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第6話 彼女は冷たく姿を消した?


藤原悠真は明らかに誤解していた。小野星奈が人前で自分を誘惑していると勘違いしたのだ。


「厚かましい!常識がないのか!」


星奈は思わず目を見開き、焦って説明した。


「違うの!あなたが誤解してるだけ。ただ、ちょっとあなたの……」


数年前、彼女は痛みに耐えきれず、思わず藤原の肩に噛みついた――


あの時の傷は、今もきっと残っているはず。それが証拠になる。


だが、言葉を続ける間もなく、藤原の携帯が突然鳴った。


彼はそのまま電話を取った。


「どうした。」


電話の向こうから何かを聞いた途端、彼の顔色が一気に変わる。


「すぐ戻る!」


電話を切ると、藤原は焦る様子で外へ駆け出した。冷静さは消え失せ、目にはただならぬ不安が浮かぶ。


小林健太は胸騒ぎを覚えた――藤原社長をここまで動揺させるのは、優と六年前に姿を消した奥さんしかいない。


優は藤原悠真の実の子。


そして、あの奥さんは、優の生みの母であり、藤原が長年探し続けている人だ。


小林も顔を引き締めて急いで追いかけた。


「社長、小野さんはどうしますか?」


藤原は振り返りもせずに言う。


「警察に通報しろ。」


星奈は血の気が引いた。自分の正体を証明する暇もなく、慌てて追いかける。


「警察だけはやめて!うちにはまだ三人の子どもがいるの。パパはいないのよ!私がいなくなったら誰も面倒を見てくれない。子どもたちが車を傷つけたのは悪かった、謝ります。でも、まだ五歳なの。ママがいなきゃダメなの!」


藤原は一瞬立ち止まり、星奈を振り返って見つめた――彼自身、母親がいない子どもの辛さを、誰よりも知っている。


優もそうだった――


藤原の胸に一抹の同情がよぎるが、簡単には許さない。


「ここに閉じ込めておけ。あとは後で決める。」


星奈はますます焦る。


「閉じ込めるなんてやめて!子どもたちは旅館で待ってるの。もし――」


言い終わる前に、「バタン!」とドアが乱暴に閉められ、外から鍵がかけられた。


星奈は目に涙を浮かべる。携帯も持っていない。旅館で待つ子どもたちに何かあったら、どうすればいいの?


「出して!こんなの監禁よ!お願い、開けて!」どれだけ叫んでも、誰一人返事はなかった。


……


横浜の高級マンション、晴空タワーの最上階。


藤原悠真は車を飛ばし、家に着くなり靴も脱がずに二階の子ども部屋へと駆け上がった。


執事の田中も急いで後を追う。


「何があったんだ?」


藤原の声は張りつめている。


田中は慌てて説明した。


「優さまは元気でしたが、午後になって森下さんが訪ねてきて、プレゼントを持って優さまの部屋に上がりました。でも、何を話したのか、急に優さまが……森下さんまで怪我をしてしまって。」


藤原の目が鋭くなる。歩調がさらに速くなる。


「優は怪我していないか?」


「それは……優さまが誰も近づけないで、と……」


「ドン!ガシャーン!」


ちょうど子ども部屋の前に来た時、中から何かが激しく割れる音が響いた。


藤原は胸騒ぎを覚え、勢いよくドアを開ける。


「優――」


目の前に花瓶が飛んできた。藤原は素早く身をかわす。花瓶は彼の耳をかすめて外に飛び出し、階下の床の間に激しく砕け散った。


田中は顔面蒼白でその場に立ち尽くす。


だが、藤原は慣れている様子で、荒れた部屋の中に入り、怒りで震える息子に静かに近づいた。


「優、パパに話してくれ。どうしたんだ?」


優は小さな拳を握りしめ、眉をひそめて肩で息をしている。その表情や雰囲気は、藤原悠真にそっくりだった。


藤原はそっと抱きしめようとするが、優は拒むように押しのけ、二メートルほど離れた場所から鋭い視線を向ける。


「結婚するの?」


藤原は一瞬きょとんとする。


「誰に聞いた?」


優は答えず、目を細めて睨みつける。


藤原はすぐに気づいた。


「森下美月がそう言ったのか?」


優の眉はさらに険しくなった。


藤原は深く息をつき、低い声で言う。


「彼女の嘘を信じるな。パパは再婚なんて考えてない。何年も、お前のママを探し続けているのは知ってるだろ?」


「本当に結婚しないの?」


「しない。」


「本当?」


「ああ、本当だ。」


ようやく優の顔が少しだけ和らいだ。


「彼女、嫌い。」


「俺もだ。」


優は唇を震わせて言う。


「ママの……消息は?」


「まだ分からない。でも約束する。何か分かったら一番にお前に伝える。」


あの女性に対する藤原の思いは複雑だった。


彼女はかつて自分の救いだった。命を助けてくれた恩人でもある。


一度手に入れたら、ずっと離さない――それが藤原の信念だった。だからこそ必死に探し、彼女と結婚して一緒に歳を重ねたかった。


だが、優の存在が愛しさと同時に憎しみも生んだ。


自分が触れたのは、彼女だけ。優は間違いなく自分の子だ。それなのに――どうして簡単に捨てられたのか?


もし森下美月が見つけていなければ、優は家の前で命を落としていたかもしれない。


彼女は自分だけでなく、子どもまで置き去りにした。


なんて冷たい女だ――


藤原は胸の中で怒りを噛み殺し、息子の様子が落ち着くのを見て、そっと膝をつき、優の頬を撫でながら優しく語りかける。


「優、パパもお前と同じくらい、彼女を探している。今すぐ現れてほしい。でも、どんなに願っても思い通りにならないこともあるんだ。」


外から見れば、世間で最も華やかな二人の男も、その心の奥には孤独と寂しさを抱えていた。


同じ女性に――捨てられたのだ。


優は苦しげに眉を寄せる。


「ママはどうして僕もパパもいらないの?僕がダメだったの?」


藤原は首を振る。


「お前が生まれたばかりの時に彼女は出て行った。お前のせいじゃない。お前は最高の子どもだ。」


「じゃあパパが悪かったの?パパがママをいじめて、追い出したの?」


「俺は……」


藤原は言葉を詰まらせた。


あの時はどうしようもなかった。死の淵で他に選択肢はなかった。でも、彼女の恐怖や苦しみは確かに存在した。


それも原因だったのかもしれない。


自分にも非がある――それは認めている。本気で償いたいし、これからは一緒に生きたいと願っている。


「……優、パパとママの間には確かに色々あった。でも信じてほしい。あの時パパは彼女に約束した。世界で一番幸せにすると。なのに彼女は消えた。お前が彼女を想うように、パパも同じ気持ちだ。」


優はしばらく藤原を見つめていたが、やがてふいっと窓際に背を向け、じっと玄関の方を見つめる。


彼はいつもここで、ママが突然戻ってくるのを待っている。


パパよりも先に、その姿を見つけたくて――


藤原は息子の小さな背中を見つめ、胸を締めつけられる思いだった。


こんな時はいつも、心の奥で叫びたくなる。


あの女――お前は一体どこにいるんだ!


息子はお前を想って病気になりそうなのに……それでも帰ってこないのか?


俺たち二人を置き去りにして……お前の心は、痛くないのか?


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