日差しが少し眩しくて、早乙女遥は帽子のつばをさらに下げた。日焼けしたくないのだ。
スマホを手に取り、時間を確認する。直樹に住所を送ってからすでに三十分が経っていたが、まだ来ていない。
ここから星輝まで車でせいぜい二十分の距離。まさか渋滞?
疑わしくなり、もう一度メッセージを送る。
【直樹くん、渋滞してるの?】
十分間が過ぎても返信はない。
早乙女遥は眉をひそめ、さらにもう一通送る。
【直樹くん、もう着いた?】
また十分が過ぎても、石のように音沙汰なし。
早乙女遥の眉間はすっかり険しくなっていた。
どういうこと?約束したのにまた消えるなんて。直樹って本当に信用できない!
アシスタントが小型扇風機で風を送ってくれていたが、彼女の顔色が変わったのを見て尋ねた。
「どうしました?藤原さんは来ないんですか?」
早乙女遥はイライラしてスマホを投げつけそうになった。
「連絡が途絶えたし、メッセージも返ってこないの!」
アシスタントは驚いた。
「そんなはずないですよ。あんなにいいチャンスを彼が逃すなんて?」
早乙女遥は目を細める。
「きっと、直樹のスマホは他の女に取られてるわ。その女がメッセージも返させないし、ここに来させないのよ!」
「誰ですか?彼のそばにそんな女が?」
早乙女遥は指が白くなるほどスマホを握りしめた。
「絶対にこの前写真に撮られたあの女よ!姉だって言ってたけど、どう見ても本当の姉じゃない、新しくできた女よ!彼女が邪魔したわ!」
アシスタントも憤慨した。
「藤原さんって本当に浮気者ですね!でも、もういいんじゃないですか?どうせ彼のこと好きじゃないし、瀬戸さんは毎日連絡してくれるし。そもそも藤原に近づいたのも瀬戸さんへの当てつけだっただけで、目的は達成したんでしょ?」
早乙女遥は歯を食いしばる。
「何が"もういい"よ!直樹は最初から私のものだったの!他の女が私のものを奪うなんて許せない!」
アシスタントは悟った。早乙女遥はこのまま引き下がれないのだ。
これだけ条件のいい自分を差し置いて、男が他の女のためにドタキャンするなんて、プライドが傷つく。
「でも、その女のこと知らないし、どうします?」
早乙女遥は少し考えて言った。
「この時間、藤原はだいたい会社にいるはず。出てこないってことは、あの女も会社にいる。彼の会社に行けば、きっと見つけられるわ!」
アシスタントは心配する。
「でも藤原さんもいるんでしょ?私たちが行ったら、その女に告げ口されるかも……藤原さんがどっちの味方するか分からないし。」
早乙女遥は鼻を鳴らす。
「私が何者か忘れたの?それに藤原とは私のほうが先に知り合ったのよ。あの女は後から入ってきたんだから、絶対に後ろめたいはず!」
アシスタントも納得する。
「あの女、どうせベッドの技だけでしょ。顔も遥さんのほうが上だし、演技力も比べ物にならない。私たちの勝ちですよ!」
二人は車で星輝へ向かった。道中、早乙女遥は足の「怪我」が目立たない気がして、化粧品でさらにそれらしく仕上げた。
──星輝、社長室。
「お姉さん、お茶どうぞ」
直樹は一番いい緑茶を選んで淹れ、香りが立ち込める。
美香は無視し、だらしなく社長椅子にもたれてスマホを見ていた。
黒い数珠は既にデスクの上に投げてある。
直樹はそれを取り返したいが、怖くて手が出せない。
この数珠は、彼が東京の浅草寺で手に入れたものだ。
会社が倒産寸前で、心身ともに追い詰められていた時、浅草寺がご利益があると聞いて、時間を作って行ったのだ。心を落ち着かせたかった。
その日、仏の前で長く跪き、立ち上がるとご住職が目の前にいた。
ご住職は合掌して言った。
「アミダブツ。ご祈願は何ですか?」
直樹は正直に答えた。
「仏様に、もう一つの世界にいるお姉さんが幸せでありますようにと願いました」
跪いたとき、頭の中はお姉さんのことだけだった。
ご住職が尋ねる。
「お姉さんはもう亡くなったのですか?」
その話になると、彼の目は赤くなる。
「ええ、交通事故で……」
ご住職は言った。
「ちょうどご縁があります。この数珠を、もし心から願うなら、私が開眼して差し上げましょう。数珠はきっとお姉さんを守ります」
直樹は涙を流す。
「ありがとうございます、ご住職」
その日、仏堂で丸一日跪いていた。
ご住職は数珠を手渡した。
「アミダブツ、仏様のご慈悲です」
それ以来、この数珠は決して手放さなかった。
間もなく桜坂キャピタルから出資が決まり、会社は蘇り、成長した。
すべて数珠のおかげだと信じている。お姉さんが戻ってきたことも、数珠の力だと思っている。
「お姉さん、俺が悪かった」
直樹は美香が黙っているのに焦りを感じて言った。
「怒るなら殴っても蹴ってもいいから、無視しないで!」
美香は無視したまま、椅子を回転させて竹内に向き直る。
「葵さん、会社の新社長、あなたがやれば?自信ある?」
竹内「……」
直樹は眉をひそめ、竹内をじっと見る。
竹内は賢い人間だ。美香の冗談だと分かっていても、答え方には気をつける。
「あります!」
竹内は答える。
直樹「……」
竹内の心臓はバクバクしていた。
自信を持て――それが美香に教えられたこと。冗談だと分かっていても、野心は本当だ。
美香はにやりと笑った。
「じゃあ、誰かさんはこれからのんびり配当金だけもらって遊びに行けばいいね。どこでも好きなところに!」
直樹「…………」
直樹は四本指を立てて誓う。
「お姉さん!これからはちゃんと働きます!仕事が大好きです!お願いですから閑職に追いやらないで!」
「ぷっ――」
竹内は思わず吹き出した。プロとして普段は笑わないのに。
いつもクールな藤原社長が、こんな子供じみたことを言い出すなんて、小学生みたいでおかしい!
美香は笑わず、淡々と直樹を一瞥した。
直樹は突然片膝をつき、深く頭を下げた。
「どうか姉上様、お許しを!」
「ぷっ――」
今度は美香もこらえきれず吹き出した。
竹内はさらに肩を震わせて笑う。
お姉さんが笑ったのを見て、直樹はやっと安心した。
美香ももう怒るのが面倒になり、手を振る。
「よし、もういいよ」
直樹は立ち上がり、改めてお茶を差し出す。
「姉さん、お茶どうぞ。本当にいいお茶です」
美香はわざと上品にそれを受け取り、一口すする。確かに美味しい。
直樹は竹内に目を向ける。
「竹内、ちょっと外に出よう」
竹内はすぐに笑顔を消し、緊張する。
──オフィスの前。
竹内は全身がこわばっていた。直樹は伏し目がちに見下ろす。
「何をそんなに緊張してるんだ?さっきは社長になるって言ったじゃないか」
竹内は唇を噛み、目を上げられない。
「私……」
直樹は穏やかな口調で言う。
「怒ってないよ。野心のない人間なんてつまんない。いずれ子会社の社長をやってもらうつもりだ」
竹内の目が輝く。
「本当ですか、藤原社長?」
直樹はお姉さんの人を見る目を信じている。
「俺が嘘をついたことある?それと、今二つ頼みがある」
竹内は口元に笑みを浮かべる。
「なんでしょう?」
直樹は言う。
「まず、デスクの上の数珠を取ってきてくれ。次に、今からいくつかアクセサリーを選んでくれ。一番綺麗なのをお姉さんに贈りたいんだ」
再びオフィスに戻ると、直樹は言った。
「お姉さん、重役たちが会議室で待ってるから、ちょっと行ってくる」
竹内はデスクの上の数珠を取る。
「美香さん、数珠もらっていきますね」
美香は頷き、何気なく尋ねた。
「この数珠、質いいね。どこで買ったの?」
竹内は答える。
「買ったんじゃなくて、藤原様が寺で手に入れたんです」
美香は気にせず言った。
「ふーん。二人とも用事があるなら、私のことは気にしないで」
オフィスには美香ひとりだけになった。
彼女は社長椅子を少し下げ、楽な体勢で映画でも観ようと思った。
その時、オフィスのドアがいきなり勢いよく開かれた。
怒りに満ちた女性の声が響く。
「直樹くんを引き止めて、私に会わせないのはあんたでしょ!?」