「エヴァルト、ミユ、今までどこに行ってたんだ! 随分探したんだぞ!」
「本当にすみません、殿下……」
「この僕に屋敷中を歩かせるなんてお前たちくらいだな!」
「申し訳ありませんでした。今後の授業方針などを話し合っていまして」
さも本当のことかのようにエヴァルトの口からペラペラと嘘が飛び出してきて、その逞しさに深侑は関心した。エヴァルトはポメラニアンになる呪いのことを悟られないようにこの一年過ごしてきたと言っていたけれど、彼の外面の良さには目を見張るものがある。
深侑が生きていた世界にエヴァルトが生まれていたら大企業の社長になるか、世紀の大詐欺師といったところだろうか。
「そういえばお二人に話そうと思っていたことが……急ですが、明日から遠征に行かねばならなくなりました」
「遠征ですか……?」
「はい。聖女様の護衛として、レイモンド騎士団も協力を要請されたんです」
「今回の聖女はもうそんな力を?」
「いえ、結界の張り直しはまだ先のようです。ただ、魔物を生み出すポータルが各地に頻出していまして……そのポータルを閉じるための遠征を行うと」
「放置しておけば、国民に甚大な被害を及ぼすか……」
「そういうことです、殿下。王太子殿下も遠征にご参加なさるということです」
「は!?」
深侑には想像もできないほど大変で過酷な遠征になると予想されるが、莉音の心配をする深侑の隣でレアエルが動揺の色を含んだ声を上げた。
「なんであいつも一緒に? 遠征で死ぬ可能性もあるだろう?」
「ちょっと待ってください。そんな遠征に矢永さんも同行するんですか?」
「落ち着いてください、二人とも。まず聖女様は加護があるため、ある程度の安全は確保されています。ポータルを閉じるのも聖女様にしかできないので、同行はしてもらわねばなりません。王太子殿下についてですか、この国の第一王子としてご自身の目でしっかりと現状を把握したいそうです。王太子殿下には聖女様と同じく騎士の護衛がつくので、大丈夫ですよ」
「僕が心配しているのはあいつの安全じゃない」
ギリっと奥歯を噛み締め、血の底を這うような声を出すレアエルに深侑の体は電流を受けたかのような衝撃を受けた。12歳の少年が出せるような声と雰囲気ではなかったのだ。
初めてレアエルに挨拶をしにきた時に王太子であるレインを嫌っていると知ったし、その時のレアエルも12歳とは思えないほど重い雰囲気を醸し出していたけれど、今とは全く比にならない。
「僕があいつを殺すまで、死なれては困る」
ぽつり、呟かれた言葉に深侑はごくりと唾を飲み込んだ。レアエルの憎しみは王妃と王太子に向けられているとエヴァルトから聞いていたが、自らレインの命を手にかけたいと言うほどだとは思っていなかった。
「……殿下、目先の憎しみだけに囚われないでください。あなたがそんな感情を王太子殿下に向けることを、亡くなったお母上は望むでしょうか?」
「黙れ。どの口が言うんだ、エヴァルト」
レアエルの発言に深侑はゆっくりとエヴァルトを見やった。そんな話は知らないけれど、彼もまた『憎しみ』を抱く対象がいるのだろうか。
「他の男と逃げた婚約者を追っていると知ってるぞ。お前だって自分を捨てた婚約者のことが憎いから行方を追っていて、殺したいと思ってるんだろ?」
「……そんなことはありません」
「ミユは知らないかもしれないが、婚約者が失踪してからエヴァルトはしばらく笑いものになっていた。“男を選んだ挙句逃げられた”とな。笑いものにされたんだ、憎むのも無理はない」
婚約者がいなくなった話は深侑も聞いていた。婚約者が男性だと知って驚いた深侑に『いい家柄同士の結びつきだから珍しくはない』と言っていたのだ。だからこの世界では同性婚も当たり前で、いい環境なのだなと思っていた。
でも今のレアエルの口ぶりだと、どうやら違うらしい。エヴァルトは自ら元婚約者の男性を選び、結婚をして幸せになろうとしていたのだろう。
「憎しみとは関係ありません。私が彼を探しているのは、婚約破棄の書類にサインをしてもらうためです」
「ハッ、僕が子供でもそれが建前だと分かる。相手のサインなんかなくても、お前ならすぐ破棄できるだろうに」
「……円満に解決をしようとしているのです。殿下にはまだ分からないかもしれませんが」
「エヴァルト・レイモンド。口を慎め」
冷たく言い放つレアエルにエヴァルトは一歩後ずさり、頭を下げる。「申し訳ありません、殿下」と謝罪するエヴァルトの後頭部を見下ろしていたレアエルは、ふんっと鼻を鳴らして顔を背けた。
「絶対にあいつを死なせるな。命令だ」
「承知しました」
「お前は僕の駒だ。お前が死ぬことも許さない」
「……はい」
「今日はもういい。二人とも下がってくれ」
レアエルから退出を促され、気まずい空気のまま深侑とエヴァルトは離れの屋敷を出た。