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第4話  私の図鑑、信じてください!

 翌朝。村は朝日とともに活気づいていた。鳥のさえずりと、薪を割る音、遠くで子どもが笑う声。世界は、静かに動き始めている。異世界で暮らすのも悪くはない。


「リョウさん、おはよう! 今日は一緒に〈ハニービーの蜜〉取りに行こう!」


 元気よく手を振ってきたのは、ごちそう係のマイ。昨日の料理で完全に打ち解けたらしい。バスケット片手に、笑顔満開でこちらに駆け寄ってくる。


 やたら距離が近い。昨日までの警戒心はどこいった。料理は、すべてを解決するということなのか……?


「ハニービーって、モンスターだよな? 襲われたりしないのか?」


 俺が思わず眉をひそめると、マイは屈託のない笑顔で頷いた。


「大丈夫大丈夫! ルナちゃんの図鑑だと“温厚で人懐っこい”って書いてたし!」


 ……おい。


 隣にいたルナが、わずかに目をそらした。嫌な予感が、胃のあたりにズシンとくる。


「念のため聞くけど……“近づいちゃダメなエリア”とかは……?」


「うーん? 書いてなかったような?」


 嫌な予感が、確信に変わる。


 俺は無言でルナに視線を向けた。すると女神は、「あわわ……」と肩を縮め、手作り図鑑をパラパラとめくり始めた。


「えーっと、《ハニービー:花畑で蜜を集める心優しいモンスター》……ですねっ!」


「巣に近づいたときの注意書きは?」


「……うっかりページ破いちゃったかもですっ!」


「ダメじゃん!!」


 案の定である。ルナ調べ、の信頼度はやはり限りなくゼロに近い。


 そんなわけで、俺は今日もルナの手作り図鑑ミスに振り回されながら、異世界の朝に出かける羽目になった。





 森の奥。陽がよく当たる丘の上に、それはいた。


「でかいな」


「でかいね……」


 体長はゆうに二メートル。金色の体毛が日差しを反射し、ぶぅん、ぶぅんと巨大な羽音を立てながら浮かぶその姿は、まるで暴走族のマスコットだ。


 だが、意外にも動きは穏やか。今のところ、敵意らしきものは見えない。


「花の蜜を集めてるだけっぽいよ?」


「ルナの図鑑が本当ならな」


 俺はそろりと巣に近づき、木に吊るされた壺をのぞき込んだ。中には、黄金色に輝く粘液──蜂蜜がたっぷり詰まっている。


 マイが身を乗り出すようにして興奮気味に声を上げた。


「すごい! これ、今朝採れたての蜜だよ!」


「取っても大丈夫なやつか?」


「うん、見てて……こうやって――」


 彼女が巣に手を伸ばし、蜂蜜をすくい取ったその瞬間。


 ――ブォオオン!


 空気がうなりを上げ、ハニービーがバッと空に舞い上がる。巨大な羽を震わせながら、頭上からこちらを見下ろしている。


 その大きな瞳に、さっきまでの穏やかさはない。明らかに怒っている。


「え、なに、怒った!? 草食じゃないの!?」


「だから言ったろ、ルナの図鑑は信用ならんって!」


 俺の声が裏返る。針のような口先が、明確にこちらを狙っている。


「に、逃げてーっ!!」





 俺とマイは木陰に隠れて、息を潜めていた。ルナはというと――なぜか木の上でガタガタ震えている。


「えぐい……ハニービーえぐい……。図鑑直しときます……」


「いいから対策考えろ」


 怒り狂うハチの羽音が、まだ近くで響いている。こちらを見失ったらしいが、油断はできない。


 俺は思い出す。さっき見た図鑑の一文。


《花の香りや甘味に強く反応する》


 ……なるほど、なら。


「マイ、あの蜂蜜と、この小麦粉と卵、借りてもいいか?」


「え、料理するの!? この状況で!?」


「料理でどうにかするしかないのが、俺の異世界生活だからな」


 木の根元に、小さなフライパンをセットする。バターを溶かす準備はOK。火はルナが魔力で点けてくれた。ようやく女神らしい仕事をしてくれた。


 俺は深呼吸をしてから、手際よく素材を扱い始める。


 まずは、小麦粉と卵を混ぜ合わせ、生地を作る。そこに蜂蜜を加えて、なめらかに整える。


 フライパンにバターを落とすと、じゅわっと甘い香りが立ちのぼった。


 俺は静かに笑みを浮かべながら、生地を流し込む。


 ――じゅわ、じゅわ……


 焼き色がつくまでじっくり待ち、ひっくり返す。蜂蜜をたっぷり塗り、もう一枚重ねて──


「はい、完成。蜂蜜パンケーキ、できあがり」


 ふわふわのパンケーキに、花びらを散らして彩りもばっちりだ。


 森の中に、甘く香ばしい匂いが漂っていく。


 そのときだった。


 ――ブオオオン……


 ハニービーがぴたりと動きを止めた。


 そのまま、香りに誘われるように、ふらりと俺たちの前へと舞い降りてくる。


「……来るぞ」


「お、おいしくないフラグじゃないよね!?」


 三人で固唾を飲んで見守る中、ハニービーは俺たちを攻撃せず、そっとパンケーキに口をつけた。


 ぺろ、ぺろ……。


『スキル【エサ】発動──ハニービーをテイムしました』


 脳内に響いた機械音に、俺はガッツポーズを決めた。


「っしゃああああ!!」


「料理で懐いたああああ!!」


 木の上から、ルナがずるっと落ちてきた。


「す、すごい……こんな状況でも飯で解決……まさに、ご主人さまっ!」


「だから勝手に懐くなって」





 村に戻ると、マイは興奮気味に村長へ報告していた。


「この人すごいの! ハニービーを、パンケーキでテイムしたの!」


 村人たちの目が、一斉にこちらに向いた。やけに真剣な表情だ。


 数秒の静寂。


 次の瞬間。


「「「うおおおおおおおっ!!」」」


 歓声が弾け、俺はなぜか担ぎ上げられた。スライムのスイーツごと一緒に持ち上げられている。


「今夜は宴だ! 蜂蜜のパンケーキで祝うぞ!」


「ま、まあ悪くないか……」


 異世界でも、料理があればなんとかなる。


 ――そう思いながら、俺はルナとスライムと一緒に、村の広場に湧き上がる甘い香りの中へ歩いていった。

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