そのころ、小野星奈は三人の息子たちに連れられて新しい住まいへ戻っていた。
もともと、三人は洗面を済ませて部屋に戻ると、母の姿が見えず、ドアも開け放たれていたため、すぐに異変に気づいた。
太郎がすぐにホテルの防犯カメラをチェックすると、母が無理やり連れ去られる様子が映っていた。彼は弟たちを連れて急いで現場に向かった。
一方で、小野星奈は偶然にも難を逃れたと思い込み、まだ動揺が冷めやらない。火災警報が鳴った際、混乱に乗じて部屋を飛び出し、階下に駆け下りると、待ち構えていた息子たちと鉢合わせたのだ。
母子四人は、余計なことを考える暇もなく、タクシーを止めてその場を離れた。
新居に戻ると、小野星奈は気を落ち着かせ、子どもたちに尋ねた。「どうしてあんなところまで来たの?」
太郎が即答する。「部屋を出たら、ママがいなくて、下の階の管理人さんが誰かに連れられて行ったって言ってたから、心配になって位置情報を頼りに向かったんだ。ちょうどママが出てきたところに会えた。ママ、一体何があったの?」
小野星奈は今は深く追及せず、次郎に視線を向けて真剣な口調で言った。「次郎、正直に話して。どうして昼間、他人の車に傷をつけたの?」
次郎は大きな目を瞬かせ、鋭く問い返す。「ママを連れて行ったのって、あの意地悪な女とその男?」
「どんな女のこと?」
次郎の顔が険しくなり、怒りをあらわにする。「あいつらがママに手を出すなら、昼間横浜駅でやっつけておけばよかった!ママをいじめるなんて、許さない!僕が仕返ししてやる!」
そう言って、玄関に飛び出そうとする。
小野星奈は彼を椅子に押し戻し、「横浜駅で何があったの?隠さずに言いなさい」と厳しく問いただす。
次郎は観念し、森下美月が三郎を蹴って怪我をさせ、それに腹を立てて自分が車に傷をつけ、タイヤを爆発させて仕返ししたことを包み隠さず話した。
小野星奈はそれを聞いて、言葉を失うほど驚いた。
まったく知らなかったのだ。
彼女はすぐに三郎を抱きしめて怪我の具合を確かめる。息子の足に大きな青あざを見つけた瞬間、胸が締め付けられる。
「三郎……痛くない?」と声を震わせて尋ねる。
三郎は優しい子で、母を心配させまいと慌てて首を振る。「もう全然痛くないよ、ママ!ほら、跳ねてみせるから!」と言って、その場でぴょんぴょん跳ねて見せる。
そんな三郎を見て、小野星奈の目からは堪えきれない涙がこぼれ落ちる。三郎は少し繊細な性格なので、彼女はどうしてもこの末っ子をより一層気遣ってしまう。
「ごめんね、ママがちゃんと守れなくて……」
「そんなことないよ!下の階の管理人さんだって、ママがおかげで僕は元気だって褒めてくれたんだよ」と三郎はふわふわとした声で励ました。
小野星奈はしばらく三郎を抱きしめたまま、手作りの漢方軟膏を取り出し、やさしく青あざに塗った。
その後、次郎にはきちんと話をした。弟がいじめられた時に兄が守るのは立派だと褒めつつも、勝手に行動したこと、車を傷つけたこと、危険なものを持ち歩いたことは絶対に許されないと厳しく叱った。
「花火」の危険性についても厳しく注意し、二度と触らないように言い渡す。
次郎はママを心配させまいと、素直にうなずいた。
新しい住まいに移った理由については、太郎が適当に理由をつけてごまかし、小野星奈も深くは考えなかった。
子どもたちを落ち着かせてから、太郎が尋ねた。「ママ、あの人たちに何かされたの?」
天文学的な十億円の賠償請求を思い出し、小野星奈の心は重く沈む。子どもたちには心配をかけたくなくて、無理に笑顔を作った。「もう大丈夫よ。全部終わったから。みんな、仲良く遊んでてね。ママはちょっとお手洗いに行ってくるわ」
小野星奈が洗面所に入ると、三人の息子たちはすぐに寝室に集まり、相談を始めた。
太郎は眉をひそめて言う。「これで終わりなはずがない。あの人たちがママを簡単に諦めるなら、最初から閉じ込めたりしないよ」
次郎は拳を握りしめる。「終わるわけないでしょ!ママをいじめる奴にはきっちり仕返ししなくちゃ!兄ちゃん、三郎、ママを頼んだよ。僕はあいつらをやっつけてくる!」
「今度は僕が行く」と太郎が次郎を止める。
「兄ちゃんが?あの男の周りにはいっぱいボディーガードがいるのに……」
太郎は無表情でタブレットを見据え、小学生とは思えない落ち着きで言った。「ママが言ってたでしょ。今は法治社会なんだから、正当なやり方でやり返すべきだよ」
そのころ、小野星奈は息子たちがまた何か企んでいるとは知らず、ベッドに横たわりながら眠れぬ夜を過ごしていた。
十億円という借金が、まるで山のようにのしかかって息が詰まりそうだ。どんなに頑張っても、到底払える額ではない。
さらに頭を悩ませるのは、あの男の顔――太郎や次郎と瓜二つだったことだ。彼こそ、昔彼女の人生を狂わせた「あの男」に違いない。
そう思うと、怒りで歯ぎしりせずにはいられない。
しかし、確かな証拠があるわけでもない。今は十億円の借金だけでなく、あの男に子どもたちの存在を知られ、奪われる危険まである……。一刻も早く横浜を離れなければならない。
唯一の道は、まず藤原悠真と離婚し、法的な関係を完全に断ち切った上で、子どもたちを連れて遠くへ逃げること。そして借金を返す方法をゆっくり考えるしかない。
そう決意した小野星奈は、一睡もできなかった。翌朝、身支度を整え、子どもたちに「勝手に外へ出ないように」とメモを残し、急いで家を出た。
タクシーに乗り、藤原悠真が住むスカイツリー最上階のマンションへ向かう。
今日こそ、必ず離婚を成立させる!
……
そのころ、スカイツリー最上階のマンションは、朝から大混乱に陥っていた。
藤原悠真のもとには、次々と悪い知らせが舞い込んでくる。
昨日自ら視察し、確実に手に入るはずだった重要な商業ビルが、夜のうちに誰かに超高額で買い取られてしまった。
長年かけて準備していた複数の一等地も、夜のうちに全て横取りされた。
さらに、ほぼ契約直前だった大型プロジェクトまで横から奪われてしまったのだ。
藤原財閥の朝だけで、被害総額は数百億円にのぼると見積もられている。
金そのものはどうでもいい。だが、これは明らかに計画的な妨害であり、彼を公然と挑発するものだった。
これまで、藤原悠真はビジネス界で圧倒的な地位を築き、彼の前で大声を出せる者などほとんどいない。
そんな彼に、正面から挑む者が現れたのだ。
さらに腹立たしいのは、彼のもとで最も優秀なIT部門ですら、相手の正体を特定できなかったことだ。苛立ちは頂点に達していた。
社長の怒りを前に、藤原財閥全体が重苦しい空気に包まれる。秘書の小林健太は電話対応に追われ、てんてこ舞い。
混乱の最中、藤原財閥本社の全てのパソコンが一斉にブルースクリーンでダウンするトラブルが発生。
社員たちは、何もできず真っ暗な画面を見つめるしかなかった。
「IT部門は一体何をやっているんだ!」藤原悠真の声は氷のように冷たい。
小林健太も汗だくになりながら、電話越しに叫ぶ。「まだ復旧しないのか!」
IT部門の精鋭たちは、かつてない強敵を前に、なす術がなく泣きそうになっていた。
「直った!起動できたぞ!」と、ようやく復旧の報告が入る。
社員たちがほっとしたのも束の間、パソコンの画面がついた瞬間、誰もが目を疑う光景が広がっていた。