目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報



「先生、私は遠征の準備があるので王宮に向かいます」

「そうです、か……」

「今夜、先生の時間をちょうだいしても?」


 馬車の中に乗り込んだ深侑に「私の部屋に来ていただけませんか」と言われ、反射的に何度も頷いた。そんな反応が嬉しかったのか分からないがエヴァルトは優しく微笑んで、深侑とは別方向に去っていった。


 そしてその日の夜、先日エヴァルトが買ったのだと言っていたガウンを着た深侑は彼の部屋を訪れていた。


「時間をいただいてすみません、先生」

「そんな、全然……遠征の準備は大丈夫ですか?」

「大丈夫です。滞りなく出られると思います」


 エヴァルトも先日と同じように襟元が楽に開いたシャツと、緩いズボンを着用していた。今日はエヴァルトから指定されていなかったけれど、彼が購入したガウンを着て部屋を訪れた深侑を見て満足そうに笑った。


「先生」


 その声色だけでエヴァルトが何を求めているのか分かる。『これはマスター業務の一環だから』と頭の中で何度も何度も呟いて、深侑はエヴァルトの膝に腰を下ろした。


「はぁ……ありがとうございます」


 簡単のため息をつきながら深侑の腰を抱き、胸元に顔を擦り寄せるエヴァルト。大分疲れている様子の彼に耳の垂れたアルトを思い出し、深侑はそっと頭を撫でた。


 エヴァルトを撫でていると、サラサラの髪の毛に指が通っていく感覚が深侑自身にとっても何だか心地よい。実際はふわふわのポメラニアンなのに、まるで大型犬を手懐けている感覚に陥った。


「……なにか、聞きたいことはありますか?」

「小公爵様が話したいことなら、聞きますよ」

「ふ、あなたは本当に“先生”ですね」

「褒め言葉として受け取っておきます」


 深侑としては聞きたいことはいくつかあるけれど、それを聞いて返事を強要するのは違うと思っている。相手が話したいと思うことを聞きたいのであって、無理やり聞き出したいわけではない。そう言うとエヴァルトは深侑の胸元でくすりと小さく笑った。


「では、まず……私は別に、レアエル殿下の駒ではありません。どちらにも肩入れしていない、と言ったほうが正しいかもしれませんね」

「肩入れしていないようには見えませんが……前にも言ったように、レアエル殿下と小公爵様はご兄弟に見えるほど仲がいいなって思います」

「その部分については私の甘さですね」

「え?」

「……殿下には、そういう大人が必要だと思っていたから」


 父親である国王陛下は第二王子にはさほど興味がなく、レアエルが信頼できる人物は実の母親だけだった。その母も亡くなり、彼に残ったのは母と過ごした思い出のある離れの屋敷だけ。母が亡くなり、レアエルを肯定してくれる人も、甘やかしてくれる人も、信じてくれる人もいない状況をエヴァルトは不憫に思ったそうだ。


 自分だけは『そう』あってもいいのではないかと、少しの甘さと情が二人を本当の兄弟のように見せていたのだとエヴァルトは語った。


「……俺も、そういう大人が一人いてもいいと思いますよ」


 エヴァルトの頭を撫でながらそう言うと、彼はふと顔を上げる。そして顔を傾けて深侑の手のひらに唇を押し付けた。


「それと、婚約者の件につていですが……」

「行方を追っているっていう話ですか?」

「はい。殿下が言っていた話は事実です。でも、きちんと婚約解消をする手続きのために探しているだけで、憎んでいるとか未練があるとかそういう感情は一切ありませんから」

「それは別に、俺に弁解しなくても……」

「ミユには誤解してほしくなかったので」

「な、なんで名前……っ」


 エヴァルトから不意に名前を呼ばれると赤面する癖がついてしまったのか、彼の低い声に反応して条件反射のように顔に熱が集中する。俯いたらエヴァルトと目が合ってしまうので背けようとしたのだが、それよりも先に深侑の顔に柔らかい髪の毛が当たって、すりっとエヴァルトの頬が深侑の顔に触れた。


「誓って、誰にでもこんなことはしません」

「しょ、こうしゃくさま……」

「ミユにだから、求めているんです」


 彼が言っているのは『マスターとしての業務』の話だと頭の中では理解しているけれど、エヴァルトの言葉がまるで深侑自身を求めているようで、とくんとくんと心臓が甘く脈打った。


「いつ帰ってこられるか分かりませんが、誰にでも許しては駄目ですよ?」

「何をですか?」

「こうやって抱き合ったり、触れ合ったり、同じベッドにいたり……です」


 エヴァルトの膝に乗っていた深侑の体がふわりと浮いたかと思えば、次の瞬間には柔らかいベッドに体が沈んでいた。それはエヴァルトも同じで、彼は深侑の隣に寝転がってこちらを見つめていた。


「ミユ、遅くなりましたがプレゼントです。寝転がったままでは格好がつかないですが」

「あ、これ……」


 ひんやりと冷たい感触。そちらを見ると、ゴールドを基調とした華奢なブレスレットが深侑の腕に輝いていた。


「全く同じものだと不審がられるかもと思ったので、私はネックレスにしました。あなたの飼い犬だと分かるように」


 そう言われて気がついたのだが、エヴァルトの首元に同じデザインのネックレスが輝いている。深侑は彼を飼い犬だなんて思ったことはないけれど、もしもアルトになった時に首輪になるように魔法をかけると言っていたのでネックレスにしたのかもしれない。


 ブレスレットをつけてもらったほうの腕を伸ばしてエヴァルトのネックレスに触れると、その上からエヴァルトが深侑の手を握った。


「もしかしたら長くかかるかもしれませんが、毎日あなたの体温や手の感触を思い出します」


 もちろん莉音のことも心配だけれど、それと同じくらいエヴァルトのことも心配になった。この世界に来て初めてエヴァルトと長く離れる可能性を考えて不安になったが言葉にできず「お気をつけて……」と絞り出すので精一杯だった。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?