ミレーユ・セスティーニ公爵令嬢は悪役令嬢である。
青い瞳に金の髪を持つ彼女の彫刻のように美しく整った顔は、他の令嬢・令息の追随を許さず、王国一との誉れが高い。
スラリとした体は、彼女の魅力を艶やかに彩る赤いドレスに包まれている。
煌めく赤い生地に黒レースをあしらったドレスは、ミレーユのスタイルの良さを引き立てていた。
長く伸ばされた金色の艶やかな髪はハーフアップに整えられ、侍女たちがプライドをかけて巻いた縦ロールが更に彼女を引き立てる。
スッと伸びた長い首には、婚約者から贈られた大きな黄色の宝石のはまった見事な金細工のネックレスが、シャンデリアの光を受けて輝いていた。
ミレーユは今夜も、優雅に、華やかに、高位貴族らしく立ち振る舞う。
「貴方、どういうおつもりですの?」
ミレーユは真っ赤なシルクの長手袋、畳んだ扇子の先を一人の令息へとシュタッと向けた。
背筋を伸ばしてシャンと立つ彼女は圧巻の迫力である。
黒い親骨の先を鼻先に突き付けられた令息は縮み上がるよりほかない。
「貴族令息たる者のプライドは、どこへお忘れになったのです⁉」
「ヒィ」
ミレーユの一喝に、金髪碧眼の令息は縮み上がった。
隣にいるピンク色の髪をした令嬢と手を繋いで固まったまま、数段上の階段にいるミレーユを見上げている。
「さっきから婚約者そっちのけで、そちらのピンク色の髪をした令嬢とイチャイチャと。神聖な社交の場である夜会を、何だと思ってらっしゃるのかしら?」
青い瞳のはまったアーモンド型の大きな目にキッと睨まれ、その迫力に令息たちは震えることしかできない。
今宵は国王主催の夜会の日。
社交シーズンを告げる最初の夜会が催されていた。
ただでさえ豪奢な王城大広間は、更に花や調度品で華やかに飾り付けられて、幾つものシャンデリアの煌めきのもとに照らし出されている。
王太子婚約者であるミレーユ・セスティーニ公爵令嬢は悪役令嬢らしく、ついさっきまでは1人気ままに夜会会場を漂っていた。
(わたくしは悪役令嬢なのですから、ずぅっっっっっっと王太子殿下に付きまとっていたら彼の邪魔になってしまう。だから。わたくしは、わたくしの出来ることをするのよ)
夜会というものは油断できない。
(泣いている令嬢はないか、悔しさに唇を噛む令息がいないか。常に気を配っていなければ。どんな些細なことが国を揺るがす騒ぎに繋がるか、分かったものではないわ。警戒を怠ってはダメよ、ミレーユ)
鋭い視線をあちらこちらに投げながら、ふわふわと漂っていたミレーユは、階段上の踊り場から会場を見下ろした折に、ついに発見してしまった。
どの家の令嬢と令息が婚約しているのかを把握しているミレーユにとって、浮気かどうかを判断するのは容易なことだ。
(1人寂しく壁の華となっている茶色の髪の令嬢。あの方には婚約者がいるはず。そして彼女の前で別の女性と堂々とイチャイチャしている令息。アレは茶色の髪の令嬢の婚約者だわ)
これは由々しき事態である。
見過ごせるはずがない。
(美しく儚げな令嬢が泣いている。……いえ、実際に泣いているわけではないのよ。キチンと礼儀をわきまえている貴族令嬢は夜会会場で感情を露にしたりしないから。あくまで比喩表現だけど……未来の王妃として、悲しむ令嬢を見過ごすことなどできないわっ!)
そう思ったミレーユは、件の令息を呼び止めて諭しているのだ。
だがどうも上手くいかない。
(なぜ殿方というのは、問い詰められると手近なところにいる方のご婦人の手をとってしまうのかしら? わたくしは、婚約者のもとへ戻れ、と伝えているつもりなのに)
ミレーユが、婚約者の前で別の令嬢とイチャイチャしている令息に出くわしたのは、これが初めてではない。
学園時代から数えれば両手両足の指を足しても足りないが、咎められた令息が手を取るのは毎回のように浮気相手の令嬢の手なのだ。
(わたくしは流石に慣れましたけれど。浮気された令嬢は毎回のように違うのですもの。慣れようがないですわね。もちろん、中には2度、3度と浮気される令嬢もいらっしゃるけれど、稀ですわ)
イラッとしたミレーユは、わざと音がするようにして階段を一段下りた。
「「ヒィィィィ」」
まるでその音に殺されるとでも言うように、令息とピンク色の髪の浮気相手は、ピクリと跳ねて抱き合った。
だがそれはミレーユ相手には逆効果だ。
「まぁ破廉恥なっ」
美しい細眉を跳ね上げたミレーユは、房飾りを揺らしながら扇子を自分の方へと引くと、扇子の先をチョイチョイと揺らし、専属護衛である赤毛の女性騎士を自分の側に呼び寄せた。
そして少し広げた扇子で口元を隠しつつ、護衛騎士の耳に指示をそっとささやいた。
「レイラ。あの者たちを、夜会会場からつまみ出してちょうだい」
「はい、お嬢さま。承知いたしました」
シュッとした女性護衛騎士が美しくも逞しい礼をとると、視線で呼び寄せた部下と共に令息と浮気相手をガシッと掴んだ。
「ちょっと何するのよっ」
「そうだっ。無礼だぞっ!」
浮気相手は甲高い声を上げ、令息も不満げな声を上げた。
令息にとってミレーユは怖い存在だが、護衛騎士は怒鳴りつけて良い相手なのだ。
だがミレーユの女性護衛騎士は容赦がない。
「暴れるな」
短く命令口調で喋ると、隣の部下にも目で合図して、彼らの腕をひねり上げた。
「アッ、何をするんだ⁉」
「痛いっ、痛いわ。止めてちょうだい!」
見苦しく泣き喚く2人をまるで見世物にでもするように、護衛騎士たちは王城大広間の真ん中を引きずりながら去っていった。
その姿を、もう一人の赤毛の護衛を背後に置いて見送ったミレーユは、2人の姿が出口から消えたのを確認すると、「さて、と」と呟きながらクルリと向きを変えた。
そしてパンと音を立てて閉じた扇子の黒い親骨の先を、壁の華となっている茶色の髪の令嬢へとピシッと向けると、迫力のある静かな声で話かける。
「ちょっと貴女。そこのご令嬢」
「……はい」
大人しそうな茶色の髪の令嬢は、気圧されたように小さな声でかろうじて返事をした。
ミレーユは美しい眉毛を不機嫌に跳ね上げるとキツイ口調で言う。
「貴女も貴族の端くれならば、もっとシャンとなさいまし。婚約者が浮気して、彼が破滅するのは彼自身の責任。ですけれどここから先、貴女がどのような道を選択するかは、貴女の責任でしてよ」
「……はい」
小さく呟くような声で答えた茶色の髪の令嬢は、ミレーユの言葉だけで吹き飛ばされそうな風情だ。
「わたくし、儚げな令嬢は、嫌いではありません。けれど婚約者に堂々と浮気されて何も言えない令嬢など、好みませんわ」
「……」
茶色の髪の令嬢は、唇をクッと噛み締めて目には涙を浮かべている。
「ご令嬢。貴女の人生はこれで終わるわけではありません。ここから新たに始まるのですわ。次は失敗せぬよう、しっかりと目を見開いて回りをご覧なさいませ」
「でも……わたしなんて……」
茶色の髪の令嬢がいじけた様子で言うのを聞いて、ミレーユの眉は更に跳ね上がる。
「貴族にとってはプライドも大事ですわ。御自分を大切になさいませ」
「だって、わたしは……」
気弱そうにボソボソ話す茶色の髪の令嬢に、ミレーユはピシャリと言う。
「『でも』も『だって』も要りませんっ。貴女は貴族令嬢なのですよ? 平民の女性だってプライドを持ってシャンと生きているご時世に、貴族令嬢が情けない。もっとシャンなさいまし、シャンと。だらしなくメソメソしていないで、プライドを持って生きなさいっ」
「はいぃぃぃぃぃ!」
迫力あるミレーユの言葉に震えあがった茶色の髪の令嬢は、おそらく彼女の人生の中で、産声の次に大きな声を出して答えた。
ミレーユはニコリと笑みを浮かべて満足そうに頷くと、クルリと向きを変えた。
「あら? ニコラスさま」
「やあ、ミレーユ」
ミレーユは真正面に、婚約者であるニコラスの笑顔を認めてたじろいだ。
(さっきまで公爵さまと談笑なさっていたのに、なぜここに? その美しい顔の不意打ちは心臓に悪いですわ、ニコラスさま。胸がドキドキします。あぁ、顔が熱い)
キラキラと輝く金色の髪。
吸い込まれそうな澄んだ青い瞳。
堀が深く整った彫刻のような顔。
スラリとした長身で、腕や足も長く、スタイル抜群。
上品で優雅な美しい王子は、意外にも鍛錬好きで白い肌は少し日に焼けている。
(もともと美しくうっとりと見惚れるほど魅力的なのに、ギャップまで搭載しているニコラスさまは、魅力の過積載なのよ。魅力が渋滞しているわ。そんな魅力過剰なニコラスさまが、優しい笑みを浮かべて、わたくしを見ている。あぁ、眩しい。昇天してしまいそうだわ)
ミレーユはよろめきそうになったが、腹筋と背筋にグッと力を込めて耐えた。
「お客さまへの対応は、もうよろしいのですか?」
「ああ、終わったよ。ミレーユ。そろそろラストダンスの時間だ。踊らないか?」
この国の夜会では、ダンスは開始と終了の合図だ。
ミレーユはダンスフロアを見た。
そこには既に数人の貴族たちの姿があった。
ミレーユは背筋をスッと伸ばすと、真っ直ぐにニコラスを見て言う。
「はい。王太子婚約者としての務め、果たさせていただきますわ」
「いや、私は普通に貴女とダンスを踊りたいのだが?」
ニコラスは、その端正な顔に困惑の表情を浮かべた。
だがキリッとした凛々しい表情で答えるミレーユに、彼の反応を意に介する様子はない。
「いえ、皆まで言わなくても承知いたしておりますわ、ニコラスさま。わたくしは悪役令嬢。ニコラスさまの心まで欲しがったりいたしません。婚約者として王太子殿下のお務めのお手伝いをさせていただきます」
「いや、私は普通に貴女のことが好きだよ?」
ニコラスはミレーユの赤いシルクの長手袋をまとった手を取ると、自分の方へと引き寄せた。
(ああ、近いっ。近いです、ニコラスさまっ。心臓が、心臓がドキドキして持ちません~)
内心ドッキドキのミレーユだったが、そこは王太子婚約者。
澄ましたアルカイックスマイルを浮かべ、彼のリードに従って流れるようにニコラスの腕に自分の手を回した。
「ホホホッ。ニコラスさまってば、お上手ですこと。わたくしにまで気を使わなくても、お役目はしっかり果たしますわ。では参りましょう」
「いや、ちょっと、ミレーユ?」
ミレーユ・セスティーニ公爵令嬢は悪役令嬢である。
王太子殿下の気持ちなど察するつもりはない。
(ニコラスさまの愛を得られなくても、わたくしはニコラスさまのことが好き。わたくしはニコラスさまの邪魔にはならぬよう、1人孤独に逞しく生きていくのよ)
堂々たる態度で王太子殿下のエスコートを受けてダンスフロアの真ん中へと進み出ると、彼にリードされるまま文句のつけようのない美しいダンスを披露したのだった。