周防は単身、柊直虎の経営する格闘ジムへと足を踏み入れた
受付には若い女性が座っており、営業スマイルを浮かべながら声をかける
「いらっしゃいませ、本日は入会のご相談でしょうか?」
「違うわ」
周防は即座に否定し、凛とした声で告げた
「柊直虎さんに会わせて頂きたいの」
受付嬢は困惑した表情を浮かべ、マニュアル通りの対応を続ける
「申し訳ございません・・・アポイントメントはお取りでしょうか?」
その瞬間、周防の瞳に冷たい光が宿った
彼女が受付嬢を一睨みすると、空気が凍りついたように張り詰める
「わたしの生徒が、ここの門下生に襲撃されたのよ!!すぐに会わせなさい!!!」
周防の声は静かだったが、そこには有無を言わせぬ強制力が込められていた
受付嬢は本能的な恐怖に震え、慌てて受話器を手に取ろうとした
ちょうどその時、エレベーターの扉が開き、筋肉質で引き締まった体躯の大男が姿を現した
彼は周防を一目見るなり、深く頭を下げる
「確か周防辰美様でしたね、柊直虎様がお待ちかねです」
大男はエレベーターへと手を差し伸べ、乗るよう促した
「お邪魔するわ」
周防は静かに応じ、大男と共にエレベーターへと乗り込んだ
残された受付嬢は、震える手で受話器を置いた
「アポイントメントなしには絶対に会おうとしない直虎様が、なぜ?・・・あの女性は一体何者なの・・・」
恐怖に震えながら、ただ戸惑うばかりだった
エレベーターの中、大男は恭しく頭を下げた
「この度は、うちの門下生が大変なご迷惑をおかけしました」
「謝罪なら、わたしの生徒に手をかけた者と、柊直虎さんから貰うわ」
周防は冷静に拒否し、そして意味深な眼差しで大男を見つめた
「それに貴方は、前世は獣王軍総司令で、獣人獅子族のゴテリア殿では」
大男の表情に驚きと畏敬の念が浮かぶ
「よくご存知で・・・龍王ヒョードル様ほどのお方に、弱輩を憶えて貰えて光栄です・・・前世以来です、いきなり貴公の覇気を感じましたので、受付嬢が心配になり駆けつけました」
「それでもかなり抑えてるのですが・・・」
周防は苦笑を浮かべた
「今世は、前世での関係ではないので、畏まらなくても良いと思いますが」
「どうしても、前世の記憶で身体が反応するのですよ」
大男が苦笑いを返したところで、エレベーターは最上階に到着した
執務室へと案内され、扉を開けると、そこには足を組んでソファに座る柊直虎の姿があった
その背後には、昨日摩緒を襲った5人の格闘家たちが、まるで親に叱られて縮こまる子供のように立っていた
「あら、いらっしゃい・・・待ってたわよ」
柊直虎は優雅な仕草で、向かいのソファを示した
「それでは遠慮なく」
周防は堂々とソファに腰を下ろす
「誰か、周防先生にコーヒーを淹れて差し上げて」
柊直虎の指示で、大男がコーヒーを淹れて周防に差し出した
周防は香りを楽しみ、一口含むと満足げに頷く
「まろやかでほろよい苦味があって美味しいわね」
そして表情を引き締め、本題を切り出した
「貴方の指示で、わたしの生徒を襲撃したのですか?」
柊直虎は真剣な表情で首を横に振る
「わたくしの後ろにいる門下生たちが、勝手にした事よ・・・でも、管理者である、わたくしの責任でもあるわね」
柊直虎は深く頭を下げた
「申し訳なかったわ・・・もし、貴女の生徒に怪我などがあれば、なんらかの補償をするわ」
後ろの格闘家たちも、これでもかというほど上半身を曲げ、声を揃えて謝罪した
「すみませんでした!」
周防は静かに頷く
「分かりました・・・楠木君には、貴方たちの誠意は伝えておきますね」
そして感心したような表情を浮かべた
「それにしても柊さん、まさかここまで性格が変わるとは・・・」
柊直虎は肩をすくめ、謙遜するように答える
「弱肉強食の前世の世界とは違うからね、今世はね」
だが次の瞬間、柊直虎の瞳に鋭い光が宿った
「貴女が、その事で、わたくしのジムに来た訳ではないでしょ、周防先生でなく・・・」
そして空気を震わせるような覇気を滾らせながら、その名を呼んだ
「龍王ヒョードルよ」
瞬時に周防も応じた・・・龍王の覇気が執務室に満ち、コーヒーカップが音を立てて割れ、部屋全体が揺れ始めた
柊直虎の後ろの格闘家たちは極限の緊迫感に押し潰されそうになり、大男はいつでも柊直虎を護れるよう臨戦態勢を整える
龍王と獣王・・・二つの巨大な力がぶつかり合い、一触即発の状態が生まれた
だが、先に覇気を収めたのは獣王・・・柊直虎だった
「分かったわ・・・今後、その楠木君には接触しないわよ」
「分かって頂けたら幸いです」
周防も龍王の覇気を収め、礼儀正しく頭を下げた
「それでは、帰らせて頂きますね」
周防はソファから立ち上がる
柊直虎が格闘家たちに命じた
「貴方たち、周防先生を玄関まで送って上げなさい」
「お見送りは要らないですよ」
周防はそう言い残し、執務室を後にした
しばらくの沈黙の後、柊直虎の唇に不敵な笑みが浮かんだ
「どうやら、あのボーイの前世、魔帝ヒルガデントのようね」
大男が静かに問いかける
「やはり、龍王との約束を反故になさるのですね」
「前世なら、龍王に楯突いてたわね・・・」
柊直虎の言葉に、その意志は明確だった
安堵した格闘家の一人が軽口を叩く
「もし、今世の世界で戦ったら、大事件に発展しますもんね」
柊直虎は蔑むような視線をその格闘家に向け、大きく溜息をついた
「だって〜〜わたくしが苦労して建てた格闘ジム、壊したくないもん」
5人の格闘家たちは心の中で毒づいた
(俺たちの命はどうでも良いんかい~~~)
「それと・・・存分に闘える場所、確保しないといけないわね」
柊直虎はワクワクとした表情で思案に耽った
一方、ジムを後にした周防は、静かに歩きながら考えを巡らせていた
柊直虎が約束を反故にすることは想定済みだ
あの場で対戦しなかったのは、周囲を巻き込ませないためで、決して獣王を恐れてのことではない
魔帝を完全に覚醒させれば、周囲は大惨事に見舞われる・・・それこそが真に恐るべきことだった
周防は心に決めた・・・平穏な日常を守るためにも、引き続き、出来る限り柊直虎を監視していこうと・・・