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「では、そろそろ寝ましょうか」


 エヴァルトに促されてベッドに横になった深侑は、布団の中でも緊張で体が強張っていた。普段は左側を下にしないと眠れないのだが、そちら側にエヴァルトがいるので恥ずかしくて顔を向けることができないまま、ひたすら天井だけを見つめていた。


「先生、そんなに端に寄らなくても大丈夫ですよ」

「で、でも……」

「私がアルトになってしまったら困るでしょう? もう少し近くに」


 エヴァルトの言葉に、深侑は仕方なく彼のほうへ少しだけ移動した。すると、エヴァルトの腕が深侑の腰に回される。身を捩って逃げてみようと思ったけれど、先ほど膝に乗っていた時と同じようにがっちりと体を固定されエヴァルトに抱きしめられるような形になってしまった。


「ちょ、近すぎます……!」

「これくらいが丁度いいんです。先生の体温が感じられて、とても落ち着くので」


 エヴァルトの吐息が首筋にかかって、深侑はキスマークをつけられた時のことを思い出す。あの時も熱い息が肌に触れて火傷しそうだったことやくすぐったさが蘇ってきて、ぶるりと体が震えた。


「あの、小公爵様」

「どうしました?」

「アルトになってしまうという呪いと一年付き合ってきたって言ってましたけど……この一年はどうやって過ごしていたんですか? 小公爵様の話だと、自動的に元には戻らないんですよね?」


 このままだと眠れそうにないのと、深侑だけが緊張していると悟られるのは癪なので、エヴァルトの過去を聞いてみることにした。すると今まで柔らかい表情を浮かべていた彼の瞳から温度が消えたように見えて、ピリッとした空気に深侑は息を呑んだ。


「……まぁ、先生に黙っているのはフェアではないですね……」

「どういう意味ですか?」

「実は、私には婚約者がいたんです」


 婚約者という言葉が、なぜか深侑の心に重くのしかかる。少し考えてみたら、ここは異世界で貴族制度が導入されている世界。深侑や莉音がいた世界とは違って婚約者がいるのは何らおかしいことではないし、そうやって家が存続していく仕組みは当たり前だ。


 深侑は少なからずエヴァルトにとって自分は特別なのかもと思っていたけれど、そんなことはなかったのかもしれないと思うとショックを受けている自分に気がついた。


「その婚約者がサポートしてくれていたんですよ」

「そうなんですね……」


 その婚約者もエヴァルトの膝に乗って彼の頭を撫でて、すぐに肌が露出してしまうようなガウンを着させられてキスマークをつけられたり、満足した合図に唇の端にキスをしてもらったりしていたのだろうか。そして、そのあとはこうしてエヴァルトにベッドに――


 そんなことを考えると胸が押しつぶされそうなほどモヤモヤしてきて、自然と深侑の唇が尖った。


「……ていうか! 婚約者がいるなら俺は……っ! これって不貞行為になりませんか!?」


 婚約者に嫉妬している場合ではない。この状況をその人に見られたらややこしいことになるのではと焦った深侑が無理やり起き上がると、エヴァルトから手首を掴まれた。


「もう婚約者ではないので大丈夫です」

「え? 婚約者じゃない?」

「はい。あちらが不貞行為を働いて、恋人と共に消えました」

「消えた!?」

「そうです。だから先生が気にすることはありません。それに、その人にはこんなこと頼んでいませんから安心してください」


 くいっと腕を引かれ、起き上がった深侑はエヴァルトの腕の中に逆戻りする。彼の厚い胸板に頭を預けると規則正しい鼓動が伝わってきて、婚約者の話に焦っていた深侑は安心した。


 婚約者にはこんなことはしていないと言うエヴァルトの言葉に、バカみたいな期待をしてしまう。自分はこんな性格ではなかったはずだが、どうしてエヴァルトに婚約者がいたことで心がモヤモヤしてしまったのだろうか。


「元々、そこまで良好な関係ではなかったんです。私は忙しくてあまり構う暇もなく、そんな私をつまらない男だと常々言っていましたから」

「そうなんですか……」

「ただ、彼に触れられると人間に戻った。だから彼にお願いしていたんです」

「彼……? 婚約者だったんですよね?」

「はい。家柄同士の結びつきですから、別段珍しいことではないですよ」


 ――女性が相手のほうが、何となくよかった気がする。


 なんて、婚約者の正体が男性だったことに深侑はまた胸がざわついた。エヴァルトはそういう関係ではなかったと言うけれど、彼は深侑とは違って慣れている感じがするのだ。婚約者がいなくなったあと、今は違う男性の恋人がいるのでは――そう思っている深侑の気持ちが分かったのか「先生だけですよ」と耳元で甘く囁かれた。


「先生とは、自分の深いところで繋がっている気がするんです」

「へ……?」

「私もアルトも、本能であなたを求めている感じが……だから先生に触れられると気持ちがいいし、嬉しくて癒されるんです」


 深侑の手のひらに唇を押し付けて、ぺろりと舐めるエヴァルト。挑発的なダークグリーンの瞳がじっと深侑を射抜いて「先生じゃないと駄目なんです」と言われれば、深侑にはもう何も言えなかった。




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