ダンジョンである古城へ侵入すべく走る僕と剣崎君、不意に足を止めた。
薄暗い空に浮かぶ二つの赤い炎。こちらにゆらゆらと近づいてくる。炎の中に浮かぶ苦悶を
(見つかると面倒なことになりそうだな……)
「まかせろ」
そう言って一歩前に出る剣崎君。手にした刀を宙へ放ると、それは彼方へ消えていく。続けて小さく呪を唱えた。
「武具顕現──
印を結び、足元の影から姿を見せた弓矢を取り出す。そのまま慣れた手つきで、二本の矢を同時につがえると、放った。
一発が命中、赤い火花を散らして、鬼火が消えていく。だがもう一発は鬼火をかすっただけで……
「あっ」
剣崎君が短い言葉で、失敗を報告すると、
「ぐぎゃぎゃぎゃーーーぁ!」
傷ついた鬼火が叫ぶけたたましく耳障りな声が、周囲に響き渡った。
「ちょっと!」
「わりぃ……」
だが彼を責めてる暇はなかった。城内が物々しい気配に包まれ、中からわらわらと骸骨の武士が湧き出して……だけでなく、集団にまじる、ひと際体の大きい筋骨隆々な者たちの姿も。岩のような体に二本の角──
そして城の上階の窓や石落としからは、いくつもの炎の塊、鬼火が吐き出されていく。
「おいおい、多すぎだろ……」
呆れたようにつぶやく剣崎君。
「くっ……ここは無理だ、他を探そう」
そう言って、僕が砂利の道を外れて走り出すと、弓矢を放り出した剣崎君が後に続く。正面突破を諦め、迂回するように城の周囲を走り、別の侵入口を探す。だが、いくら見渡せど、切り立った城壁が続くばかりで何も見つからない。後方からは彷霊たちのうめき声が追ってくる。
その時だった。
「──こちらへ」
聞き覚えの無い声が耳に届く。声の方へ目をやると、城壁の一か所に、大きな石一個分、ぽっかりとトンネルのような窪みが現れた。
「早く!」
再び声が聞こえた。その時、後方から鬼火の集団が迫ってくるのが見えた。
躊躇している暇はなさそうだ。僕たちはその暗い穴に飛び込んだ。
飛び込むと、すぐ背後で石の扉のようなものが閉ざされ、真っ暗になった。暗闇の中で響く僕と剣崎君の息遣い。しばらくすると、外に感じた彷霊たちの気配が消えていった。
「……ふう、危ないところでござったな」
声の主がローソクに灯りをともす。
「ご無事で何より」
灯りに浮かび上がったその人物が言葉を続けた。
人物? いや、目の前にいたのは二本足で立つ犬……獣人だった。柴犬顔で、鎧を身につけ、腰には刀を差している。
突如現れた犬型の獣人に、僕たちは距離を取り、
「いや、拙者怪しい者ではござらん!」
いや、そう言われても……人に化ける彷霊もいると聞くし──だが、穏やかで人(犬?)のよさそうな顔を見る限り、どうやら害意はなさそうだ。なんかプルプルと尻尾も振ってるし……
「えーと……」
戸惑いながら僕が声を掛けると
「拙者、小太郎と申す」
「はあ……」
「幽樹を退け、鬼火を射抜く、貴公らの活躍感服いたしました!」
「いえ……」
「拙者も一矢報いたく、機をうかがっておったが、この身一つではなかなかに……」
饒舌に語り始めた小太郎さんの話をまとめると、彼の主人が悪霊にさらわれ、城にかくまわれているという。救出のため単身乗り込んだが、大量の彷霊を前に身動きが取れず、難儀していたとのことだった。
助けてくれた礼を伝え、自分たちの名前や、県の職員であること、さらにその目的を伝えると、
「お役人でござったか、お勤めまことにご苦労に存まする」
そう言うと最後に頭を下げながら、こう続けた。
「なにとぞ拙者もご同行を!」
頭を下げる小太郎さん前にして
「どうする? トウマ」
そう言って、剣崎君が意味ありげな目で僕を見る。
(ああ……多分、連れて行っても……)
押し黙る僕らを前に
「是非に、是非に!」
武士の姿をした柴犬が、熱意のこもった目でこちらを見て、強く尻尾を振った。
結局、小太郎さんの熱量に負け、三人で天守閣を目指すことになった。
小太郎さんによれば、この城には逃げ口として使われる抜け穴があり、それを逆にたどれば天守閣へ行けるとのことだった。
案内された通路は、まるで洞窟のように暗く、デコボコした岩場の道が続いていた。先頭を歩く小太郎さんが、手にしたローソクで足元を照らしながら言った。
「お二人、お目が
(……いや、この眼鏡はそういうのじゃないです)
僕は心の中でやんわりと否定しておいた。
道は途中で、石階段に変わった。狭くて急な階段を、小太郎さんを先頭に、剣崎君、僕の順で進む。その石段を登りながら小太郎さんが口を開く。
「しかし……お役目とは言え、民のために尽くすとは、実に立派な心がけでござるなー」
「まあ……世のため、人のため、それが我らの本懐よ」
小太郎さんの影響か、剣崎君の日本語がおかしくなっていた。
「な、なあトウマ?」
照れたような声色で振り向く剣崎君。
「別に……」
「え?」
「言われたからやってるだけ、ただの仕事、それだけだよ」
「……」
突き放すような僕の物言いに、小太郎さんと剣崎君が黙り込む。
「お前ってやつは……」
しばらくして、呆れたように剣崎君がつぶやいた。
階段を抜けた先で、ふいに行き止まりに突き当たった。戸惑いながら周囲を見渡す僕と剣崎君。すると小太郎さんが、灯りを持ち上げて言った。
「あそこでござる」
見上げた先、薄明かりのなかに、頭上へと続く細い梯子が見えた。が、梯子は途中で止まっており、ここからではどうにも手が届かない。その横には、小さなレバーのような突起が見える。
「からくり梯子でござる。あのレバーを引けば、梯子が降りてくる仕組みかと」
なるほど。どうやら小太郎さんはあれのせいで、ここで足止めされていたようだ。
「──それなら」
眼鏡を押し上げながらそう言うと、僕は囁くように呪を唱えた。
「紙魔顕現──
スマートグラス越し、視界に映るそれに従い素早く印を結ぶ。すぐにふわりと空間が揺れ、黒羽の三本足の烏が現れた。
「頼んだよ」
僕の腕から飛び立った八咫烏は、静かに宙を舞い、器用にレバーに足をかけて引き下ろす。
ガラガラガラ──
仕掛けが作動し、梯子が音を立てながらゆっくりと降りてきた。
「ほぉーっ!」
感嘆の声を上げる小太郎さん。
「烏は賢き
(いや、畜生って……)
獣人の小太郎さんが言うとシュールに聞こえる。
パサッと静かな羽音をたて、僕の肩に戻ってきた八咫烏。気のせいか小首を傾げると、不満げな顔で小太郎さんを見ていた。
梯子を上った先、囲まれた壁の一部を小太郎さんが叩くとコトリと開いた。
目の前に広がる小さな板の間の空間。
身を屈め、こっそりと外を覗き見る。かなりの高さで、地面が遠くに見える。
そして、どんよりとした空の下──そこかしこに、彷霊の気配が漂っていた。ふわふわと宙をさまよう鬼火、徘徊する骸骨の武士たち、険しい表情で立つ巌鬼の姿も見える。
自分たちが悪霊たちの巣窟にいることを改めて実感する。
部屋の隅に目をやると、小さな木の階段があった。どうやらその先が天守閣へと通じているようだ。
その階段から、時折風に乗って流れ落ちてくる黒い霧──この城全体に漂う妖気の震源地が、この先にあると告げているようでもあった。
僕たちは息を殺しながら、その階段を一段ずつ静かに上っていった。