侯爵家での日常は、リーゼリットの予想通り、波乱に満ちていた。
というより、彼女の平穏を願う心とは裏腹に、勝手に波が押し寄せてくるのだ。
継母のエルシーによるロザリアへのいじめは、毎日の食事や外出、着るものに至るまで、執拗に続いた。
リーゼリットはその都度、表面上は高圧的に、あるいは半ば呆れたように振る舞いながら、間接的にロザリアを助け、エルシーの企みを妨害した。
それは、前世の贖罪の気持ちと、何より面倒な騒ぎを大きくしたくないという保身のためだった。
たとえば、エルシーがロザリアの食事を減らそうとすれば、「栄養失調で倒れられては、侯爵家の恥になりますわ」と一言で止めさせた。
あるいは、ロザリアに粗末な布地の服を着せようとするメイドがいれば、「侯爵令嬢として恥ずかしくないものを」と一蹴した。
そのたびにエルシーは顔を歪め、ロザリアは目を輝かせた。
ロザリアがリーゼリットに懐いていくのが、リーゼリットには手に取るようにわかった。
朝の挨拶は日に日に親しみを帯び、リーゼリットの姿を見つけると、それまで消え入りそうなほど小さかった声が、少しだけ弾むようになった。
――ああ、もう。これ以上、私に関わらないでほしいのだけど。
リーゼリットは内心でため息をつく。
ロザリアの純粋な好意は嬉しい反面、彼女にとっての「平穏」を脅かす存在でもあった。
前世の悪夢が脳裏をよぎり、これ以上、誰かと深い関係を築くことに、彼女は臆病になっていた。
そして、運命の分かれ道となる王室の舞踏会の日が近づいてきた。
前世では、リーゼリットはロザリアに嫌がらせをして招待状を渡さなかった。
しかし、ロザリアは何故かドレスアップをして舞踏会に現れ、そこでリーゼリットの婚約者であった王子と出会い、お互い一目惚れしたのだ。
結果、リーゼリットは婚約破棄され、ロザリアが王子と結婚する流れになっていた。
今世では、そんな面倒な展開はごめんだ。
さっさと招待状を渡して、さっさと行ってもらおう。
「ロザリア、王室からよ。各国の王子様が后選びをする舞踏会なんですって」
リーゼリットは、継母が隠していたロザリア宛の招待状を見つけ出し、彼女に差し出した。
「まぁ、素敵ですね。お姉様の婚約者様が見られるかしら。楽しみです!」
招待状を受け取ったロザリアは、目を輝かせ、嬉しそうにはしゃいで見せる。
しかし、その表情はすぐに曇った。
「あ、でも、私、着ていくドレスが有りません……」
ロザリアはしょんぼりと肩を落とす。
「私のを着ていけば良いわよ」
「お姉様のドレスをですか? いけません、私なんかが……」
「どうしてよ。私のドレスが着られないって言うの?」
「お姉様はスタイルが良いから、私には似合いませんわ」
「そんなこと……ないわ。でもそうね。私のドレスじゃあ、貴女には似合わないかしら」
リーゼリットの大人っぽいセクシーなドレスより、ロザリアには可愛らしいドレスの方が似合うだろう。
「分かったわ」
リーゼリットはロザリアとの会話を切り上げると、自室へと戻った。
机に向かい、デザインノートを開く。
ロザリアに似合いそうな可愛らしいドレスのスケッチを始めた。
うん、これは絶対に似合うわ。
私って天才じゃない?
リーゼリットは自身のドレスデザインの才能には自信があった。
迷うことなく仕立て屋を呼ぶのだった。
「あの、お姉様、これは……?」
仕立て屋に採寸されるロザリアは、目をパチクリさせて不思議そうに尋ねた。
「私のドレスが着られないみたいだから、貴女用のドレスを作るのよ。そのための採寸よ」
「お姉様が、私のためにドレスを……!?」
ロザリアは頬を赤らめ、感動で言葉を詰まらせる。
「だって、貴女、侯爵令嬢らしい格好をしないんだもの」
リーゼリットは腰に手を当て、ムッとした表情を作った。
何度も言っているのに、継母もロザリアも一向に言うことを聞いてくれないのだ。
本当に困ってしまう。
「デザインはこれにしたからね。文句があるなら自分でデザインしてちょうだい?」
「お姉様がデザインしてくださったのですか? 素敵です! すごく嬉しいです!」
ロザリアは素直に喜び、満面の笑みを浮かべた。
うん、ロザリアは相変わらず可愛い。
「なら良かったわ。あとはよろしくね」
リーゼリットは照れながらも冷たく言い放つと、後は仕立て屋に任せるのだった。