嶺が教室の扉を開けた、その瞬間。
ギラリと光る眼鏡の反射と共に、吉田新平が立ちはだかった。まるで舞台袖で出番を待つ三流役者。妙に空回りした気合いが、その全身から立ち上る。
「おーっと来たーっ! ランキング一位様ぁあ! この吉田新平、魂の全身全霊でお迎えいたしますッ!」
大仰に両手を広げる姿は、まるで鳴り響くファンファーレを自ら体現するかのようだ。
後方の席から、冷めた視線が突き刺さる。
「また絡まれてるよ……嶺くん、ほんとかわいそー」
「てか最下位のくせに何であんな偉そうなんだよ……」
しかし、吉田は意に介さない。むしろその反応すら、彼の舞台装置の一部であるかのように。
腰を振りながら嶺に向かって駆け寄り――まるで、尾を振る犬。
「嶺くん! 君が一位を取った瞬間、僕の中に……灯ったんだ! 熱い、熱い、炎がッ!」
ぴたりと立ち止まり、犬のような笑み。
「ワン! へっへっへっ!」
嶺は表情一つ変えず、素通りしようとする。だが、吉田が両手を広げて進路を阻む。
「いや、ちょっと待って! 話すだけでもいいから! 僕、なんでもするから!」
その瞬間。冷たく鋭い声が、空気を裂いた。
「吉田君。ランキング圏外は家畜以下。犯罪者よ」
ノートを閉じた陽乃が一瞥すらせずに言い放つ。
吉田は即座に反応する。
「僕は少年院を飛び級で卒業したんだ! 更生済みだよ! 今は清く正しい健全犬なのさ!」
誰にも頼まれていない弁解をしながら、どこか誇らしげな笑みを浮かべる。
「ランキングなんてシーソーゲームさ! 一時の喜びに――」
「……お前の席はない」
嶺の一言が、その幻想をばっさりと斬る。
教室が一瞬、静まり返った。
「い、いや、ここに……あるじゃん?」
「昨日、グラウンドに運ばれてたぞ?」
窓の向こう、ポツンと設置された折りたたみ机とパイプ椅子。
クラスメイトたちが一斉に窓を指差す。
吉田は膝をつき、肩を震わせながら叫んだ。
「は、はぶだと……!」
だが――そのとき。
空気が変わった。
吉田がスッと立ち上がる。
なぜか逆光のような光が背後から差し込み、脳内BGMが高鳴る。
彼は眼鏡をクイッと持ち上げ、目を細めて呟いた。
「いいだろう……そうくるならば、――本気を出すしかないな……!」
ざわつく教室。
生徒たちがざわ……と顔を見合わせる。
「まさか……吉田のアレが……!」
「……犬モード、神速のカミハヤ!」
「いやいや、ただ服を早く脱ぎ捨てただけじゃん」
吉田はジャケットをバッと脱ぎ、肩に羽織って振り返る。
その動きは、アニメのオープニングのようにスローモーションで。
「ランキングとは何か……? 名誉か? 実力か? ――否! 愛だッ!」
机に片足を乗せ、堂々とポーズを決める。
「愛こそすべてッ! 嶺くんに対するこの想いがあれば、僕はッ、無敵ッ!」
きらめく粉塵(のような幻覚)が舞う。
廊下の埃が風に舞い、なぜか新品の犬小屋が出現した(気がする)。
「お前にプライドはないのか……?」
「ふっ……構わないさ。例え誰にも理解されなくとも……」
ポケットから取り出したのは、セブンのランチパック。
それを高々と掲げ、叫ぶ。
「魂のサンドイッチ、ここに見参ッ! これが僕の――ランクアップ飯ッ!」
「それ、さっき購買で買ってたよね……」
陽乃の冷たい突っ込みが、空気を締め直す。
「フン……だが貧者のランチにも、魂は宿る! 嶺くん! 君に捧げる! だから! だからせめて隣の席の権利を――!」
「……いいから席に戻れ。今すぐにだ」
嶺の一言で、全てが終わった。
吉田はワンと一声鳴き、ランチパックを抱いてグラウンド席へ。
その背に、熱い覚悟が滲んでいた。
(いつか……いつかこのランキングの頂点で……お前と肩を並べてやるからな……!)
そのとき、彼の魂の犬笛は――まだ、誰にも届いていなかった。