藤原悠真は小野星奈をじっと見つめ、その目に一瞬だけ奇妙な光が走った。
美しさが理由ではない。この女性には――どこか言葉にできない既視感があるのだ。
どこかで会ったことがある気がする。
だが、いくら思い出そうとしても、まったく心当たりがなかった。
悠真は無表情のまま会議テーブルに座った。まだ自分を睨みつけてくる星奈の視線に気づき、思わず眉をひそめる。
息子が自分の車を壊したというのに、謝るどころかこんな敵意むき出しの目つきとは。母子揃って度胸があるものだ。
「どうして息子に俺の車を壊すよう指示した?」悠真は開口一番、星奈に罪をなすりつけた。
星奈は拳を握りしめ、怒りに震えていたが、その言葉に一瞬固まる――彼は私のことを知らないの?
あの夜、顔を見てなかった?それとも知らないふり?
目の前の男があの“彼”かどうか確信が持てず、星奈は衝動を抑えて探るように言った。「あなた……本当に私を知らないの?」
「知らない。」
「知らない?」
「俺が君を知っているべき理由があるのか?」悠真が逆に問い返す。
星奈は黙り込んだ。
どういうこと?顔立ちは太郎や次郎にそっくりなのに。完全に同じじゃなくても八割方は似ている。
でも、嘘をついているようにも見えない。声も記憶の中の人とは違う。
星奈はしばらく悠真を見つめたが、最終的に気持ちを切り替えて現実的な問題に向き合うことにした。「知らないなら、なぜ私を捕まえるの?これって違法よ!」
悠真の顔がさらに険しくなる。小林健太が口を挟んだ。
「藤原社長は、息子さんが社長の車を壊したからと説明しています。」
「は?」星奈は信じられず、「そんなはずない!私たちは今日初めて横浜に来たんです。子供が車を壊す暇なんて……」
「監視映像を見せてやれ。」悠真が冷たく言い放つ。
会議室の大画面にJR横浜駅の監視映像が映し出された。
マスクをしていても、星奈にはすぐに次郎だと分かった。タイヤがどう壊されたのか分からないが、車体のキズは間違いなく息子の仕業だった。
「これは……ごめんなさい!本当に知らなかったんです!マスクの子は間違いなく私の息子ですが、彼はそんなことをする子じゃありません。きっと理由があるはずです!」
悠真は彼女の様子を見て、嘘をついているようには思えなかった。しばらく黙ってから尋ねる。「君の息子は爆発物を扱えるのか?」
「爆発物?まさか!そんな危ないもの、あの子が触れるはずありません!」
「だが、あのタイヤ4本は精密なマイクロ爆破装置で壊された。」
星奈の目が大きく見開かれる。すぐに必死で弁解した。「分かりました!誤解です!爆薬じゃなくて、小さな花火です!次郎は曽祖父から花火の作り方を習っていて、横浜に来るときにいくつか持たせてもらったんです。こんなに威力があるとは思いませんでした。本当に知っていたら絶対に持たせませんでした!」
彼女の言葉にはごまかしがなかった。
悠真は少し考え、納得した。花火と爆薬は原理が近いし、田舎の職人なら技術もある。小林健太の調査によると、彼らの素性も普通で、自分に危害を加えるほどの人物ではない。
考えすぎだったかもしれない。
悠真は警戒を解き、星奈への興味を失ったように小林に向かって言った。「あとは任せる。」そしてスマートフォンに目を落とし、関心を示さなくなった。
小林健太は用意していた賠償契約書を取り出した。
「小野さん、息子さんの犯行であることは認められました。証拠もありますので、賠償をお願いします。」
ひとりで子供を育てるのは大変だろうが、それが免責の理由になるはずもない。悠真は慈善家ではない。数億円の車を壊されて笑って済ませることなどありえない。子供の責任は親の責任だ。
星奈は厳しい表情になった。次郎が理由もなくそんなことをするはずがないと思いつつも、実際に車を傷つけたのは事実だ。
おずおずと尋ねる。「いくら……いくら払えばいいんですか?」
「十億円です。」
「えっ?!十億円?!」星奈の声が一気に上ずった。「強盗でもするつもりですか?!」
小林健太:「……」
スマートフォンを見ていた悠真:「……」
「示談が嫌なら、警察に通報します。」悠真の声は冷たい。
「待ってください!警察だけはダメです!」星奈は慌てて叫んだ。証拠が揃っている以上、通報されたら保護者として彼女が逮捕されてしまう。子供たちはどうなってしまうのか。
「その車……本当に十億円もするんですか?」
「はい、現在の市場価格です。」小林が証明書を差し出す。
星奈はその数字の多さに思わず顔を歪めた。「払います……払いますけど、そんな大金ありません。少し負けてもらえませんか?」
小林は悠真の方を見た。
悠真は星奈を睨みつける。「いくらなら払える?」
星奈はおどおどしながら答えた。「十……十万円じゃダメですか?」
悠真:「……」
小林健太:「……」
十億円が十万円?ゼロを四つ消しただけ?
「通報だ。警察に任せる。」悠真は立ち上がり、もう無駄な時間を使いたくない様子だった。
星奈は焦り、「待って!」と叫ぶ。
悠真は足を止めない。
星奈は覚悟を決め、叫んだ。
「お金が欲しいなら!――まず脱いで!」
悠真が足を止め、振り返る。「なんだと?」
「脱げって!その上着もシャツも全部脱いでよ!脱いで!」星奈は大声で言い放った。
悠真:「……」
小林や護衛たちも息を呑む。社長に対して脱げと言った女性は初めてだ。それもこの場で――この美人、ただ者じゃない。
悠真は唇を固く結び、尋常じゃないほど険しい表情で星奈を見据え、一語ずつ搾り出す。
「自分が何を言っているのか分かっているのか?」
星奈はその殺気を帯びた視線に思わずごくりと唾を飲み込んだが、意を決して言い直す。「言ったでしょ、お金が欲しいなら、まず服を脱いで。」
十億円なんて、家を売っても無理だし、刑務所に入るわけにもいかない。唯一の方法は、彼があの時の男かどうかを確かめること。
もし本人なら――あの夜のことを使って、この十億円の借りを返す。
あの時、彼は「一番幸せな女にしてやる」と約束した。でも今、幸せなんていらない。今は、この問題さえ片付けばいい。
子供たちのことも……彼はまだ存在を知らない。離婚したらすぐに子供たちを連れて逃げ出し、二度と見つからないようにするつもりだった。