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第10話 故買屋・ジェロン

 ある程度の規模以上の都市ともなれば、“掃き溜め”とも“吹き溜まり”とも言えるような場所が存在する。

 他のコミュニティから弾き出された者や、何らかの理由により陽の当たる場所には居られなくなった者、そもそも初めから日陰を歩いていた者などが集まる場所である。

 外側から見れば治安が悪く、犯罪などが多発するような印象を持たれるが、内側から見れば、確かに犯罪は多いものの、重犯罪自体は先入観よりは少なく、“暗黙の了解”により最低限の秩序は保たれている場合が多い。

 逆説的ではあるが、最低限の秩序があるからこそ、“掃き溜め”も街の一部として機能するのだ。

 そして、そのような場所にはもう一つの顔がある。

 闇市場。

 公には流通しない、流通自体が法に触れるような物品などが取引される場。

 狩猟が禁じられている動物の角や牙。

 栽培が禁止されている植物やその加工品。

 遺跡や洞窟から持ち出された古代の遺産や宝物。

 魔術の実験材料となる魔物の体の一部。

 出所不明の武器や防具、装飾品。

 それらを扱い、売り捌く店が立ち並ぶ区域としての顔である。

 それはこの街とて例外ではなく、“掃き溜め”も存在すれば、“闇市場”も存在している。無論、“闇市場を利用する者”も。

 ジェロンは、闇市場の一角に居を構える、主に冒険者を相手とする故買屋の一人だった。


 日の出ている時間にも関わらず暗い店内。

 外観よりは広いその中には、背板の無い棚が所狭しと並べられ、乱雑に物が詰め込まれている。

 持ち手に錆びの浮いたダガー。

 表面の塗装が所々剥がれた金属製の杖。

 比較的新しそうな鋼鉄製の長剣。

 何かの魔物の鱗。

 隅が一か所だけ凹んだ大盾。

 宝石の原石と思しき、くすんだ色の結晶が生えた石。

 現在は使われていない、黒ずんだ古銭。

 形も用途も容易に判るものがある一方、何に使われるのか、そもそも一体何なのかすらもよく分からない物体まで、店内に隙間なく並べられている。

 店主のジェロンといえば、店の奥のカウンターに座りながら視線を落とし、一心に何かを読み耽っている。

 くくっと、彼の口から時折漏れる下品な笑い。どうやらそういう方向性の小説を読んでいるらしい。

 不意に、埃と錆のにおいが混じった店内の空気が動く。

 ジェロンは顔を上げようともしない。

 このような場所に店を構えている以上、ある程度の“知恵”か“力”、もしくはその両方が無ければやっていくことは出来ない。

 引退して久しいものの、彼はBランクの冒険者として活動していたのだ。幸い、“知恵”も“力”もあった。

 仮に強盗や掻っ払いの類だとしても、彼の“力”であれば対処出来る。その自負はあったのだ。

 店の中に入ってきた誰かが、澱んだ空気をかき混ぜながら、ジェロンの前に立つ。

 ことり。

 小さく音を立てながらカウンターに置かれたそれは、革紐に通された翡翠製のメダリオンが二つ。最近買い取った、店の商品の一つである。

 どちらも同じ意匠で、羽を広げた鷹が彫り込まれている。

「ああ、そいつは、一つが金貨十五枚だ。二つで金貨三十枚だよ」

 言いながら小説から目を離し、顔を上げようとした瞬間。

「!?……ッ……!……」

 頬に走った小さな痛み。

「あっ……?……」

 一瞬遅れてやってきた、強烈な眠気。

 ジェロンはその者の姿を見ることなく、あっさりと意識を手放し闇に沈んでいった。


 意識を取り戻したとき、ジェロンは目を開けようとしたが、開けられないことに気が付いた。

 どうやら目隠しをされているらしい。それも、かなり強めに。

 体を動かそうともしたが、動かすことが出来ない。代わりに、何かが床に擦れる音がする。

 今の姿勢から察するに、目隠しされた上で、肘掛け付きの椅子に縛り付けられ体を固定されているのだろうと、ジェロンはそう理解した。

 このような目に遭う心当たりは──彼には大量にあったが、少なくとも“街”の連中ではないだろう。

 この“掃き溜め”の秩序を乱す者がどうなるか、嫌という程に理解しているはずだからだ。

「目が、覚めたようだな」

 ジェロンの耳に届いた、低い声。

 耳元の近くで囁かれているのか、声の主の体温をほんの僅かに感じる。しかし、呼気までは耳に触れない距離感。

 相手が男であることは判るが、それ以外のことは分からない。

「お前に、聞きたいことがある」

 尋問か。ジェロンはそう思った。

 彼の第二関節から先が無い左手の薬指が、微かに疼く。

「……うちは秘密厳守でね。こんな事でホイホイ喋るようじゃ、商売上がったりなんだよ!」

 故買屋を営む上で重要な原則は、“秘密厳守”と“詮索しないこと”である。

 それを破れば、或いは命に関わるからだ。

 ジェロンの言葉に、声の主の動きが止まる。そして、次の瞬間。

「げぼほッ! おッ! おッ、ぁぁ……」

 冒険者時代より少し出た彼の腹に、強烈な衝撃が叩き込まれた。

 胃が肺を圧迫し、空気の塊が強引に喉を開く。

 口腔の奥で呼気が引っ掛かり、息が出来ない。

 ジェロンは思わず悶絶するが、椅子に縛り付けられた体が少し揺れただけだった。

「俺の問いにだけ、答えろ」

 声の主は指で頬を挟み込みながらジェロンの顔を掴み上げると、変わらず淡々とした口調で言う。

 目隠し越しにでも感じる静かな殺気。

 ここでジェロンはようやく、相手が本気であることに気付いたが、彼にも意地と矜持と保身の心がある。喋る訳にはいかない。

「翡翠製のメダリオン。あれの売り主は、誰だ?」

 ジェロンは思い出す。意識を失う前にカウンターに置かれた、二枚の翡翠製メダリオンのことを。

 あれを置いた相手がこの男なのだろうとは思ったが、生憎彼は、相手の顔すら見ていない。

「そ、そんなモン、言える訳ないだろうが!!」

 どこで聞かれて、どこで見られているか分からない。それが“この場所”だ。

 ガンッッッ!!

 何かが勢いよく振り下ろされた。

「あっ、アッ、ああァッ……!!」

 次の瞬間、彼の右小指に走る激烈な痛み。

 冷たく鋭利な痛みが腕の内側を通って頭に響き、ぐつぐつと煮立った痛みが右小指を激しく侵す。

 骨が、砕けた。

「……答えろ」

 痛みに顔を歪めるジェロンなど素知らぬ様子で、声の主は続ける。

「だ、だから……ッ、そんな、モン……、答えッ、られる、訳が……、ないだろうがっ!」

 経験則で解っている。このような行為は、耐え切ることが出来れば勝ちなのだ。

 ゴッッッ!!

 今度は右の薬指と中指が同時に。

 激しい痛みの中に混じる、何か濡れたような感覚。もしかすると、血が出ているのかも知れない。

「…………答えろ」

 声の主の手だろうか。ひんやりとした感触のそれが、ジェロンの右人差し指を包み込む。

「あッ、ああッ、がっ!」

 手の感触が、そのままジェロンの人差し指の先を手の甲に向けて思い切り曲げる。

 ぽきりと、厭に小気味の良い音がした。

 間髪入れず、重たい何かが彼の右親指に叩き付けられた。

「ッッッッ! ッッッッ!!」

 声を上げることすら出来ず、ジェロンは息だけで叫びを吐き出す。

 燃えるような熱を持った痛み。

 無視しようとしても強引に意識の中に入り込み、全く無関係な場所にすら痛みを齎していく。

「答えろ」

 声の主はそれしか言わない。交渉の余地など無いと、そう言いたげに。

「いッ、ひいッ、いいィッ!」

 明らかに金属の質感を持った冷たく細いものが、今度はジェロンの左親指に押し当てられる。

 かと思えば次の瞬間には、それは親指と爪の間に打ち込まれた。

 音がしている訳ではないが、ぐちゅぐちゅという感触が腕を通じて体に響いてくる。

 勿論、とんでもなく痛い。

「こ、こっちだって、っ、生活、がっ、掛かってるんだ……! い、い、言える、訳っ、ないだろうがッ!!」

 残り四本。それを耐え切ればこちらの勝ちだ。彼はそう確信していた。

「……………………」

 最早問うことすら止めた声の主が、ため息混じりにジェロンの左人差し指に何かを振り下ろす。

 ガンッッッ!

 めちめちと、彼の中で音が響いた。

(い、痛い痛い痛い!! あと、あと三本耐えれば!)

 左中指が何かに挟まれ、思い切り捻られる。

 パキパキと、音がした。

(あ、あと二本、あと二本! 痛い、痛い痛い痛いぃ!!)

 左小指と第二関節までしかない左薬指を包み込む感触。それは一気に力を込められて。

 ゴキリ、と音が響いた。

(た、耐えた、耐えたぞ、俺は、耐えたんだ……!)

 激しい痛みに侵されながらも、安堵からか、何処の僧侶に指の治療を頼もうかと思案し始めた矢先。

「……道具というものは、実に便利なものだな」

 ジェロンの耳元で、声がした。

「“結界の護符”を使えば、音の漏れ出ない空間など簡単に作り出せる」

 結界の護符。本来は、冒険者や商隊が野宿を行う際に、魔物などから身を守るために用いられるものである。

 ジェロンは、相手が何を言わんとしているか理解出来なかった。

「そして……“回復の護符”」

 瞬間、彼の体から全ての痛みが引いていく。

 挫滅した指も、折られた骨も、剥がされかけた爪も、血が溢れ出る傷口も、全てが元通りになっていく。

 耐えたことすら、振り出しに戻る。

「どうやら、俺とお前は……まだまだ、仲良くなれそうだな?」

 淡々とした、静かな口調。そこには何の感情も乗ってはいない。

「……あっ、あああ、ああっ、あああっ、ああっ!!」

 ここでようやく、ジェロンの中に恐怖心が芽生えた。

 耐えたと思えばまだ続く。

 大声を出しても、誰にも気付いて貰えない。

 彼の心は、完全に折れた。

「ひッ、ひイイィッ!!」

 南方の風土病の如き震えが、彼の全身を覆い尽くす。

 ジェロンは、失禁した。

「た、頼む、答える、答えるから……どうか、どうか、命だけはァ……」

 涙声の懇願。

「翡翠製のメダリオン。売り主は誰だ」

「“暁の獅子”の、盗賊の、ファズだ……頼む、助けて、助けてくれ」

 必死な様子のジェロンとは、対照的な様子の声の主。

「“暁の獅子”とお前との関係は」

「……たまに物を売りに来る。ただ、それだけなんだよ、信じてくれ。本当に、本当にそれだけなんだ……頼む、信じてくれ……」

 項垂れ、すすり泣きながら答えるジェロン。

「そうか」

 声の主はそれだけ言うと、目隠し越しの気配を彼に近付けていく。

「……あ」

 頬に、針で刺されたような微かな痛みが走る。

 目隠しされる前に似たそれと共に、ジェロンの意識は闇に沈んでいった。


 彼が再び気が付くと、そこは店の床の上だった。

 何も変わらない、乱雑かつ混沌とした店内。

 目立った異変は何も感じられなければ、何かしらの物が取られたような様子もない。

 夢だった。そう結論付けたいところだが、小便の臭いが残る彼のズボンが、今までのことは現実だと述べている。

──顔役に相談に行くか?

──いや、証拠も無ければ顔も見ていない。どうせ笑われるのがオチだ。

 自問自答しながら、彼はゆっくりと立ち上がる。

 辺りを見回した瞬間、ジェロンは腰が抜けそうになった。

「ヒィッ……!!」

 カウンターの上に置かれた受け皿。そこには、金貨が置かれていた。

 金貨五枚ずつの塔が六本。計、金貨三十枚。

 それは、“あの”翡翠のメダリオン二枚の値段。

 ジェロンはただ、声も出せずに震えることしか出来なかった。

──見ているぞ。

 置かれた金貨が何よりも雄弁に、あの声の主の意思を物語っていた。

「……次は、もっと安く済めばいいがな」

 あの感情のこもらない、淡々とした平坦な声が、彼の耳元で響いた気がした。

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