美香はとんでもない秘密を明かして、少し距離を縮めようと考えていた。
こんなファンタジーみたいな話、普通なら誰も信じないはず。だったら、自分の容姿が変わっていないことや、高校時代の思い出を語れば、証明になるかもしれない。相手の記憶を呼び起こして、もしかしたら相手の心を動かせるかもしれない。
ところが、彼は常識通りにいかず、いきなり「信じる」と言った。まるで美香に対抗するためにわざとやっているようだと、美香は疑った。
美香は微笑みを浮かべて続けた。
「だから、この家にはすごく思い入れがあるの。だって一昨日までここに住んでたんだもの。昔の同級生ってことで、私に売ってくれない?」
端整な顔立ちの男が美香を見て、相変わらず穏やかで知的な声で答える。
「無理だ。」
この男、本当に手強い。まあ、ライバルに情けなんてないか。
美香はどうにもならず、最後の切り札を出した。両手を合わせて、祈るような仕草をしながら――
「お願い、服部お兄さん!服部様!服部社長!」
昔なら絶対に服部遼介に頭を下げるなんてありえなかった。でも今は、屋根の下にいる身。
華やかな少女の瞳は懇願に満ちて、その姿はとても可愛らしかった。
服部遼介の心臓が高鳴り、ソファに置いた手が革に沈む。もう少しで「いいよ」と言いかけたが、必死に飲み込んで首を振った。
家を売ったら、もう彼女に会う理由がなくなる。
美香はそのままソファに倒れ込み、空中を叩きながら叫んだ。
「もうダメ!死んじゃう!」
服部遼介「……」
直樹「……」
直樹は思わず笑いそうになったが、場違いだし、問題も解決していない。咳払いをして注意した。
「姉さん、ここは自分の家じゃないよ」
美香はすぐに体を起こし、髪を整えて深呼吸した。
「じゃあ、服部遼介。部屋を一つだけ貸してくれない?私が昔住んでた部屋でいいから」
とりあえずしのいで、後で病院に行こうと思った。
十一年も経てば、医療も進歩しているはず。
服部遼介は眉を少し動かし、眼鏡を直して目の奥の輝きを隠した。
「部屋を貸す?」
直樹はそれならいいと思った。
他の人なら心配だけど、服部遼介は多分男が好きだし、それは良いことだ。
姉がこれほど誰かに頼むのを見るのは生まれて初めてだ。
もし姉が自分にこう頼んだら、何だってあげるのに。
でも服部遼介は全く動じない。だから絶対に普通の男じゃない。
「服部様、では私は隣の家を買います。買うまでの間は毎日姉を送り迎えしますし、姉は夜だけ寝に来ます。絶対にご迷惑はかけません」
直樹が補足した。
服部遼介がすぐに断らないのを見て、美香もすぐに同意した。
「そうそう!絶対に迷惑はかけないから!もし彼女を連れて帰っても、私は家政婦ってことにするから!」
迷惑どころか、むしろ彼はそれを望んでいる。
服部遼介は眼鏡越しに目を上げ、感情の見えない声で答えた。
「いいよ」
森村は本当に数年ぶりに驚いた。
家を売らないのに、部屋は貸すのか?この人、重度の潔癖症じゃなかったの?家政婦すら住み込み禁止なのに!
服部遼介が同意したのを見て、美香は嬉しそうに飛び上がり、くびれたウエストが少し見えた。
「やった!家賃は弟と相談して!私は先に寝る!」
頭がぐるぐるして、もう少しで倒れそうだった。
二人が反応する前に、美香はすでに速いスピードで階段を駆け上がり、髪がふわりと香りを残した。
服部遼介は気付かれないように深く息を吸い込んだ。
森村が慌てて聞いた。「旦那様、客間に案内しましょうか?」
服部遼介は手を振った。「彼女の方が君よりここに詳しいよ」
彼女はここに十八年住んでいた。
リビングには直樹と服部遼介だけが残った。
直樹は唾を飲み込み、水を一口飲んでから口を開いた。
「服部様、部屋を貸していただいてありがとうございます。家賃は月に百万円でいかがでしょう?」
服部遼介は穏やかな表情で眼鏡を直した。
「直樹くんだっけ?そんなに要らないよ、気持ちだけで十分だ。
君は会社の経営に専念しなさい。百万渡すよりいいだろう」
直樹は一瞬戸惑い、数珠を持った手で鼻をこすった。
「服部様のおっしゃる通りです」
頭の良い人はすぐに理解する。
この言葉は、明らかに自分への注意だ。最近の自分のスキャンダルは、服部様の耳にも入っているのか。
投資家として、投資先の動向には当然目を光らせている。
直樹はまるで生徒が先生に怒られているような気まずさを感じた。
沈黙が流れる。
服部遼介は柔らかい声で言った。
「ほかに用がなければ、もう帰っていいよ?」
直樹は顔を上げ、覚悟を決めて相手の目を見た。
「服部様。姉をどうかよろしくお願いします。さっきは『タイムスリップを信じる』と言っていましたが、たぶん社交辞令だったかと……でも、姉は本当に過去から来たんです」
こんな突拍子もないことを、服部遼介のような人を前にして言うのは、直樹にとっても勇気がいった。姉の心臓は本当に強い。
服部遼介の細く長い指が湯呑みを取る。瞳がわずかに動く。
彼は本当に信じていた。それ以外に彼女の容姿がまったく変わっていないこと、髪の先の枝毛まで昔と同じなことを説明できなかった。
「世界は不思議に満ちているからね」
服部遼介は軽く笑った。
さすがはビジネス界の巨頭、受け入れる度量が違う。
直樹は微笑み、ふと思い出したことがあった。
「それと、もう一つお願いがあります」
服部遼介が見つめる。
「何だい?」
直樹は慎重に言葉を選んだ。
「姉は転生前、瀬戸達也と恋人同士でした。いきなり十一年後に来ても、きっと瀬戸のことがまだ好きです。もしテレビを見る時……瀬戸の出演するドラマは避けてください」
こんな大物がテレビを見る暇あるとは思わないが、念のため釘を刺した。
服部遼介の目が一瞬陰り、湯呑みを握る指が白くなり、手の甲の血管が浮き上がる。
視線を伏せ、再び顔を上げた時には、もう穏やかで知的な表情に戻っていた。
「わかった、気をつけるよ」