──翌日。
「朝礼、始めるぞー……んぁ〜……」
教室に響く担任・栗原の眠たそうな声。
……だけど、俺にはそれどころじゃなかった。
隣の席の宮沢が、無言で分厚い台本の束を俺に押しつけてくる。
表紙にはこう書かれていた。
《抱きしめろ! 濡れた魂! ~愛と海藻と、吉田新平with三田!~》
(何その濡れた魂って。浄霊でもすんのか)
震える俺の手を見て、宮沢が無表情で一言。
「今日の昼休み、朗読リハーサルやるから」
「やめて!? 体育館で公開処刑されるやつだからそれ!」
俺が机に突っ伏して呻いていると、担任の栗原が視線を寄越してきた。
「天堂……今日はパンツはいてるな?」
「開口一番なんでそこ!? 」
「昨日の事件、学校のホームページのお知らせに『肌の露出注意報』が出たぞ」
「注意以前に、そんな文言が校内文書に載っている!」
教室が笑いに包まれる中、俺の机に肘をかけてくる男がひとり。
「やぁ! 嶺くん!」
──吉田新平、元気だけが取り柄のヌルヌル野郎である。
「ヌルヌルファイト、リハいつする? 僕、三田先生と合わせ技、シックスナインを完成させたから!」
「なんで、ピーオンはいってねぇんだよ!」
「あーごめんごめん。これでいいかな?
「余計アウトだ!」
俺の叫びをよそに、栗原がコーヒーを啜りながらボソッとつぶやく。
「……天堂、もうお前、伝説になりかけてるからな。中途半端が一番ダサいぞ」
「どういう美学!? それっぽいけど間違ってる!!」
教室の笑い声と、ヌルヌルとした絶望に包まれながら、俺は心に誓った。
──勝つしかねぇ。
──西園寺をぶっ倒して、
──このヌルヌル地獄から抜け出すしかねぇ!!
*
──昼休み。
「うぇーい!! ヌルヌルヌルヌル!!!」
吉田が購買の袋をぶん回しながら教室に戻ってきた。 その袋の中身は──
「今日限定! ヌルヌルパンケーキだってよ! ナタデココ2倍!!」
机の上に置かれたスマホには、試合に向けた作戦メモがびっしり並んでいる。
【西園寺のスタイル】
・冷静・丁寧・だが油断している相手には無慈悲
・リーチが長い。攻めは鋭いが、受けに回ると隙がある
・心理戦に強い。挑発には乗らない
「うーん美味だねぇ? そう思わないかい、嶺くん」
吉田がパンケーキを押しつけてくるが、適当にあしらって、俺は真剣に考える。
(力じゃ勝てない。だったら──)
「おい吉田、ヌルヌル大作戦って知ってるか?」
「えっ……あのローションで、ビデオとるあれかい!?」
「仕掛けるぞ」
「……ほう」
急に吉田が真面目な顔になる。
「そういう話なら、協力してやろうじゃなーい」
どこで覚えたんだそのキャラ設定は。
俺たちは昼休みの間、ヌルヌルアイテムを使った奇襲作戦についてマジメに話し合った。
(西園寺は、予想外のことに弱い……はずだ)
(相手の冷静さを崩せば、勝機がある)
(──そのためなら、多少恥をかこうが構わない!!)
「よし、特訓だ!! 放課後、体育館裏集合な!!」
「了解だ、裸で語り合おう!」
「なんで服ぬいでんだ!」
バカみたいに騒ぎながらも、心の奥では、冷静なプランを立てていた。そんな中、
教室の入り口で、一瞬、視線が合った。
──西園寺。
あいつは、いつも通りクールな顔でこっちを一瞥すると、何事もなかったかのように廊下を歩き去った。
でも──
(……気づいてるな)
あいつも、俺たちを警戒している。 気づかないふりをしながら、しっかり観察している。
──心理戦はもう、始まってる。
「嶺くん、このお店なら、いいローションが手に入るんだけど、どうする? 一時間コースと二時間コース」
吉田のバカな笑顔を見ながら、俺は静かに、心を燃やしていた。
「今ならトロイの木馬とセットでお得だって」