和樹は、母の手助けであっという間に新しい住まいを整えた。
身支度を終えると、そのままベッドに倒れ込むように眠りについた。
再び目を開けたときには、外はすでに深い夜の帳が下りていた。
スマホを確認すると、午前六時。なんと十数時間も眠っていたのだ。
彼は布団を抱えたまま身を起こし、照明をつけた。
見慣れぬ部屋の中でしばし呆然とし、ようやく自分がパリにいることを思い出した。
隣の部屋に両親がいると考えると、少し安心した。
そのとき、スマホが震え、彼はびくりと肩をすくめた。
画面を解除すると、見慣れた番号が表示されていた。名前は削除してあっても、その番号は体に染みついている。
凛子……? また電話を? まだ気が済まずに文句を言いたいだけか?
和樹はまばたきをして眠気を追い払い、観念したように通話を取った。そして先に口を開いた。
「凛子。よく考えたけど、やっぱり俺たちは恋人として合わないと思う。だから別れよう。どうせ君が好きなのは拓真だし、円満に終わらせよう。もう連絡もしないでくれ」
一気に言い終えると、受話器の向こうはしばらく無言だった。重苦しい呼吸音だけが耳に残る。
二分ほどして、凛子が疲れたような、かすれた声で言った。
「いきなり別れを告げて、『合わない』の一言で済ませるつもり? それって、どうなの?」
礼儀? 和樹は一瞬考えたが、間違っているとは思わなかった。だが話を終わらせるため、礼儀正しく答えた。
「……で、君はどうしたいんだ?」
「一度会って、直接話したい」
和樹は驚き、拒絶するように言った。
「俺、もう東京にはいないんだ。会うのは無理だよ──」
言い終わらぬうちに、彼女の声がかぶさる。
「知ってる。今、CDG空港に着いたばかり。住所を送って。すぐにそっちへ向かうから」
その言葉に和樹は固まった。言葉が遅れ、疑いを含んだ声になる。
「……君、パリにいるの?」
「いちいち気にしなくていい。ただカフェかどこかに行って、場所を送って。そこで待ってて。別れ話をするのは、それからよ」
彼女は言い添えた。
「ちゃんと理由を聞くまで、パリを離れるつもりはない」
電話は一方的に切れた。続けてLINEが鳴り、彼女からのメッセージが届く。空港の位置情報と、「住所を送って」の一文。
まさか、本当にパリまで別れ話をしに来るとは──和樹は唖然とした。
だが、彼は会いたくなかった。
もう別れた、後悔もない、話す必要もない。
そう思い、スマホを無音にして放り投げ、布団をかぶって再び眠りに落ちた。
さらに二時間ほど眠った頃、高橋母が朝食を用意し、彼を起こした。
朝食後は家族三人でスーパーに出かけ、日用品を買いそろえた。その足で近所の公園を散策し、昼前に帰宅。
スマホを開くと、着信は百件近く、LINEの通知は三百を超えていた。
彼は黙って画面を見つめた。最新のメッセージが表示される。
「告白してきたのはあなたでしょ?」
「なのに、どうして? 和樹、そんなに冷たい人だったの?」