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 それから結局、莉音には結婚についての返事は一切しないようにと言い聞かせていた時、護衛がやっと莉音を探し出して迎えに来た。深侑に話したことで少し気持ちの整理がついたのか、莉音はまだ少し目を潤ませながらも王宮へと帰っていった。


「すぐに行くので、ガラドアさんとアルトは出てもらってもいいですか?」

「承知しました、ミユセンセー」

「すみません」


 レアエル自ら身分を隠したので、先に二人には退出してもらった。そして室内に残った深侑はレアエルに向かって「次に魔法で16歳になったら、もう二度と口を聞きませんからね」と念を押すと、彼は観念したように頷いた。


「小公爵様からも色々と話を聞かないといけないので、今日はこちらで失礼いたします。明日またいつもと同じ時間に来ますね」

「分かった。エヴァルトによろしくな、ミユ」


 次に優先すべきはアルトだ。慌てて部屋から出ると、深侑が乗ってきた公爵邸からの馬車の前にガラドアとアルトがいた。


「お待たせしてすみません……!」

「俺は全く。こちらはどうか知りませんけど」

「ええと……ガラドアさんはアルトのことを、その……」

「知らなかったらセンセーのところに連れてきませんよ」

「そうですよね……! よかった、理解してくれる方が側にいて」

「とりあえず、このまま帰ってもらって構いません。団長の仕事は明日からやってもらいますから」

「分かりました、ありがとうございます」


 深侑とアルトは馬車に乗り込み、離れの前でガラドアとは別れた。そしてやっと二人きりになり、深侑は目の前にちょこんっと座っている黒いポメラニアンと視線を合わせた。


「優先順位をつけて申し訳ありませんでした……」


 そう謝れば、彼は小さく鳴く。都合のいい解釈かもしれないが、なんとなく許されているような気がした。


 ただ、さすがに馬車の中で元に戻るわけにもいかず、公爵邸に着くまで彼はアルトの姿のままだった。出迎えてくれたベイジルが驚いた顔をしていたが、気を利かせてエヴァルトの部屋を開けてくれたので久しぶりに彼の部屋へ足を踏み入れた。


「もう、触れても大丈夫ですか?」


 一応聞いてみると、アルトは伸ばした深侑の手に擦り寄る。深侑がマスターになってからエヴァルトはアルトになっていなかったので、久しぶりに感じる彼のふわふわとした感触が気持ちよくて、深侑は思わずぎゅうっと抱きしめた。


「……あ」

「すみません、先生。もっとアルトの毛並みを味わいたかったかもしれませんが」

「いえ、そんな……お帰りなさい、小公爵様」


 今の今まで抱きしめていたふわふわの黒い毛玉は、黒い軍服を着たエヴァルトの姿に変わってしまった。一ヶ月ぶりに彼の顔を見たので安心したのと、もう少しアルトに触れていたかったなという少しの切なさ。


 でも、エヴァルトの無事な姿を見られて、深侑は心底安心した。


「大きな怪我などはありませんでしたか……?」

「大丈夫です。聖女様も怪我はなく、死傷者も出ていません」

「よかった……怪我がないなら、とりあえず安心しました」


 先ほどまで深侑がアルトを抱きしめていたのに、今はもうエヴァルトから抱き上げられてベッドに連れて行かれた。マスター業務を教えてもらった時に言っていたようにエヴァルトの膝に乗せられ、至近距離で深侑は彼の顔や肌に傷がついていないか観察した。


「……あまり、そんな熱烈な目で見られると、さすがの私も照れますね」

「な、ちが……っ! 本当に怪我がないか見ていただけです……」

「ふふ。本当に大丈夫ですよ、先生」


 エヴァルトから呼ばれる『先生』は特別な甘い響きがある。彼から呼ばれるとなぜこんなにも心地よくて、胸がとくんと高鳴るのだろうか。深侑は無意識にエヴァルトの髪の毛に指を差し込んで、両手で撫でるように髪の毛を梳いた。


「ん……大分持ち堪えていたんですが、やっと帰れると思ったら気を抜いてしまって」

「そうだったんですね……」

「ガラドアは騎士団の中で唯一アルトのことを知っているんです。公爵邸に先生がいなければ離れに行くよう頼んでいました」

「驚きましたよ、本当に。しかも色んなことが一気に押し寄せてきて、何から処理したらいいのか混乱して……」

「……ラヴァという男は、レアエル殿下ですよね?」

「えっ?」

「隠しても分かります。髪も目の色も同じでしたから。騙されているのは聖女様くらいです」

「あはは……」

「もしも殿下じゃなくて本当にラヴァという見知らぬ男なのであれば、許しませんけどね」

「わっ」


 視界が反転したかと思えば、深侑はエヴァルトに押し倒されていた。突然のことに驚いて声も出ない深侑のシャツに手をかけるエヴァルトは、ぷち、ぷち、とボタンを外していく。露わになった胸元を見て「……消えてる」と呟いた。


「ま、まってください、小公爵様……!」

「先生が私のもの飼い主だという印を残しておかないと、不安なんです」

「ぁ……っ」


 肌に吸い付かれるとピリッとした感覚が体に走る。甘い痺れを感じながらエヴァルトの服をきゅっと掴むと、吸われた部分を甘噛みされて変な声が出てしまった。


「先生。先生にも、私だけならいいのに」

「……? 俺がこんなことするのは、小公爵様だけです、よ……?」


 深侑の言葉にエヴァルトは切なそうに笑い「ありがとうございます」と言いながら、深侑の細い体を抱きしめた。そんな彼の体温を感じながら『この熱が自分だけのものならいいのに』という言葉が深侑の頭を過ったことに、気が付かないフリをした。




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