目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報



「小公爵様、先ほどはフォローしてくださってありがとうございました」


 公爵邸に向かうまでの馬車の中で深侑がエヴァルトにお礼を言うと、彼は「先生があまりにも慌てていたので」と言いながら意地悪そうな笑みを浮かべた。


「嘘が苦手なんですね、先生は」

「……別に、嘘くらいつけます」

「ふっ、そうですか……アルトが私の愛犬だという嘘は上手につけますもんね」

「それは、小公爵様を守ろうと……そんな意地悪を言うならもういいです、みんなにバレてしまえばいいんです、小公爵様なんか」

「あは、ははは! 機嫌を直してください、先生」

「ちょ、今はそんな気分じゃな――」


 馬車の中、エヴァルトは深侑の腕を引いて自分の膝に座らせる。マスターとしての務めを果たす気分ではないと拒否してみたけれど、エヴァルトの大きな手が腰から背中を撫で上げ、深侑のうなじをつぅっとなぞった。


「今日は私ではなく、先生を甘やかしてあげます」

「ん……っ」

「聖女様のことや王太子殿下のことを上手くやってくれたので、ご褒美を欲しくないですか?」

「ぁっ、耳元やだ……!」

「大変気持ちよさそうですが……屋敷についたら先生の好きなことをたくさん教えてください」


 かぷっと耳たぶを甘噛みされると深侑の体に電流が走ったような衝撃を感じた。腰が砕けそう、という感覚を初めて経験したのだが、もう少し刺激が欲しいと思ったところでレイモンド公爵家の前で馬車が停止した。


「イヴ、先生は疲れているみたいだから先に入浴を。その後、レアエル殿下の授業方針について話し合うから食事は私の部屋に二人分運んでくれ」

「かしこまりました。では先にご入浴からいたしましょう、ミユ様!」


 馬車の中で少し触られただけでへろへろになってしまった深侑は、イヴによってあれよあれよという間に浴室へ連れて行かれ、体の隅々まで磨かれた。


「ミユ様、お体でどこか解してほしい場所などはございますか? 例えば腰とか、その、色々と……」

「? 確かに腰は痛いかも……」

「最近ずっと、ですもんね」

「え? 最近ずっと?」

「もしもミユ様のお体に障るようでしたら、ベイジル執事長からエヴァルト様にそれとなくお伝えしてもらいましょうか?」

「何の話……?」


 入浴後、マッサージをしてくれるイヴに身を任せるのも大分慣れた。今日も同じようにうつ伏せになってイヴからマッサージをしてもらっていると、深侑と彼女の話が若干噛み合っていないことに気がついたのだ。


「小公爵様にベイジルさんが何を言うの?」

「ですから、ミユ様のお体に障るので夜伽の回数を減らしてもらうように、と」

「よ、夜伽!?」


 深侑が生きていた世界で『夜伽』という言葉の意味を知っている人はごく少数だろう。断言してもいいが、莉音は言葉の意味を知らないと言い切れる。深侑はもともと歴史好きであったし、時代ものを題材にした小説なども好んで読んでいたので、その言葉の意味を知っているのだ。


 夜伽とはいわば、女性が男性の夜の相手をすること。大体が寝所で相手をすることを指すので、簡単に言えば性行為の相手ということである。


 イヴの口から『夜伽』なんて言葉が飛び出してきたので深侑は慌てて起き上がり、真っ赤な顔をして口をぱくぱく開閉させて驚いた。


「ちょ、ま、なんでそんな話に……っ!」

「遠征からご帰還後、毎日ではありませんか……! エヴァルト様がミユ様のことを大変愛しておられるのは見て分かりますが、それにしても連日だとミユ様のお疲れが取れないのではと私共は心配しておりまして……」


 どの言葉からどう処理をしたらいいのか。深侑は全身を真っ赤に染めてぷるぷると震えてしまう。まるであの日、アルトがレアエルの離れに来てずぶ濡れになっていた時と同じかもしれない。


 エヴァルトの部屋に通っているのを『夜伽』だと思われていることがまず恥ずかしいし、エヴァルトが深侑のことを『愛している』なんて頭が混乱するし、これからエヴァルトの部屋に行くために入浴しているのは『夜伽』の準備だと思われているようだ。


 深侑が声も出せずに恥ずかしがっていると、それに気づいたイヴが「もしかして……無理やりですか!? 合意の上ではなく、エヴァルト様が無理やり……!?」とあらぬ方向に思考が及んだので、深侑はぶんぶん首を横に降った。


「ちが、無理やりではなく合意だけど、い、意味がちがう……っ!」

「合意の上であれば安心しました……! お二人ともある日を境に雰囲気が柔らかくなり、お互いにとても幸せそうなので使用人一同、もしかしたらご結婚も近いのかもと噂しておりまして」

「けけけけっ結婚!?」

「はい! ミユ様、きっと白い衣装がとっても映えますわ!」


 なんてウキウキしているイヴを横目に、深侑は青くなったり赤くなったりと忙しい。イヴの言葉を何一つ処理しきれないままバスローブを巻かれ、エヴァルトの部屋に届けられてしまった。


「先生、どうしました? 逆上せましたか?」

「ひぁ……っ!」


 部屋にはすでに食事の用意が整っていて、エヴァルトは本当に二人で食べるつもりだったのだろう。でも深侑は何もかも頭の中で処理しきれていないまま部屋へ来てしまったので、エヴァルトから軽く頬に触れられただけで甲高い声が出てしまった。


「……先生? 何かありました?」

「あう、あの、お、俺……」

「はい?」

「きょ、今日は無理です! ごめんなさい!」

「あっ、先生!」


 あまりの出来事に泣きそうで、深侑は全身を赤く染めたまま自室へと駆け込んだ。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?