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第12話

両親の問いかけに、


和樹は十秒ほど言葉を失い、気まずそうに頭をかいた。


大学一年のとき、両親がフランス移住を決め、自分にも一緒に来るように言ってくれた。


だが、彼は断った。理由は──凛子に恋をしてしまったから。


大学を卒業するまで日本に残りたい、という強い想いがあった。


両親は早すぎる恋愛を否定する人たちではなかった。


それでも、和樹はこの恋が「片想い」だったこともあって、


彼女を追いかけて日本に残るなんて、とても言えなかった。


その後、ようやく彼女と付き合えるようになったが、いざ関係を話すとなると、また尻込みした。


両親にあれこれ聞かれるのが怖くて、結局なにも言わずに過ごしてしまった。


──それから三年。


卒業が近づくにつれ、両親は再び「そろそろフランスへ」と説得を始めた。


和樹はそのたびに曖昧な理由を並べては先延ばしにしてきた。


心の中では、「そろそろ打ち明けるべきか」と迷っていた矢先──彼は凛子のパソコンで、拓真との写真を見つけてしまった。


それからの数ヶ月は、二十一年間、何ひとつ不自由なく順調に歩んできた彼の人生において、最もつらく苦しい日々となった。


両親は高校時代からずっと仲睦まじく、制服からウェディングドレスまで、まさに“理想の夫婦”を体現するような存在だった。


それに比べて、自分の三年間の恋愛など──ただの一人芝居だった。


あまりにも滑稽で、哀れだった。


だから彼は、すべてを心の奥に封じたのだ。


──それなのに。


フランスに着いたその初日に、すべてバレてしまうとは。


黙り込んだままの和樹を見て、母はひじで父を小突いてから、ふっと笑って息子の髪をなでた。


「お父さんのことは放っておいて。さ、ご飯食べよ」


食卓には、先ほどまでの空気が嘘のように静けさが満ちていた。


三人とも、無言のまま箸を進める。


しかし、和樹の胸中は波立ち続けていた。


そして、とうとう口を開いた。


「お父さん、お母さん……凛子は、俺の元カノ。三年間付き合ってて……ちょっと前に別れたんだ」


半分だけ、本当のことを話した。


両親はお互いに顔を見合わせ、どこか納得したようにうなずいた。


「電話の感じ、正直あまりいい子には思えなかったな」


と、父が苦笑まじりに言った。


「和樹にふさわしくない子だよ。別れて正解だったな」


そんな両親の気遣いに、和樹はなんとか笑顔を作って応えた。


「うん、お父さんの言うとおり。

 どうせ卒業したらみんなバラバラになるし。

 別れてよかったよ、留学にも集中できるしね」


そう言うと、母はぽんと肩を叩き、親指を立てた。


「さすが、私の息子! 切り替え早くて立派よ!」


食卓には、ようやく笑い声が戻ってきた。


食後、部屋に戻った和樹は、


スマホの通話履歴に表示された名前を見て、ハッとした。


──凛子。


道理で両親が知っていたわけだ。


父が「口調がきつかった」と言っていたが、きっとあの「別れのメモ」を見て怒って電話してきたのだろう。


まあ無理もない。


大学のアイドルが、男に振られるなんて──


人生で初めての経験かもしれない。


だが、怒りもきっと長くは続かない。


彼女は別に、自分のことを本気で好きだったわけじゃない。


冷静になれば、きっと気づく。


別れてよかったのだと。


これで、彼女は思う存分──拓真と一緒にいられる。


“好きな人”と結ばれるなら、それが一番幸せじゃないか。


そう思うと、もう何も言葉は要らなかった。


きっと、もう二度と会うこともないだろう──和樹は、短く息をつきながら、

画面に表示された「凛子」の名前の上でしばし指を止めた。


そして、迷いなく──削除ボタンを押した。

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