村での歓迎を受け、俺とルナ、そしてスライムはしばらくのんびり過ごしていた。
「リョウさんって、旅人なんですよね?」
薪を割っていたら、村の子どもが声をかけてきた。後ろからは、俺の背中にぴとっと張りついたスライムのスイーツがぷるんと揺れている。完全にくっついて離れなくなってしまった。少しひんやりしているから、薪割りでかいた汗を冷やすのにちょうどいい。
「まぁ、そんなとこだな」
「すっげー! スライムが言うこと聞いてる!」
わらわらと子どもたちが集まり、スライムをつんつん突きまわす。
「や、やめなさーい! この子は、リョウ様の大事な仲間なのですよ!」
ルナがわたわたと注意する。なんだかんだで、この女神も懐いてきた。というか、俺に対して妙に世話焼きになってきている。
「そういえばリョウ様、図鑑で調べたのですが──スライムは水辺を好む性質です! おそらく、あの川に放せばさらに成長するかと!」
「え、マジで?」
俺は図鑑をちらりと見る。確かに、ルナ手製の手帳に「スライム=水辺好き、湿度高い環境◎」と書かれていた。
試しに、川に向かって歩いてみる。スライムはぷるぷると小刻みに震えている。
「……ん? なんか嫌がってねぇか?」
「い、いえ! たぶん興奮してるのです!」
「そうか?」
ためしに川辺に近づけた瞬間──
「ぷぎゃあああああああっっ!!」
スライムが水面に落ち、まるで石けんが泡立ったようにシュワシュワと溶けかけた。
「おい! 全然水得意じゃねえじゃねぇかっ!!」
「ふぎゃあっ!? ま、まさか図鑑がっ!? 間違ってっ!? いえええええっ!!」
慌てて引き上げる。スライムはぐったりと、へにょんと潰れていた。命に別状はないが、トラウマレベルの顔をしている。スライムに顔があるかは知らんが。
「すまん、俺が信じたばっかりに……」
「うわあああんごめんなさーいっ!!」
ルナは涙目で図鑑を見返し、がばっと地面に座り込んで手書き修正を始めた。
『水辺 → × / 乾燥気味 → ◎ 訂正者:ルナ』
「……お前、本当に神様か?」
「新人ですぅぅ……うぇええん……」
仕方ない。俺はスライムを膝の上でタオルに包みながら、こう思った。
――戦えない俺にできることは、食わせること。癒すこと。間違いはあっても、前を向かせてやること。
だから、今日はとっておきの料理を作ろう。
その日の夜、村ではささやかな宴が開かれた。
「ほぉぉぉっ、この香ばしい匂い……なんて美味そうなんじゃ……!」
「これ、猪の肩肉!? こんな柔らかいの初めてだ!」
村の連中は目を丸くしながら、俺の作った“猪のハーブグリル”を頬張っている。
もちろん、スライム用にはしっかり出汁でとろとろ煮込んだスープも用意した。スライムはぴょんぴょん跳ねて、最後には俺の足元で寝ていた。
「やっぱり、リョウ様のエサはすごいです!」
「料理って言え、せめて」
隣でルナが笑っている。図鑑も、いまだに手書きで修正しながら。
戦わなくてもいい。派手な魔法がなくてもいい。俺は、俺にできることで、誰かを笑顔にする。
そう決めたんだ。
『スキル【エサ】──戦わずして、世界を変える』
そんな可能性だって、あるかもしれないじゃないか。
ルナはしょんぼりとした顔で、図鑑のページをめくっては書き直している。
「やっぱり私、向いてないのかもしれません。神様としても、案内役としても、全部中途半端で……」
ぽつりと漏れたその声に、俺は思わず手を止めた。
「最初の図鑑、全部お前が手書きしたんだよな?」
「はい……自分なりに調べて。でも、ちゃんと確認しきれてなくて」
「なら、それでいいさ」
「えっ?」
「完璧じゃなくても、一歩ずつ前に進んでる。それって、俺から見たら十分すごいぜ」
ルナは驚いたように目を見開き、そっとページを閉じた。
「ありがとうございます。リョウ様のそういうところ、本当にずるいです」
「褒められてんのか、それ」
「ふふっ。もちろんですっ」
そのとき、村の広場から叫び声が上がった。
「火だっ! 料理場の火が風で飛んだぞっ!」
慌てて駆けつけると、焚き火の火が隣の藁屋根に飛び移っていた。子どもが近くで立ち尽くしている。
「おい、危ねぇっ──!」
瞬間、スライムがぴょんと跳ねて飛び出した。
「おいバカ、戻れ!」
スライムは小さな身体で火に飛び込み、ぐいぐいと火の粉を吸収していく。まるで、体内に取り込んで分解しているかのようだった。
数分後、火の勢いは止まり、子どもは無事に保護された。
「す、すげえ……火を飲み込んだ……?」
「あのスライム、リョウさんの……?」
ざわついていた村人たちの目が、次第に尊敬と驚きの入り混じったものへと変わっていく。
「リョウさん……。あんた、ただの料理人じゃないな……」
「こいつがすごいだけさ。俺は、エサをやっただけ」
スライムは誇らしげにぷるんと揺れ、俺の足元に転がった。
ルナがそっと近づいてきて、ぽつりとつぶやいた。
「やっぱり……リョウ様の料理には、ただの味だけじゃない“何か”があるんですね」
「そりゃまあ、気持ちは込めてるからな」
「それが……きっとスキル【エサ】の“本質”なのかもしれません」
その言葉に、俺は少しだけ空を仰いだ。
この異世界で、俺にできることは多くない。けれど──
「もう少し、この村にいようか」
そう決めた。料理で仲間を増やし、誰かの役に立つ。戦わずして、俺なりのやり方で。
夜。寝床の脇で、ルナは図鑑を開いていた。
「リョウ様、スライムの項目を修正しました。“火に強い”って」
「今度はちゃんと合ってるといいがな」
「もちろんです! なんてったって、実体験ですからっ!」
図鑑のページには、こう書かれていた。
『スライム:甘いものが好き。湿気は苦手。火には強い。情に厚く、主人思い。ご飯が美味しいと機嫌がいい。──ルナ調べ』
その文字は、少し歪んでいたけれど、間違いなくあたたかかった。
俺の異世界生活は、まだ始まったばかりだ。