エヴァルトの気持ちを知った翌日、甘くとろけそうな気持ちを抱えたまま離れに出勤した深侑だったが、その数時間後にはピリッとした空気が広がる応接間で気まずそうな顔をして縮こまっていた。
「……多忙な王太子殿下がこんな場所になんの用ですか」
「魔法地図をレアがあまりに喜んでくれたようだから、直接顔を見て話したくなったんだ」
「はぁ……」
離れの応接間にはレアエルと深侑、レインとエヴァルトがそれぞれ対峙するように座っていた。深侑が出勤してからは魔法地図を見ながら楽しく歴史の勉強をしていたレアエルだが、今日は贈り物ではなくレイン本人が離れを訪れたので動揺を隠せないのか、不機嫌そうな顔で睨みつけている。
対してレインはレアエルから睨まれていてもなんのダメージもないのか、にこにこと笑みを浮かべながら「エヴァルト、久しぶりにレアの顔を見た。大きくなったがとても可愛いな」と兄バカ全開なことを言っていた。
双方の事情を知っている深侑とエヴァルトから見れば、弟に歩み寄りたい健気な兄の図だが、レアエルにしてみればレインの言葉一つ一つが嫌味に聞こえるらしい。可愛いと言ったレアエルに対して「子供扱いするな、うざすぎ……」と小さく毒を吐いた。
「時に先生。魔法地図は役に立っているだろうか?」
「あ、も、もちろんです。教科書と照らし合わせながら、それぞれの時代の様子を見られるので勉強がよく進みます。ですよね、レアエル殿下」
「ふん……別にあんなものなくても勉強はできる」
「で、殿下……!」
典型的な『ツンデレ』というやつだなと深侑は肩を落とす。心の中では思っているけれど、本人を前にすると感謝の言葉を口にするのが癪なのだろう。その気持ちは分かるが、この重い空気をどうしたらいいものかと深侑は頭を悩ませた。
「殿下、今日も贈り物があるとおっしゃっていましたよね」
困っている深侑の気持ちを知ってか知らずか、エヴァルトがレインに囁く。すると「そうだった」と言いながら、レインは数冊の本を取り出した。
「大陸の歴史を学んでいくと、その土地の言語にも興味が出てくるかと思って……分かりやすい言語の教科書が見つかったから持ってきたんだ」
歴史や言語に興味を持っているレアエルは『言語の教科書』と聞いて、胸の前で組んでいた腕をぴくりと動かす。欲望には勝てないのか机に置かれた教科書をチラリと見やり、悔しそうな顔を浮かべた。
「……僕の機嫌を取ってどうするつもりだよ」
「機嫌を取っているとか、そういうことではないよ。ただレアが興味を持っていることをサポートしたくて……一緒に住んでいないから心配なんだ」
「心配? 心配って言った? どの口が言うんだよ!」
「レアエル殿下、落ち着いてください。王太子殿下は純粋な気持ちで――」
「純粋な気持ちなんてコイツにあるもんか! 心配なんて口先だけで、ただ周りからの賞賛がほしいだけだろ! 引きこもりの出来損ないにも優しくする王太子って言われたいだけだ!」
レアエルが声を荒げて立ち上がり、目の前にいるレインに罵声を浴びせる。レアエルが怒鳴っている間レインは俯いていて、膝の上に拳を作って硬く握っていた。
「僕が一番辛い時に心配してくれなかったじゃないか! お前なんて、お前なんて……!」
「………エヴァルト」
「どうしました? 殿下」
「れ、レアが初めて、俺に本音をぶつけてくれたぞ……!」
「はぁっ!? なにコイツ!!」
レアエルは真面目に怒っていたのだが、顔を上げたレインは至極嬉しそうな顔をしていた。今まで冷たくされすぎた影響で、レアエルが本音を話してくれたことのほうが嬉しいらしい。レインの言葉にレアレルは口をぱくぱくさせながら呆然としていて、エヴァルトは口元を抑えて「ふはっ」と吹き出した。
「おい、エヴァルト! お前、僕の先生なんだからコイツをどうにかしろッ!」
「ふふっ、はは、すみませ……ははは!」
「王太子殿下のほうが一枚上手で肝がすわってますね……」
「ミユ、お前まで……ッ!」
「レア、俺はとても嬉しい。今までそんなに声を荒げて俺に意見を言ってくれたことがなかったから……これからは何でも言ってくれ。その度に受け止めるから」
「〜〜〜っ!」
全くダメージを受けていないレインの言葉にレアエルはぷるぷると震えながら言葉を失っていて「ちょっと出る」と早口で言ったレアエルは応接間を出て行った。
「……怒らせただろうか?」
「レアエル殿下はご自分の気持ちをなかなか素直に言葉にできないんです。根気強く接してあげましょう」
「俺、少し様子を見てきますね」
出て行ったレアエルの後を追おうと立ち上がった深侑だが、ドアを開けた瞬間に誰かとぶつかった。
「すまない、ミユ」
「れっ、ら、ラヴァ様……!」
先ほど出て行ったレアエルが戻ってきたと思ったら、魔法で大人の姿になった『ラヴァ』が立っていた。生意気なことに深侑よりも背が高いので、彼の胸に鼻先をぶつけた深侑は赤く染まった鼻を押さえながらラヴァを見上げた。
「レアエル殿下は“今日はもう誰にも会いたくない”と言って部屋に引きこもってしまった。申し訳ないが、みんな帰っていただいて結構だ」
「あなたは……?」
「先日お話しした、レアエル殿下の遠いご親族の方のようです」
「ああ、あなたが……アルテン王国の第一王子のレイン・カリストラトヴァです。レアエルの兄ですが、あなたとは初対面ですね」
「……ラヴァと申します」
「あなたはよくレアと会っているのですか?」
「ああ、まぁ……」
ラヴァの設定が曖昧だからか、ラヴァは目を泳がせながら小さく返事をする。深侑とエヴァルトは内心ハラハラしながら二人を見守っていたのだが、レアエルの時とは違う気まずい空気に何度目か分からないため息をつきたくなった。
「あ、ねぇ〜〜〜〜っ! やっぱりラヴァくんじゃんっ!」
「えっ、矢永さん!?」
「近くを通ったらラヴァくんっぽい姿が見えたから来ちゃった!」
レインとラヴァの間にバチバチっと火花が散っていた時、バンッと大きな音を立てて中に入ってきたのは聖女服姿の莉音だった。