夜でも多くの人で賑わっていた。
海斗に電話しても出ないので、陽菜は探し回ることになった。
20分近く探してようやく発見した海斗は驚いた。
「お義姉さん?どうしてここに?」
陽菜が用件を伝えると、「今日は僕の女神、アジアNo.1レーサーのCCさんの帰国初レースなんだ!絶対に見逃せない!試合を見たらすぐ帰るから!お義姉さんは先に帰ってて!」と誓った。
「でも——」陽菜の言葉が終わらないうちに、観客たちが「CC!」と叫び始めた。
「女神が出てくる!?」海斗はもう陽菜のことなど忘れ、熱狂的に叫びながら双眼鏡を構えた。
その表情は明らかなファンのそれだった。
「いつからレースに興味を持ったの?」と陽菜は訝った。
以前の海斗にそんな趣味はなかった。
「前は確かに興味なかった。女神に出会うまでは!お義姉さんも女神を見たら絶対ファンになる!あんなに完璧な人いないんだから!」
その時、CCが登場した。
海斗は再び熱狂し、陽菜の存在を忘れた。
陽菜はまだ夕食を取っていなかったが、彼がこれほど熱中しているのを見て、彼自分が参戦するわけでもないし、騒音で話も通じないと判断し、試合終了まで付き合うことにした。
しばらくして海斗は双眼鏡を押し付け、熱烈に推し始めた。
「お義姉さんも見て!38番!赤いレーシングスーツの!超セクシーでワイルドなんだよ!」と。
陽菜はレースに興味がなかったが、仕方なく双眼鏡で見たら、固まった。
下瀬知絵だ。
CCは下瀬知絵だったのか?
以前から彼女が極限スポーツを嗜むとは聞いていたが、まさかレーサーとしてこれほどの人気を博しているとは。
暗紅色のレーシングスーツに身を包んだ知絵の姿は、圧倒的な存在感を放っていた。
思わず双眼鏡で周りを見たら陽菜は、対面の観客席に藤原悠真を発見した。
彼もまた知絵に引き込まれるように、視線を注いでいる。
陽菜は思わず双眼鏡を強く握った。
レースが始まろうとする中、海斗はせかすように双眼鏡を取り戻した。
陽菜はなおも悠真の方向を見つめていた。
悠真だけでなく、娘の景子、そして彼の友人たち・橋本涼介や山下佑利の姿もあった。皆、知絵の応援に来たのだろう。
数台のレーサーが稲妻のように通り過ぎ、観客の悲鳴を誘った。
「お義姉さん見て!女神の運転、超大胆でカッコいいんだから!」
海斗はまた双眼鏡を陽菜に押し付けた。
陽菜が再び覗くと、ちょうど知絵が危険を承知のコーナーでの追い抜きを決めた瞬間だった。
観客総立ちの大歓声。
これまでレースに興味がなかった陽菜も、知絵の技術と度胸に圧倒された。
動けなくなった彼女はふと思った——悠真が彼女に魅了されるのも、無理はないのだと。