深侑が目覚めた翌日、仕事はしばらく休んでいいと言われたが無理を言ってレアエルと会う機会を作ってもらった。レイモンド家の応接間で待機していた深侑は、ここに来るまでにレイモンド公爵夫人と遭遇し「先生、前よりもすっきりしたお顔をなさってるわねぇ」とにこやかに言われたものだ。侯爵夫人が言うには、倒れる前までの深侑は人生に疲れたような顔をしていたのだとか。
「エヴァルトはひどくあなたを気に入っているみたいです」
「それは、その……公爵様や夫人としてはどう思われますか……?」
「わたくしは大賛成! 公爵様も同じ気持ちだと思うわ。エヴァルトが好きになった方なら、幸せになるように願うまでですから」
なんて言われたので、親の鑑だと深侑は感動した。
そしてイヴからお茶の用意をしてもらって数分が経った頃、エヴァルトに連れられてレアエルが姿を現した。
「レアエル殿下! わざわざこちらまで来ていただいてすみません、ありがとうございます」
「いや……体調は、その……」
「はい、おかげさまで大丈夫です。ぴんぴんしてますよ」
どこかで聞いたことがあるセリフだなと思ったが、元気一杯だと示す最適の言葉が見つからなかったのだ。応接間の入り口に立ったまま俯いて、深侑の姿を見ようとしないレアエルにそっと近づいた。
「俺のせいで、驚かせて申し訳ありませんでした」
「なっ、なんでミユが謝るんだ! 謝るのは僕のほうで……っ」
「そうですね、レアエル殿下もやりすぎたとは思います」
「う……」
「でも、こうやって会いに来てくださって嬉しいです。もしかしたら解雇されるかもと心配していたので……」
ぎゅっとレアエルの手を握ると、彼は反射的に顔を上げた。大きな青い瞳には今にも零れ落ちそうなほど涙が溜まっていて、ピンク色の唇は血が出てしまうのではと思うほど噛み締めている。レアエルが一度瞬きをすると、堪えきれなかった涙がぽろりと頬を伝った。
「もう、もう、あんなことしないから……! おねがいだから、やめないで、ミユ……っ」
深侑に懇願しながら泣きじゃくるレアエルを見て、初めて子供らしい一面を見たなと深侑は内心安堵していた。気分の浮き沈みは激しかったけれど、いつもどこか大人びて周りから一線を引いていたレアエルの涙に彼の本心がこもっている気がするのだ。
「辞めませんよ。仕事がなくなって困るのは俺ですから。聖女様のおまけだし、自分で仕事を見つけるのは大変なんです」
「ほ、ほんとうに……?」
「はい。でも約束してください。今後は不必要にラヴァにならないこと、俺のことを無理やり組み敷こうとしないこと。俺だけではなく誰に対しても、誠実でいることを約束してください」
「わかった、ミユの言うことはなんでもきく……」
「俺だけではなく小公爵様の言うことも聞いてください。彼は殿下の駒ではなく、信頼できる方なんですよね?」
「うん……」
「俺たちは殿下の味方でいます。だから、これからは信頼できる先生として側にいさせてください」
レアエルの手を握ったままこつんと額をくっつけると、涙を流している青い瞳が煌めいた。そして深侑の手をぎゅっと握り返して「よろしく頼む……」と涙交じりに言葉を紡いだ。
「殿下。私からも話をしてよろしいでしょうか?」
「うん?」
「こういうことはあまり話すべきではないのかもしれませんが、私は殿下と同じ
エヴァルトも深侑と同じようにレアエルの前に膝をつき、真剣な眼差しでレアエルを見つめて頭を下げた。
「私は真剣に、先生と……ミユとの将来を考えています」
「えっ、しょ、小公爵様!?」
「……」
「前の婚約者との縁が完全に切れていない不誠実な部分もありますが、私はこの先の人生をミユの隣で過ごしたいと思ってしまいました。そういう意味で、私はミユのことを愛してしまったんです」
いつまでもレアエルに隠せるものでもないし、遅かれ早かれ二人の関係のことはレアエルの耳に入るだろう。それならば、今のタイミングで打ち明けていたほうが結果的に良くなるとエヴァルトは判断した。そんなエヴァルトの考えが分かったので、深侑はそれ以上なにも言わずに二人のことを見守った。
「……お前たちが“そういう関係”なことくらい、僕がもっと幼くても分かっていた。察することができない鈍感なんていないだろ」
「そ、それは言い過ぎでは……?」
「は〜〜〜〜っ!? 何が言い過ぎだ! どこでもかしこでも甘い雰囲気を漂わせてるのはそっちだろ、無自覚天然カップルめ!」
と、レアエルがいつも通りの態度に戻って盛大なため息をついた。その姿に深侑とエヴァルトは顔を見合わせ、思わず笑ってしまう。「なんで笑うんだ!」とぷりぷり怒っているレアエルの声が飛んできて、深侑は更に声を上げて笑った。
「ふふ、あはは! 元気になってよかったです、殿下!」
「ミユ、お前まで……!」
「やはり殿下はこうでなくちゃいけませんね」
「う、うるさいうるさい! お前たちなんてな、ずーっと離れられない呪いにでもかかればいいんだ!」
「それはぜひ、かけてほしいものですね。愛と創造の女神はかけてくださるでしょうか」
「……お願いですから、女神様を怒らせるようなことしないでください」
ひとつの恋は実り、ひとつの恋は花が散った。
それでも笑い合えていることに深侑は感謝して、こんな幸せな毎日がずっと続いていけばいいのになと願うばかりだった。