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スープと鉄と魔術具
スープと鉄と魔術具
シュガーソルト
異世界ファンタジースローライフ
2025年07月09日
公開日
8,076字
連載中
辺境の街の平凡な少年が、“奇跡”に出会い、夢を見た。 迷いながらも、ただひたすらに手探りで進んだ先。 小さな世界を変えたのは、ぶっきらぼうなオッサンと少年が築いた、不器用な絆だった。

第1話

 世界が変わる瞬間を、見たことがあるか?


 俺は、ある。

 たぶん他人から見たらちっぽけで、「そんなことで?」と笑われるかもしれない。


 それでもあの日、俺の小さな世界は、たしかに歩き出した。



 俺は、しがない平民の生まれだ。

 育ったのは辺境の街。“街”というより“村”と呼んだほうがしっくりくるような場所。

 大人も子供も関係なく働き、ほとんどの物は自給自足でまかなっていた。


 俺がガキの頃、母親が腰を痛めた。

 今思えば、ただのぎっくり腰だった。

 けれど、いつもキビキビと働く母が寝所で弱っている姿を見て、まだ五つだった俺は、「死んでしまうんじゃないか」と、ただただ怖かった。


 俺は長男だ。弟が二人いる。

 だから、母がいつもやっている仕事を代わろうと、井戸に水を汲みに行った。

 隣のおばさんが手伝ってくれると言ってくれたけれど、どうしても、自分の手で母親を助けたかった。


 だけど、井戸の滑車は俺には重くて、うんともすんとも動かなかった。

 結局、大人たちに手伝ってもらうことになった。


 ――悔しかった。


 そんなとき、騎士様がこの街にやってきた。

 なんでも、街の近くで魔獣の群れが確認されたらしい。

 寝耳に水で、俺たちは驚いた。けれど騎士様が言うなら本当なのだろう、と思った。


 騎士様たちは、一晩だけ街の近くに滞在し、そのまま討伐へ向かうと言う。

 それならばせめて、その一晩はもてなそうと、各家が持ち寄ったご馳走を差し出した。


 俺たちにできる、精一杯のおもてなしだった。

 けれどきっと、騎士様たちから見たら、普段食べてるもの以下だっただろうな。


 代表の騎士様は「有り難く頂戴する」と受け取ってくれた。

 他の騎士様はそうでもなかったけど、彼は俺たちに優しかった。


 その騎士様は、水を使ってもいいかと尋ねた。

 あれだけ大人数なら、井戸水が足りなくなるかもしれない。けど、魔獣退治の方がずっと大事だ。


 だから街の人たちは、近くの森の川へ水を汲みに行くことにして、俺たちは井戸水を騎士様たちに運ぼうとした。


 そうしたら騎士様は、「それは必要ない」と笑った。


「汚水の処理さえできれば十分だ」と言って、騎士様は小さな道具を取り出した。


 ――水栓魔具。そう呼ばれる魔術具を使って、彼は水を生み出した。


 俺たちの街には、魔術具なんてなかった。

 行商人からその存在を聞いたことはあったけれど、遠い世界の話で、本当にあるのかどうかも疑っていた。


 けど、あった。


 あんなに大変だった水汲みをしなくてよくて。

 井戸の水が枯れないか心配しなくてよくて。

 普段の水とは比べ物にならない、透き通った水がサラサラと流れていた。


 ――あの瞬間、俺の世界は変わった。


 俺は、魔術具師になると決めた。



「魔術具を作れるようになりたい」


 そう父さんに伝えると、「無理だ」と切り捨てられた。


 魔術具を作るには、たくさん勉強をしなければいけない、と。


 勉強――学問というのは、俺たちの街では“娯楽”だった。

 生活に余裕があって、はじめてできるものだ。


 文字や算数くらいなら、街の教会で学べた。

 家の手伝いができない年頃、大体六つくらいまでの子供は、昼間そこに預けられる。

 そして、街で生きていくための最低限を学ぶ。

 商人に騙されないように。税を納められるように。


 それ以上を学べるのは、“特別”な子供だけだった。

 特別に頭が良くて、働ける年齢になっても働かなくていいほど、特別に金のある家の子供だけ。


 俺は、特別に頭が良いわけじゃない。

 俺の家も、特別に裕福なわけじゃない。


 けど――諦めたくなかった。


 俺は、あんなふうに。

 サラサラと水を生み出したかった。

 街の誰も、困らなくていいように。


 どうすればいいのか。毎晩、考えた。


 そして、閃いた。

 ――都会の話をしてくれる行商人なら、魔術具の作り方を知っているかもしれない。


 次はいつ来るだろうか。

 どうやって話を聞こう。


 そう考えながら、その日まで、家の手伝いと並行して、できる限り勉強をした。


 教会では、牧師様に文字や算数以外のこともたくさん尋ねた。

 牧師様は、たぶん父さんから話を聞いていたのだろう。

 遠回しに、「魔術具師になるのは難しい」と伝えてきた。


 文字や算数がわかるだけではだめだ。

 魔術に詳しくなくてはならない。

 魔術に詳しくなるには、大きな街へ行き、特別な勉強をしなければならない。

 それは、家族と離れることになる。


 そう、教わった。


 父さんや母さん、弟たちと離れることを考えると、胸がギュッとした。

 だけどそれ以上に、俺は、家族に便利な暮らしをさせてやりたいと思った。


 行商人がこの街に立ち寄ったと聞いた日、俺は勢いよく家を飛び出した。


 父さんも母さんも、この頃にはもう諦めていた。たぶん、「現実を知ってくればいい」と思っていたのだろう。


 だけど俺はこの日、夢のかけらを掴んだ。


 いつもの行商人が、その日は見慣れない人を連れていた。

 ――魔術具師だった。


 俺は驚いた。

 周りのみんなは、もっと驚いていた。

 俺が魔術具師になりたいと願っていることを、街の人たちは知っていたからだ。


 その魔術具師は、次に行商人が訪ねる街に用事があり、旅に同行しているのだという。

 こんなチャンス、きっともう二度とない。

 俺は拳を握りしめ、精一杯の誠意を込めて頭を下げた。


「でしにしてください!」


 魔術具師――師匠は、「ふむ」と少し考えたあと、鷹揚に笑った。


「構わないよ」


 耳を疑った。そんな簡単に受け入れてもらえるとは思っていなかった。

 頭が追いつかなくて、一瞬身体が固まってしまった。

 けれど、すぐに顔を上げた。


「ありがとうございます!」


 周囲がザワザワとどよめく中、父さんと母さんが駆け寄ってきた。


「申し訳ありません、魔術具師様。この子が失礼なことを申し上げました。あなた様のような偉大な方に、なれるわけがないのに」


 俺はむっとした。

 せっかく弟子にしてくれると言ってもらえたのに、それを否定するみたいに聞こえたから。


「いいや。本当に構わないよ」


 師匠は軽く笑ってそう言った。

 しかし、そのあとに言葉が続いた。


「だけど、試験を出させてほしい」


 俺はごくりと唾を呑んだ。

 どんなことを言われるのだろう。


「そうだな……この“光灯魔具”を作ってごらん。期間は、次に私がここを通るまでの約七年間。それができなければ、諦めなさい」


 後に聞いた話では、師匠は俺を諦めさせるつもりだったらしい。

 俺が行商人に会いに行く前に、牧師様から俺のことを聞いていたんだと。


 当時の俺は、七年間“も”弟子にしてもらえないのか、と落ち込んだ。

 だけど、これが唯一魔術具師になれる道だとも、気付いていた。


「わかりました!」


 真っ直ぐに、師匠の顔を見る。


「ぜったいに、つくってみせます!」


 師匠は、うんうんと頷いた。

 それに対して父さんと母さんは、深くお辞儀をしていた。

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