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第13話 五時から煮込むなんて、聞いたことがない!


美香は子供のころからキラキラ光るものが大好きだった。金、ダイヤモンド、夜空の星々……。しかも、その顔立ちはまるで彫刻のように美しく、性格も愛嬌があって、どこに行っても注目の的だった。


両親はそんな彼女に、ひかりという愛称を付けた。


この愛称を知っているのは家族だけだ。

弟たちは普段呼ばない。両親だけが彼女をこう呼ぶのだ。


美香は最後に「ひかり」と呼ばれたのがいつだったか覚えていない。今の時点で考えれば、少なくとも十五年は経っている。


突然その呼び名が聞こえてきて、彼女の心臓はドキリと跳ねた。


服部遼介がどうして知っているんだ?


「君のニックネームはひかりなんだ?」

電話越しの声は、さっきよりずっとはっきりしてて、いつもの穏やかで知的な響きに戻っていた。


美香は眉をひそめた。「え?今、私のこと呼んだんじゃないの?」


服部遼介は電話を取りながら、ベッドから素早く体を起こし、乱れた寝具を手早く整えた。


彼はただ、ベッドで彼女の残り香を感じていたかっただけなのに、横になった瞬間に寝入ってしまったのだ。


一昨日も徹夜、昨夜もほとんど寝ていない。結局、眠気に勝てなかった。この卑怯な行動は昔と変わらない。


半分眠ったまま電話を取ってしまい、心の奥に二十年以上もしまい込んでいた呼び名を、無意識に口にしてしまった。


指先で手のひらの傷を強く押し、痛みで少しだけ意識をはっきりさせる。


ここで寝ているべきじゃなかった。これは彼女への冒涜だ! 

自分の長年の気持ちを悟られてしまったら、彼女はきっと引いてしまう! 

頭の中で考えがぐるぐる巡り、彼は慌てて説明した。

「今、ビデオ会議中でね。部下の娘さんも‘ひかり’って言うんだ。ちょうどその子に挨拶しただけだよ」


美香は目をぱちぱちと瞬かせた。「そんな夜遅くまで仕事なんて、さすが働き者だね。早くドア開けてくださいね」


やっぱり服部遼介がこの愛称を知っているはずがない。直樹はおしゃべりだけど、肝心なことはちゃんと守る人だ。


そういうことだったんだ。


「はい、すぐ行く」服部遼介が答えた。


「なんだよ、その愛称って?」隣の直樹が不思議そうに尋ねる。


美香は電話を切りながら、「なんでもないよ、誤解だって。服部遼介が会議で部下の娘さんに挨拶してたの。私が勘違いしちゃった」


直樹はちょっと眉を上げて、「そんな偶然ある?君たち、案外縁があるね」


美香は軽く彼の足を蹴った。「さっさと帰りなさい!」


数分後、彫刻のような模様のある大きな玄関扉が開き、白いシャツ姿の男が現れた。


銀縁の眼鏡、シャツのボタンはきっちりと喉元まで留めてあり、知的で禁欲的な雰囲気を漂わせている。まるで高嶺の花だ。


直樹は急いで前に出た。「服部様、こんな夜遅くにすみませんでした。今度はもう少し早くお送りします」


服部遼介は穏やかな表情で、「気にしなくていいよ。俺もまだ寝ていなかったから」


美香はお菓子を手にして中へ入り、振り返って直樹を睨みつけた。「帰り道、気をつけて」


扉が静かに閉じられた。


玄関からリビングまでは中庭を通らなければならない。服部遼介が彼女の後ろからついてくる。その影は、彼女をすっぽり包み込んでいた。


美香はその時やっと彼がとても背が高いことに気付いた。


「どうしてそんなに背が高いの?」彼女は振り返って尋ねた。


月明かりの下、男の眉目は深く、その気高いオーラが自然と周囲を拒絶するようだった。


鼻筋の茶色い小さなほくろが、妙に色っぽい。


美香はなぜか直樹の「長所を見つけろ」という言葉を思い出した。


たしかに一つ見つけた――服部遼介は、とても魅力的な顔立ちだ。


あまりにも品が良すぎて、いつも微笑んでいてもどこか近寄りがたい。


だけど、だからこそ、彼が感情をあらわにして取り乱す姿を見てみたい――そんな気持ちにさせられる。


「君だって背は低くないよ」彼は穏やかに答えた。


美香は顎を少し上げて、誇らしげに言った。

「でしょ! 私はまだ十八だよ。もっと伸びるかも!」


服部遼介の眼鏡の奥の視線は、月明かりに包まれて彼女に真っ直ぐ注がれていた。


庭の花々も、彼女の前では色褪せてしまう。


美香は上機嫌でリビングに入り、お菓子を置いた。

「服部遼介、これ好きに食べていいからね。遠慮しないで」


そう言うと、ぱたぱたと階段を駆け上がっていった。


服部遼介は彼女の後ろ姿を見つめ、また指先で手のひらの傷を強く押した。


ひかりはお菓子まで分けてくれるのに、自分は彼女を冒涜するようなことをしてしまった……


部屋に戻った美香は、もう一度シャワーを浴びてベッドに横になった。


なんとなく布団の中にまだほのかな温もりが残っている気がする。


この布団、保温効果がすごいな……と、深く考えずにしばらくスマホで遊んでから眠りについた。


翌朝八時ごろ、美香は目を覚ました。


身支度を整えて階段を下りると、キッチンから食欲をそそる香りが漂ってきた。


彼女は急いでキッチンの入り口へ向かった。そこには、黒いエプロンをつけてコンロの前に立つ男の姿があった。白く細長い手でお玉を握っている。


エプロンが腰にきゅっと締められていて、細身のウエストが際立つ。白シャツとの対比がなんともセクシーだ。


美香はなんとなく目を逸らし、鍋の中の黄金色の鶏ガラスープに気づいた瞬間、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。彼女は服部遼介の肩を軽く叩いた。

「服部社長、朝からこんなに栄養補給?」


服部遼介はほんの一瞬だけ体をこわばらせてから、穏やかな声で答えた。

「昨日、執事が煮込んだ鶏ガラスープだよ。これで麺を作ろうと思って」


美香は目を細めて笑った。

「賃貸人の私も一杯ご相伴にあずかれるかな?」


美味しいものの前では、プライドなんて気にしない。


彼女は鶏ガラスープの麺が大好きだった。瀬戸達也が高校三年のとき、よく届けてくれたものだ。


「もちろん」服部遼介の眼鏡の奥の視線が柔らかく微笑んだ。


入口に立っていた執事の森村は、思わず口元を引きつらせた——


昨日の自分は鶏ガラスープなんて作っていない!これは服部遼介が今朝五時から煮込んだものだ!


五時から煮込むなんて、聞いたことがない!森村はようやく気づいた。ご主人様はこの娘さんに惚れている。


「えっ、自分で作ってるの?料理人いないの?」美香は服部遼介が鍋に麺を入れるのを見ながら尋ねた。


執事がいる家に、料理人がいないはずがない。


「料理人は今朝、用事があってね」服部遼介は落ち着いた声で答えた。


森村はまたもや口元を引きつらせた——


どんな用事だよ! 実際は強制的に休暇を取らされたんだ!

料理人の田中は今朝、泣きながら電話してきて、あの高給で楽な仕事を失うのを怖がっていたのに……。


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