両親の問いかけに、
和樹は十秒ほど言葉を失い、気まずそうに頭をかいた。
大学一年のとき、両親がフランス移住を決め、自分にも一緒に来るように言ってくれた。
だが、彼は断った。理由は──凛子に恋をしてしまったから。
大学を卒業するまで日本に残りたい、という強い想いがあった。
両親は早すぎる恋愛を否定する人たちではなかった。
それでも、和樹はこの恋が「片想い」だったこともあって、
彼女を追いかけて日本に残るなんて、とても言えなかった。
その後、ようやく彼女と付き合えるようになったが、いざ関係を話すとなると、また尻込みした。
両親にあれこれ聞かれるのが怖くて、結局なにも言わずに過ごしてしまった。
──それから三年。
卒業が近づくにつれ、両親は再び「そろそろフランスへ」と説得を始めた。
和樹はそのたびに曖昧な理由を並べては先延ばしにしてきた。
心の中では、「そろそろ打ち明けるべきか」と迷っていた矢先──彼は凛子のパソコンで、拓真との写真を見つけてしまった。
それからの数ヶ月は、二十一年間、何ひとつ不自由なく順調に歩んできた彼の人生において、最もつらく苦しい日々となった。
両親は高校時代からずっと仲睦まじく、制服からウェディングドレスまで、まさに“理想の夫婦”を体現するような存在だった。
それに比べて、自分の三年間の恋愛など──ただの一人芝居だった。
あまりにも滑稽で、哀れだった。
だから彼は、すべてを心の奥に封じたのだ。
──それなのに。
フランスに着いたその初日に、すべてバレてしまうとは。
黙り込んだままの和樹を見て、母はひじで父を小突いてから、ふっと笑って息子の髪をなでた。
「お父さんのことは放っておいて。さ、ご飯食べよ」
食卓には、先ほどまでの空気が嘘のように静けさが満ちていた。
三人とも、無言のまま箸を進める。
しかし、和樹の胸中は波立ち続けていた。
そして、とうとう口を開いた。
「お父さん、お母さん……凛子は、俺の元カノ。三年間付き合ってて……ちょっと前に別れたんだ」
半分だけ、本当のことを話した。
両親はお互いに顔を見合わせ、どこか納得したようにうなずいた。
「電話の感じ、正直あまりいい子には思えなかったな」
と、父が苦笑まじりに言った。
「和樹にふさわしくない子だよ。別れて正解だったな」
そんな両親の気遣いに、和樹はなんとか笑顔を作って応えた。
「うん、お父さんの言うとおり。
どうせ卒業したらみんなバラバラになるし。
別れてよかったよ、留学にも集中できるしね」
そう言うと、母はぽんと肩を叩き、親指を立てた。
「さすが、私の息子! 切り替え早くて立派よ!」
食卓には、ようやく笑い声が戻ってきた。
食後、部屋に戻った和樹は、
スマホの通話履歴に表示された名前を見て、ハッとした。
──凛子。
道理で両親が知っていたわけだ。
父が「口調がきつかった」と言っていたが、きっとあの「別れのメモ」を見て怒って電話してきたのだろう。
まあ無理もない。
大学のアイドルが、男に振られるなんて──
人生で初めての経験かもしれない。
だが、怒りもきっと長くは続かない。
彼女は別に、自分のことを本気で好きだったわけじゃない。
冷静になれば、きっと気づく。
別れてよかったのだと。
これで、彼女は思う存分──拓真と一緒にいられる。
“好きな人”と結ばれるなら、それが一番幸せじゃないか。
そう思うと、もう何も言葉は要らなかった。
きっと、もう二度と会うこともないだろう──和樹は、短く息をつきながら、
画面に表示された「凛子」の名前の上でしばし指を止めた。
そして、迷いなく──削除ボタンを押した。