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 翌朝、深侑は妙に暖かい感覚で目を覚ました。


 昨夜は雨音を聞きながらアルトと一緒に眠ったはずなのに、体に感じる温もりがアルトのそれとは違う気がする。なんせ、眠る時は腕に感じていたもふもふでもちもちな触感がなく、もっと大きくて、もっと硬くて――そう、まるで、人間のような触り心地だ。


「んん……?」


 寝ぼけ眼で周りを見回そうとした深侑だったが、何かに阻まれて思うように動けない。頭と腰をがっちり固定されいるようで、目を開けた先には白い肌の色が広がっていた。


「え……?」


 昨夜は確かにアルトを抱いて眠ったはずだが、一晩経つと深侑は誰かに抱きしめられていた。ダラダラと背中に冷や汗が流れる深侑がゆっくり視線を上げると、エヴァルトが無防備な寝顔を向けていたのだ。


「ちょ、ちょっと……え!? 小公爵様!?」


 深侑が慌てて声をかけると、エヴァルトはゆっくりと目を開けた。ダークグリーンの瞳が深侑を見つめてぼんやりとしていたが、深侑の頭を固定していた手を顔に移動させ、彼の熱い指が頬をするりと撫でた。


「んっ……!?」


 そのまま彼の顔が迫ってきたかと思うと、エヴァルトは自然な動作で深侑の唇に自分の唇を重ねた。柔らかく、温かい感触に深侑は目を見開いて固まってしまう。今、自分に触れているのは確実にエヴァルトの唇で、彼はぺろりと深侑の唇を舐める。その感触に驚いて体を震わせ、深侑は我に返ってエヴァルトの胸元を叩いた。


「し、しっかりしてください、小公爵様!」


 深侑が叫び声にも似た声を上げると、彼はやっとダークグリーンの瞳を見開いて覚醒した。


「……あ」

「あ、じゃないですよ! なんで俺のベッドに!? それに今、き、キスしました……!?」

「え、ええと……あの……寝ぼけていて……」


 自分の手が深侑の腰を引き寄せ、顎を固定して口付けをしていたと認識したのかバツが悪そうに離れようとしたけれど、彼が何も着ていないのを見て深侑はぶわっと顔を赤くした。


「しょ、小公爵様、なんで服……っ!」


 深侑が言いかけて言葉を詰まらせ、顔を真っ赤にしている深侑の様子にエヴァルトはやっと自分が何も着ていないことに気がついたらしい。深侑は顔を逸らしながらシーツを手繰り寄せると、エヴァルトは「すみません、先生」と言いながら薄いシーツを体に巻きつけた。


「どういうことですか? 何で小公爵様がこの部屋に……って、アルトは!?」


 一緒に眠っていたアルトがいないことに気がついて辺りを見回してみたけれど、愛おしい黒いふわふわは見つからなかった。


「昨日、アルトがレアエル殿下の離れまで来ていたんです! 雨が降っていたからずぶ濡れになってしまって、お風呂に入って一緒に眠ったんですけど……!」

「先生、落ち着いてください。アルトは無事ですから」

「無事って、どこにもいないんですよ!?」

「大丈夫です、先生の目の前にいますよ」

「なに言ってるんですか! 飼い主ならもっと焦ったほうが――」


 そこまで言いかけて、深侑は言葉を飲み込んだ。エヴァルトがじっと深侑を見つめていて、そのダークグリーンの瞳に一瞬『アルト』を思い出してしまったのだ。


「実は……アルトは私なんです」

「は?」

「私が、アルトの正体です」

「……はい?」


 深侑は首を傾げながら、エヴァルトの言葉を頭の中で何度も反復した。しかし、どう考えても理解できない。


 ――小公爵様がアルト? アルトってポメラニアンの犬だったよね?


 何度も何度もエヴァルトの言葉を理解してみようと努めてみたが、意味が分からなさすぎて深侑の頭は爆発寸前だった。


「……アルトは、ポメラニアンの、わんちゃんですよね……?」

「そうですね。黒いポメラニアン」

「でも、小公爵様は人間ですよね?」

「先生のおっしゃる通りです」

「はぇ……?」


 全てをエヴァルトから肯定され、更にわけが分からなくなってしまった。そんな深侑を見て「混乱するのも無理はありません。順を追って説明しますね」とエヴァルトは苦笑した。


「実は、とある事情がありまして……ストレスや疲労が極度に達すると、ポメラニアンになる呪いがかかっているんです」

「呪い!?」

「はい。ちょっと、ある人を怒らせてしまいまして……かれこれ一年ほどこの体質と付き合っていますよ、はは」

「笑い事じゃなさそうですが……?」


 エヴァルトの話では、一年前に魔獣が現れた頃にアルテン王国に祀られている愛と創造の女神を怒らせたらしい。女神は普段姿を表さない存在らしいが、祀られている聖堂が魔獣に襲われ、出動したのがレイモンド騎士団だったという。


 そこで襲われていた女神を助けたはいいのだけれど、愛と創造の女神の姿が魔獣より恐ろしかったのだとか――


「まぁ、私も初めて女神様のお姿を見たもので……人外だなと思ったらそれが声に出てまして」

「……意外とそういうところがあるんですね、小公爵様って」

「良く言えば素直だと言われます。悲しませるつもりはなかったんですけどね……」


 ついうっかり、女神の顔を怖いと言ってしまったものだから、怒った女神からポメラニアンになる呪いをかけられたらしいのだ。完全に自業自得だが、呪いを解く方法は分からないらしい。


「ポメラニアンから人に戻る方法は……?」

「極度のストレスや疲労でそうなるので、甘やかしてもらうと元に戻るんです。昨日は至れり尽くせりでしたから、眠っている間に戻ってしまったようで」


 エヴァルトの説明に、深侑は改めて昨夜のことを振り返る。つまり、昨夜一緒にお風呂に入り、同じベッドで眠った可愛いポメラニアンは、実はこの胡散臭い笑顔のエヴァルトだったということなのか。


「うわああああ! 恥ずかしい! 全部忘れてください!!」

「はは。でも先生のおかげで元に戻りましたから」

「そっ、れはそうかもしれないですけど……俺の中の何かが失われた気がする……」


 深侑が両手で顔を覆って悶えていると、エヴァルトは申し訳なさそうにしながら深侑の頭を優しく撫でた。




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