6年後、横浜駅。
小野星奈は三人の息子を連れて駅を出た瞬間、周囲の注目を集めた。
星奈は控えめな服装ながら、化粧っ気がなくても清楚で美しい。その隣には、同じマスクをつけた三人の息子たち。大きく丸い瞳に長いまつげ、見ているだけで愛らしさが溢れている。
けれど、星奈は周囲の視線など気に留めなかった。出口に立ち、懐かしくもどこか遠く感じるこの街を見つめながら、様々な思いが胸を巡る。
6年前――藤原悠真の「浮気者」という一言で、彼女の評判は地に落ちた。
一ヶ月後、妊娠が発覚し、噂は現実となって彼女を飲み込んだ。
養父母は彼女を恥とし、用済みとばかりにすぐ縁を切り、家から追い出した。
子どもの父親は、あの見知らぬ男だと分かっていた。産むべきか何度も迷ったが、結局手放せなかった。子どもが自分を母親に選んでくれたのは運命だ、どんなに大変でも育ててみせると心に決めた。
子どもにまで悪い噂が及ぶのを恐れ、遠く田舎へ身を寄せた。
未婚の妊婦には厳しい現実が待っていた。仕事を探してもお腹の大きさに雇い主はみな渋い顔。だが、生きていくにはお金がいる――食事、出産、ミルク、学費……。
そんなとき、小さな食堂で雇ってもらえた。星奈は誰よりも働き、休みなく必死に頑張った。栄養不足と過労で、妊娠九ヶ月のある日、仕事の帰り道で倒れてしまった。
不思議なことに、次に目を覚ました時、彼女と子どもたちは長野の山奥にいた。
今も謎のままだ――
誰が帝王切開をしたのか?
誰が山へ運んだのか?
その理由は?
助けてくれた恩人は「たまたま山で出会って、思わず家に連れて帰った」と言った。
それから五年間、山で暮らすことになった。
山での生活は穏やかで幸せだった。不安も悩みもなかった。
しかし、子どもたちが大きくなるにつれ、教育の問題が出てきた。山には恩人の家族しかいない。恩人がいなくなったら、この子たちはどうなる? いつかは外の世界も見せてやりたい――
悩んだ末、恩人に別れを告げ、子どもたちと山を下りた。
本当は横浜に戻りたくなかった。6年前の傷はまだ癒えていない。
けれど、子どもたちの戸籍を取るため役所に行った時、自分がまだ「既婚」のままだと知って愕然とした!
確かに離婚届は出したはずなのに!
しかも、既婚のままでは子どもの父親欄に自動的に藤原悠真の名前が記載されてしまう!
藤原家は大財閥、悠真は彼女を心底嫌っている。三人の子どもなど絶対認めるはずがない。
だから、まず離婚しなければならない――
今回横浜に来たのは、藤原悠真ときっぱり離婚するためだ。
悠真に対して、彼女に未練はない。あの時「浮気者」と言われても、確かに彼女にも非があった。責められても仕方がない。
ただ、彼女から全てを奪ったあの男だけは絶対に許せない! 「君を一番幸せな女性にする」と言ったくせに、どうなった?
ふん! すべてを台無しにしたのはあの男だ! 思い出すだけで悔しさがこみ上げる。
「ママ、おしっこ……」三郎が彼女の服の裾を引っ張り、小さな声で言った。
その声にはっとして、星奈は三人の子どもを見つめた。どんなに辛い過去があっても、この子たちがいてくれれば、それだけで報われる。
長男の太郎は静かでしっかり者。知恵も気遣いも人一倍。
次男の次郎は元気いっぱいで、やんちゃ。ケンカが大好きで、夢は「世界最強」になることだ。
三男の三郎は泣き虫で臆病、勉強も兄たちほど得意ではないけれど、人一倍優しく、料理も得意。香水や服飾のデザインもお手のもの。星奈はよく「三郎と結婚する人はきっと幸せだろうな」と思う。
星奈は優しく微笑んだ。「うん、ママと行こうね。太郎、次郎も行く?」
太郎と次郎は揃って首を振る。「行かない!」
「じゃあ、ここで待っててね。絶対にどこにも行っちゃだめよ。」
「うん!」
星奈は三郎の手を引き、トイレの前でしゃがみこんで言った。「三郎は男の子トイレ、ママは女の子トイレね。先に出てきたら、ここで待ってて。絶対にどこかに行っちゃだめよ。」
「うん!」三郎は元気よくうなずき、男子トイレへ駆け込んだ。
星奈はその後ろ姿に微笑み、女子トイレへ向かった。
三郎はすぐに出てきて、約束通り入口で待っていた。
その時、黒服のボディガードを引き連れ、大きなサングラスに派手な口紅をつけた女性が通りかかった。女性はマネージャーに怒鳴っている。
「もう、田舎の安っぽいドラマなんて引き受けないでよ!帰るのも面倒だし、飛行機もないなんて、結局新幹線なんて使わされて。私の立場、考えてよ!見てよ、新幹線にいるのはどんな人間よ?貧乏くさくて、礼儀も知らなくて、うんざり!」
森下美月の大きな声が、その場の空気を支配していた。マネージャーは必死に機嫌をとり、ボディガードたちは乱暴に周りの人を押しのける。「どいて!通して!」
三郎は驚いて動けず、勢いよく突き飛ばされて尻もちをついた。痛みに涙が溢れるが、泣くのをこらえていた。
「どこの子よ?邪魔!」森下美月は冷たく言い放った。
三郎は怖くて動けず、涙をためて彼女を見上げた。その顔を見て、美月は胸の奥の古い棘を思い出し、怒りがこみ上げる。
「まだどかないの?邪魔するなんて失礼な子ね!親の顔が見たいわ。しつけもできてないなんて!」そう言って、ヒールの先で三郎を強く蹴りつけ、そのまま立ち去った。
「うわぁぁん!」三郎は痛みに耐えきれず、泣き叫んだ。「ママ!お兄ちゃん!痛いよ……!」
星奈はまだ女子トイレの中。太郎と次郎は声を聞きつけ、駆け寄ってきた。
「三郎!どうしたの?」太郎が急いで聞く。
三郎は二人を見るなり、さらに大きな声で泣き出す。「あの……あの悪いおばさんが……蹴ったの……痛いよ……」
次郎はその話を聞くや否や、怒りが爆発した。「お兄ちゃん、三郎を頼む!僕が行ってくる!」と言い残し、森下美月の方へと駆け出していった。