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第6話  彼は私を避けている?

藤原理奈は蒸気の立ちこめるバスルームから出てきた。すでに一時間近くが経過している。

書斎の方からは、キーボードを叩く規則的な音が微かに聞こえてくる。

理奈にとっては、これが当たり前の日常だった。

この豪華なベッドルームは、ほとんどの場合、自分一人の空間。司がここに現れるのは、深夜に眠る時だけだ。


彼女はふわふわのベッドに身を投げ出し、話題の都会ドラマを再生した。

ちょうど盛り上がるシーンで、主人公に執着する脇役の女性が、注目を集めるために奇想天外な行動を繰り返し、画面上も視聴者も批判の嵐。

コメントは雨のように画面を埋め尽くす。「ゴールドディガー」「出ていけ」「最低女」「女の恥」……


理奈はその痛々しい言葉を見た瞬間、ベッドの上で飛び起きた。背筋に冷たいものが走る。

あの予知夢の断片的な結末が、鮮明かつ冷ややかに脳裏に浮かんだ——最終的に、彼女も「ゴールドディガー」の烙印を押されて晒される女になっていたのだ。


夢の中で、彼女は司名義の口座から八億円もの資金をこっそり移し、藤原家の奥様という立場を利用して、縁もゆかりもない貧しい親戚や、従姉の白鳥杏樹までも財閥に引き入れた。さらには司の冷淡さに耐えかね、ホストを三人も囲い、週刊誌にバッチリ撮られる始末。

スキャンダルが発覚した時——


司の弟、逸が彼女を蹴飛ばしながら怒鳴った。「ふざけんなゴールドディガー!お前の親戚ごと藤原家から出ていけ!」

もう一人の弟、柏は強く彼女を平手打ちした。「姉さんなんて呼ぶ資格ないよ!」


原作では、千島汐音を巡って対立していた二人が、珍しく同じ敵に立ち向かった瞬間だった。

その後、いくつもの経済犯罪で有罪判決を受け、彼女は刑務所送りに。


理奈の背中は冷や汗でびっしょりになった。

そんなこと、あり得ない!


大学卒業後は自立して生活してきたし、親戚とも意識的に距離を置いている。白鳥杏樹にもできるだけ会わないようにしている。ホストクラブなんて興味ゼロ、唯一の趣味は二次元のイケメンだけ!

こんな展開、無茶苦茶すぎる!無理やり悪役にされるなんて……。


絶望感が全身を包み込む。

夢を整理してみて、初めて自分のミスに気づいた——司との関係修復ばかり考えて、彼の弟たちの存在を完全に忘れていたのだ。逸と柏。


逸、二十二歳、大学院生。プライドが高く、いわゆる「研究」は爆音バイクをいじること。

柏、二十歳、大学中退後に芸能界へ。二年もがいたものの、素人のまま。陰のある雰囲気。


理奈はすぐにベッドから飛び起き、引き出しの奥から「関係改善計画」ノートを取り出し、白紙のページに新しい鉄則を三つ力強く書き込んだ。


【1. 欲張らない。もらうべきでない一円も手を出さない!】

【2. 遠い親戚に仕事を紹介しない。余計なことはしない!】

【3. 司の弟たちと円満に過ごし、完璧な姉でいること。】


この二人、普段は好き放題でも、司には根本的な敬意があるらしい。

つまり、まず司との関係を安定させ、家族からの評価を上げれば、まだ希望はある。


そう思い直し、理奈はペンを強く噛み締め、ノートの最初のページに戻って「★司と仲良くする、最重要!!!」の横に、さらに太い星マークを描き加えた。

明日は絶対もっと早起きして、司が財閥へ出かける前にどんなに短くても会話のチャンスを見つけてみせる——そう決意した。


……


夜の11時になって、ようやく司がベッドルームに戻ってきた。

理奈はすでに夢の中。

司は音を立てないようにベッドに入り、理奈に背を向けて横たわる。

このベッドは十分広い。二人で寝ても、触れ合うことなく過ごせる。


間接照明が消え、部屋は完全な暗闇に包まれた。

静寂がしばらく続く。

その闇の中で、司の眉がわずかに動いた。


後ろからほのかな甘い香りが漂ってくる。静かながらも確かに存在を主張する香りが、鼻先をくすぐる。

司は音や匂いに敏感で、この未知の甘い匂いにはなかなか慣れない。


だが今は夜中、眠っている人を起こすのは非常識だ。

部屋を変える?それも礼儀に反する。

司は唇を固く結び、目を閉じて、甘い香りを無視しようと必死で眠りにつこうとした。


……


翌朝。

分厚い遮光カーテンが朝の光を完璧に遮っている。

理奈がぼんやり目を覚ました瞬間、一気に現実に引き戻された。

彼女は慌てて布団をはねのけ、辺りを見回す——部屋には誰もいない!


寝坊した!また司が先に出てしまった!

落ち込んだまま、力なくバスルームへ向かう。

水道をひねり、冷たい水で顔を洗うと、少しだけ頭が冴えてきた。


洗顔フォームを手に取り、泡を乱暴に顔に広げる。その時、ふと目を上げると、スマートミラーの隅に表示された時刻が目に入った——7時40分。


動きが一瞬止まり、白い泡が頬に滑稽に付いたまま。

おかしい。

司はいつも8時に家を出るはず。

今はまだ7時40分。


「ポン」と泡が頬で弾ける音がして、

理奈は鏡の中の自分をじっと見つめた。

あり得ないけど、でもはっきりとした考えが頭をよぎる——もしかして……彼、私を避けてる?


……


午前中、木村小乃と取材に出かける道すがら、理奈はどうにも落ち着かない。

なぜ司が自分を避けるのか、どうしても納得がいかない。


自分なりに気をつけてきたはずだ。

夜遅くに邪魔したことはないし、本当はおしゃべりだけど、LINEを送る時も何度も推敲して短くしている。アピールだって昼間だけ……


どれだけ考えても答えは出ず、理奈はもう悩むのをやめた。

自分のせいにしすぎるのはやめよう。もしかしたら、ただ朝に急な会議があっただけかもしれないし。


理奈はサッパリした性格で、一つのことで半日も悩むのは限界。

午後、タレントのリハーサルも順調に終わり、早めに仕事を切り上げた。


小乃と意気投合し、リバイバル上映中の名作アニメ映画をもう一度観ることに。

映画の世界にどっぷり浸かり、朝の悩みはすっかり忘れてしまった。上映後にはテンション高くLINEのタイムラインにも投稿。


「かっこよすぎ!彼こそ二次元ニット帽の頂点だと断言する!」理奈は小乃の腕を取りながら、映画館を名残惜しそうに出てきた。


「それな!+10086!」同じく熱狂的ファンの小乃もすぐに反応。


二人で笑いながらエスカレーターでショッピングモールの一階へ降り、夕食を探そうと歩き出す。

その時、理奈の視線がカフェの入り口で止まった。


若い男の姿が目に入る。

どこか司に似た面影があるが、雰囲気はまるで違う。

——逸?


逸は左手にコーヒー、右手にはスマホを耳に当て、不機嫌そうにドアを押して出てくる。前も見ず、声を張り上げている。

「……おい、あのブラックサムライ、ちゃんと押さえとけって言っただろ!来月一括で買うんだから!誰が売ったんだよ、クソ!」


理奈は思わず眉をひそめ、彼の進む先を目で追う。


次の瞬間、心臓がドクンと鳴った——

反対側から、巨大なチェロケースを背負ったロングヘアの女の子が、楽譜を見ながら急ぎ足で逸の方に歩いている。お互い前を見ていない!


まずい!


理奈の頭が一瞬真っ白に。この状況、予知夢で見た逸と未来のヒロイン・汐音の出会いとそっくりだ!


呆然としたその時、「ドンッ」と鈍い衝突音と短い悲鳴。二人は派手にぶつかった。


「どこ見て歩いてんのよ?!チェロ壊れたらどうしてくれるの!」女の子が怒り混じりで叫ぶ。

逸は体勢を立て直し、鼻で笑って返す。「は?人にぶつかっといて謝りもしないのか?そっちが前見てなかったくせに!」


二人は瞬く間に言い争いになり、周囲の人も足を止めて見始める。


理奈:「……」セリフもシチュエーションも夢と寸分違わない!


「ねえ、あれ何?ケンカ?イケメンと美人じゃん、ドラマの撮影かな?」小乃が興味津々で背伸びし、理奈を引っ張りながら人だかりに近づこうとする。

そりゃそうだ、未来のヒロインと主役の一人だもの。

藤原家の三兄弟はみんなルックス抜群だし。


正直、大哥の司が一番整った顔立ちだろう。神様が声の分を顔に与えたのかもしれない。

「見る必要ないよ、行こう。」理奈は巻き込まれたくなくて、その場を離れようとする。あの坊ちゃんの「運命の出会い」には関わりたくない。


ところが、小乃の腕を引いて背を向けた瞬間、逸の視線がこちらに向いた気がして、理奈はハッと立ち止まった。


「ちょっと待ってて」と小乃の腕を離し、足早にその場から離れようとする。

「一度しか会ってないし、きっと覚えてないはず……」という淡い期待を抱きつつ。


だが、その時。

人混みを突き抜けるように、傲慢さと茶化しが混じった若い男の声がはっきりと響いた。


「おい、見えてるんだぞ。逃げるなよ?」

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