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冒険者ギルドの掃除人
冒険者ギルドの掃除人
沼平 甫
異世界ファンタジーダークファンタジー
2025年07月08日
公開日
7,988字
連載中
清掃員が異世界で成り上がるのかって? 残念ながら、そうじゃない。 それじゃあ、倒した魔物の後始末でもするのかって? いや、俺が掃除するのは“そっち”じゃない。 この世には、魔物よりもタチが悪いモノなんて、それこそ数え切れないくらいある。 そういったモノの“後始末”が、俺に与えられた仕事だ。 名前? そんなものは無意味だろう? 素性? それを知って何になる。 感情? 既に“掃除済み”だ。 これは、世界の腐敗を処理する物語。 ──ただし誰も救わない。 ※この作品には暴力的描写・倫理的に問題のある行為・性的なニュアンスを含む描写があります。 一部の読者にとって不快に感じられる可能性がありますので、ご注意ください。

第1話 あるパーティの最期

 あてもなく走り続ける。

 真っ暗な森の中を、ただひたすらに。

 どちらに行けばいいのか、どの方角に進めばいいのか、何処に逃げたらいいのか。

 そんなことなんて、分からない。

 でも、立ち止まったら終わりだ。

 ううん、分かってる。分かってるのに、気を抜けばすぐ、弱気の虫が顔を出す。

 「んあっ……!」

 躓いた。張り出した木の根。

 足音が、物音が近くなった。そんな気がした。

 痛む膝。土に塗れた靴。

 泣きたくなる気持ちを抑えながら、立ち上がる。

 後ろを見る。

 暗くてよく見えないが、とりあえずは誰もいないようだ。

 ふらつきながら、再び走り出す。

 ……どうして、こんな事になってしまったんだろう。

 考えても、いくら考えても、答えなんて出ない。


 私達──私達のパーティ“翠の鷹”は、最近Bランクに昇格した、自分で言うのもなんだけど、新進気鋭の冒険者だ。

 メンバーは魔術師である私と、戦士のヴィクトル、僧侶のエレナ、そしてリーダーである剣士のアレク。

 私達は全員幼馴染で、小さな頃からの夢──大きくなったら四人でパーティを組んで冒険する──を叶えるために努力してきた。

 夢を叶えた今も、もっと広い世界を見るために、更に努力を重ねてきた。

 そのはず、だったのに。


 知らず知らず、涙が零れてしまう。

 悔しい。本当に悔しい。

 こんなことで、私達の夢が終わってたまるものか。

 息が上がっているけど。

 心臓が飛び出てしまいそうなくらいに、大きな音を立てているけど。

 それでも、私は夜の森の中を走り続ける。

 生きたい。生き延びたいよ。

 声に出せない声を噛み殺しながら。

 短剣のような形の葉が、私の腕を裂いても。

 鞭のような蔓が、私の頬を叩いても。

 何かよくわからない生き物が這い登ってきても。

 私は足を止める訳にはいかなかった。

 何分?

 何十分?

 何時間?

 時間の感覚なんて、もう無い。

 どれだけ走った?

 距離なんて、分からない。

 どうして、ここから出られないの?

 自分自身さえ、信用できなくなりそうになる。

 何処かから聞こえてくる梟の声。

 怖い。怖いよ。

 気が付けばいつも仲間が居た。仲間が居るのが当たり前だった。

 悲しいときも、嬉しいときも、心配なときも、恐怖で身が竦みそうになるときも。

 仲間がいたから、乗り越えられた。

 みんな、無事でいて……。

 逃げるときにはぐれてしまった他の仲間のことを思いながら、私はただ、走り続ける。


 不意に、生ぬるい風が吹いたような、そんな気がした。

 思わず後ろを振り返る。

 闇。

 青くて、緑で、湿り気を帯びた闇。

 静かで、木の葉の揺れる音もしない。

 何もいない。

 何も見えない。

 だからこそ、“何かがいた”ような気がした。

 悲鳴を上げたくなる衝動を必死で堪えながら、私は思い切り駆け出した。

 前も、後ろも見ずに。

 どんな風に進んだかなんて、覚えていない。

 気が付けば、一本の巨木を中心に、木々に囲まれた開けた場所に出ていた。

 ここは、私達が野営をしていた場所だ。

 正確には、私達と、もう一つのパーティが。

 雲の隙間から漏れた月明かりが、僅かに周囲を照らす。

 ……倒れている、人影が見えた。

 嫌な予感がした。

 心の中で否定しても否定しても、拭い切れない真っ黒な靄。

 呼吸を整えながら、ゆっくりと近付いていく。

 見覚えのある脛当て。

 見覚えしかない鎧は強い力で破壊され、左肩から左胸にかけてがひしゃげている。

 ヴィクトル、だった。

 目は虚ろに開かれて、口からは大量の血を流している。

 日焼けした顔には霜が降りていて、唇が紫色に変色している。

 氷雪系の魔法を、使われたんだ。

 私は思わず唇を噛む。

 料理が上手で、干し肉のスープがとても美味しかったこと。

 お酒に弱くて、酒場に行ってはアレクに背負われて帰って来てたこと。

 普段は寡黙な彼が、エレナに結婚を申し込んだんだと、照れたように微笑んでいたこと。

 二人で近々指輪を買いに行くんだと、幸せそうに微笑んでいたこと。

 どうして、彼が死ななければならなかったの。

「……ううぅ…………」

 悔しさのあまり、奥歯を噛み締める。

 そして、エレナがいないことに気付く。

 せめて無事でいてほしい。

 そんなささやかな願いは、すぐに打ち砕かれた。

 少し離れた草地の上で横たわる影。

 エレナだった。

 ローブはビリビリに破り捨てられて、彼女は裸にされていた。

 何をされたかは分かる。でも、分かりたくない。頭が、心が、理解を拒否している。

 顔は大きく腫れ上がって、首には赤黒い指の跡が残っている。

「あああ…………!」

 足から、力が抜ける。立っていられない。

 ひどい。ひどすぎるよ、こんなの。

 一緒にお茶をしたことも、一緒に服を選んだことも、時々、恋バナをしたことも。

 お勧めの香水とかアクセサリーとかも教えてもらったよね。

 今度一緒に、ドレスを見に行こうって話してたのに。

 そんな何気ないことも、もう二度と叶わない。

 夢。悪い夢だったらいいのに。

 それならば、目覚めたら全てが無かったことになるのに。

 でも、これは、現実なんだ。

「うう……アレク……」

 縋れるのはもう、アレクしかいなかった。

 四つん這いになりながら、必死で周囲を見回す。

 彼が“いない”ことを、祈りながら。

 でも。

「あっ、ああっ……!」

 見つけてしまった。地面に横たわるアレクの姿を。

 ゆっくりと近付く。

 ゆっくりとしか、近付けなかった。

 太腿に、何本も矢が刺さっている。

 脇腹が抉れて、内臓がはみ出している。

 右腕の、肘から先が無かった。

「いっ、いや、いや…………!」

 そこから先は、声が出なかった。

 喉の奥で、息が詰まる。

 空気の塊が口を塞いで、息を吸うことだって出来ない。

 私の中で、何かが壊れたような音がした。

 小さい頃からの絆が、大切な仲間が、たった一晩で無くなってしまうなんて。

 ヴィクトルもエレナもアレクも、みんなみんな……。

「……ぁ……アリ……ア…………」

 風が吹けばかき消されてしまうような声。薄く開かれた唇から発せられたのは、確かにアレクの声だった。

「お……まえ…………だけ、で……も、に…………げ……」

 嫌だ。アレクを置いて逃げるなんて出来ないよ。

 ヴィクトルもエレナも死んじゃった今、私にはもうアレクしかいないの。だから……

「……ごめ……な……、……おれ……、の……せい…………」

 それきり、アレクは何も喋らなかった。

 小さい頃から一緒で。

 しょっちゅう喧嘩もしたけど、すぐに仲直りして。

 昔、森の中で遊んでて野犬に囲まれたとき、助けてくれたこともあったよね。

 アレクのお父さんが亡くなったときは、私が一晩中、泣いてる彼の傍にいてあげたっけ。

 誰かを守るために剣術を習い始めて、私はアレクの近くにいたかったから、魔術を習い始めて。

 いつでも一番近くにいたのに、一番素直になれなかった相手。

「ああああああっ! やっ、いやあ、アレク、アレク、アレク、いやだ、やだ、やだよ、そんなの、げほっ! がほっ! ううっ、ううぅ……」

 泣くことしか出来なかった。

 泣いても何も変わらないのは、分かってる。理解してる。身に染みてる。

 私はなんて弱いんだろう。

 仲間がいなければ、何も出来ない。

 遠くから、草を踏む音がした。

 逃げなきゃいけないのに。

 アレクに、お前だけでも逃げろって言われたのに。

 もう、立ち上がれない。もう……歩けないよ。

 体が重い。

 話し声が聞こえてくる。

 聞きたくない。

 “あの人達”が同じ人間だなんて、思いたくない。信じたくない。

 この世で一番怖いのは、魔法しか通じない魔物じゃない。

 病気を媒介する化けネズミでもない。

 人間、なんだ。他人を、自分達より弱い者を、平気で踏み躙るような。

 囲まれた。

 もう、逃げられない。

 この世界には神様なんていない。

 この世界には奇跡なんてない。

 この世界には、都合の良い展開なんて存在しない。

 希望もない。あるのは、絶望だけだ。

「あ……」

 私が最期に見たのは、振り下ろされる戦鎚だった。

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