静寂を破る甲高い悲鳴で、リーゼリットは悪夢から覚めた。
飛び起きた拍子に、豪華な天蓋付きのベッドから転げ落ちそうになる。
心臓が嫌な音を立てて波打っていた。
「またこの夢……」
リーゼリットは16歳誕生日を迎えた日から毎日のように同じ悪夢を見る。
額に滲んだ冷や汗を拭いながら、リーゼリットは重い息を吐いた。
ここが侯爵令嬢リーゼリット・フォン・クライアントの豪奢な寝室であることは、すでに嫌というほど理解している。
そして、自身が前世で、この身体の持ち主である「悪役令嬢」だったことも。
前世のリーゼリットは、16歳の誕生日に新しい家族が出来た。
しかし、その継母と連れ子である妹を苛め抜き、最終的に王子から婚約破棄を突きつけられ、修道院送りの末、不遇な死を遂げた。
その記憶は、リーゼリットにとって拭い難い汚点であり、悪夢の元凶だ。
特に、妹であるロザリアをいじめ、その純粋な心を傷つけたことへの後悔は、今も彼女の胸に鉛のように沈んでいる。
窓から差し込む朝日に目を細め、リーゼリットは自身の掌を見つめた。
二度と同じ過ちを繰り返すものか。
そう固く誓ったのは、この世界に転生してから何度目になるだろう。
今世では、妹をいじめることなど断じてしない。
しかし、積極的に仲良くする気もなかった。
一度壊れた関係は、そう簡単に修復できるものではないと知っている。
それに、何より彼女が望むのは「平穏」だ。
誰にも干渉されず、誰の恨みを買うこともなく、ただ静かに一生を終えること。
それが今のリーゼリットにとって、唯一の願いだった。
だから、ロザリアとは適度な距離を保つ。
目立たぬよう、地味に、ひっそりと。
それが、きっと誰にとっても一番良い選択なのだから。
「おはようございます。お姉様」
部屋を出てすぐの廊下で、リーゼリットは妹のロザリアと鉢合わせた。
今日も眩しいほどに愛らしいロザリアだが、着ている服は下働きの女よりも酷い質素なものだ。
「貴女、何をしているの?」
「お母様に雑巾がけをお願いされました」
ロザリアの返答に、リーゼリットの眉間に皺が寄る。
「そういうのはメイドの仕事でしょう。なぜ貴女がする必要があるの? ハンナ! ハンナはどこ!?」
苛立ちを込めて手を叩き、メイド頭のハンナを呼びつける。
「はい、お嬢様。どういたしましたか?」
「どうしたじゃないわ。ロザリアに何をさせているの!」
「奥様のご命令でして……」
「私が命令するわ。ロザリアに雑巾がけはさせないで!」
「しかし、私が奥様に叱られてしまいます……」
「何? 私の命令が聞けないとでも言うの?」
「申し訳ございません」
リーゼリットはロザリアの手から雑巾をひったくり、ハンナに押し付けた。
「貴女もこの屋敷の娘なのだから、こんな格好をしないの。貴女は侯爵令嬢でしょう? 私が恥ずかしいんだからね!」
フン、と鼻を鳴らしてロザリアから顔を背けると、リーゼリットはくるりと踵を返し、階段を降りていく。
――あーー、またやってしまったわ。
ロザリアをいじめては駄目なのに、いじめてしまった。
また一つ、破滅エンドに近づいてしまったじゃない。
リーゼリットが深々と溜息を吐く後ろで、ロザリアは(お姉様、素敵……!)と、うっとり目を輝かせているのだった。
食事の席に着くと、ロザリアの姿が見当たらなかった。
「ロザリアはどこにいますか?」
継母のエルシーに尋ねると、彼女はホホホ、と下品に笑った。
「あれは下働きみたいなものですから、リーゼリット様と同じテーブルにつかせるわけには参りませんわ」
この継母は、亡き侯爵の実子であるリーゼリットに取り入ろうと、実子であるロザリアをいじめる『毒親』だ。
たしかに、この屋敷に務める下働きたちは、継母とその娘をリーゼリットと同等とは見ていなかった。
それにしても酷い母親である。
「ロザリアは私の妹です。立派な侯爵令嬢ですよ。ロザリアを呼んできてちょうだい!」
リーゼリットは近くにいた使用人に、ロザリアを呼んでくるよう言いつけた。
使用人はすぐにロザリアを見つけて連れてくる。
「貴女も毎日母親の言うことばかり聞いて。私はロザリアと一緒に朝食を取りたいのよ。妹なんだから。早く席についてちょうだい!」
ロザリアを席に座らせ、ようやく朝食が始まった。
毎日似たようなやり取りばかりで、流石に疲れてくる。
「ロザリアは私が言うことが聞けないの? 明日からはちゃんと朝食に間に合うように来なさいね!」
「はい、お姉様」
ロザリアは、優しく微笑んで答えた。
――あーー、またいじめちゃったじゃない!!
どうしてこうなるのかしら。
私はロザリアをいじめる気なんて無いのに。関わらないようにしたいのに!
運命は変えられないということなのかしら。
リーゼリットの溜息は止まらないのだった。