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第13話 バーの騒動、運命の再会


藤原星奈は、疲れながらもどこか軽やかな足取りで新しい住まいへと戻ってきた。ドアを開けた瞬間、ふわりと美味しそうな料理の香りが広がる。


家では、しっかり者の三郎がすでに昼食を用意してくれていた。茶碗蒸しの上にはピンク色の海老や、黄金色のコーン、翡翠のようなグリーンピースが彩りよく浮かんでいる。見た目も味も香りも申し分ない出来映えで、思わず食欲をそそられる。


「ママ!」三人の子どもたちは彼女の姿を見るなり、嬉しそうに駆け寄ってくる。その瞳は純粋な喜びに満ちていた。


星奈の心は一瞬にして温かさで満たされる。さっきまで感じていた藤原悠真への不満や嫌な気持ちも、子どもたちの笑顔を見ればすぐに消えてしまう。彼らこそが、星奈にとって最高の癒しであり、どんな悩みも吹き飛ばしてくれる存在だった。


星奈は笑顔で子どもを抱きしめたり、頬にキスしたりして、幸せを噛みしめた。


「ママ、用事はうまくいった?」と長男の太郎が心配そうに尋ねる。


星奈は首を振り、できるだけ明るい声で答えた。「まだなの。横浜でもう少しだけ用事があるから、あと何日かいることになりそう。」


「どうして?」と次男の次郎が続けて聞く。


「ママが会いたい人が出張で横浜にいないの。帰ってくるまで、少し待たなきゃいけないんだよ。」星奈は悠真の名前は出さず、子どもたちに本当の理由や過去のことは一切話さなかった。


星奈にとって、子どもたちには何の心配もなく、健康で楽しく育ってほしい。大人の悩みは決して彼らの重荷にしてはいけないと思っている。


「さあ、心配しなくて大丈夫!きっと何とかなるから、ごはんにしよう!」星奈は話題を変え、明るく笑った。


「うん!」と子どもたちは元気よく返事をした。


昼食後、三人は素直に昼寝に入った。星奈はベッド脇に座り、財布を取り出して残りのお金を数え始める。


全部合わせても、二十万円に届かない。


一気に現実の重圧がのしかかる。


宿代も食費もかかる。子どもたちはまだ小さいけれど、成長期だから栄養には気を配らなければいけない。野菜や果物、牛乳や卵、魚や肉……どれも欠かせない。四人分の生活費は、決して安いものではない。


このお金ではすぐに底をついてしまう。


手元にお金がないと、不安が募る。


星奈は、できるだけ早くアルバイトを見つけなければと思う。できれば日払いがいい。悠真がいつ戻るかも分からないし、のんびりしていられない。


けれど、この学歴社会で、大学も中退し、資格もない自分に、理想の仕事なんて簡単に見つかるはずがない。


「はぁ……」星奈はため息をつき、またしても運命に翻弄されている自分をかみしめた。せっかく志望校に合格して、明るい未来が待っていたはずなのに……過去を思い出しても仕方がない。


求人サイトを隅々まで探してみたが、これといった仕事には出会えなかった。結局、現実を受け入れるしかなかった――時給よりも、まずは稼げることを優先して選ぶしかない。比較した結果、「月見草居酒屋」のホールスタッフのバイトが日払いで一番条件が良かった。一晩で一万三千六百円、さらにドリンクの売り上げの3%が歩合としてつく。


あまり気が進まない場所ではあったが、空っぽの財布と育ち盛りの子どもたちを思えば、星奈は覚悟を決めるしかなかった。


夜七時、星奈は予定通り「月見草居酒屋」へ向かった。横浜でも最大規模の、豪華な高級居酒屋だ。


「月下独酌、憂いも忘れて楽しむ」――その名の通り、上流階級や有名人が贅沢に遊びに来る場所だ。


働き始めてわずか一時間余りで、星奈はその美貌と気品を武器に高級酒を三本も売ることができた。一本二、三十万円もする日本酒で、歩合だけで数万円は稼げた。清楚な顔立ち、均整の取れたスタイル、優しい声、所作の一つ一つが美しく、客の目を惹きつけてやまない。


だが、その美しさは時に災いも招く。


「この酒、一気に飲んでくれたら代金は俺が出すよ。」油っぽい髪に濁った目をした中年男が横柄に言う。森下美月の叔父、森下海――横浜で悪名高い女好きで、下品で粗野なタイプだ。


星奈は彼のことを知らず、きょとんとした。「私が飲むんですか?」


「そうだよ、一滴も残すなよ。」森下海はいやらしい目で星奈を舐めまわすように見ていた。


星奈は、面倒な男に目をつけられたと直感し、抑えた笑顔で応えた。「すみません、森下さん。今日は風邪薬を飲んできたので、お酒は控えています。」


森下海は途端に不機嫌になり、「なら、その酒は要らない!」と怒鳴った。


星奈は驚きつつも、「森下さん、店のルールで開封したお酒は返品できません。」と説明する。


「はっ!」森下海が冷笑する。「俺が頼んだのか?勝手に開けたんだろ。返品できない?なら、自分で払えよ!」


星奈は必死で怒りを抑え、「森下さん、ちゃんとご承諾いただいて開けました。個室には監視カメラも……」


言い終える前に、個室がどっと笑いに包まれた。


「新入りか?和室にカメラなんて付いてるわけないだろ。何も知らないんだな。」


星奈は内心、拳を握りしめた。ここには、そんな裏のルールがあるなんて知らなかった。


周囲から「忠告」が飛ぶ。「森下さんに気に入られるなんてラッキーだぞ。言われた通りに飲めばいいんだ。森下さんの力、知らないのか?うまくいけば良い思いができるぞ。」


星奈は、相手がただの酔っ払いではないことを悟る。彼にとって二百万円の酒は遊びにすぎないが、自分にとっては到底払えない大金だ。


短い沈黙の後、星奈の目に決意が宿り、微笑みながら言った。「私が無知でした、森下さん。ここはうるさいので、もう少し静かな場所でお話ししませんか?」


森下海は大喜びで立ち上がった。「おお、いいね!静かな所で二人きりで話そう!」


個室の中は下品な笑いや口笛で満たされた。


星奈は嫌悪感を堪えながら、素早く個室を出る。


その時、エレベーターの「チン」という音と共に、藤原悠真がちょうど廊下へ現れた。


彼は眉をひそめ、何気なく廊下を見やると、星奈が素早く非常階段のドアに消えるのが見えた。


その直後、森下海が「おいで、お嬢ちゃん!」と叫びながら、急いで同じドアに消えていった。


居酒屋の非常階段は薄暗く、人通りも少ない。こうした場所は、よからぬことに使われるのが常だった。


「へへっ、こういう女が一番たまらないんだよな。ほら、その可愛い口……たまんねぇな……」森下海の下卑た声が階段に響く。


直後――


「きゃっ!」という短い悲鳴が響いた。


小林健太の顔色が変わる。「藤原社長!藤原さんが危ないかもしれません!」


藤原悠真は眉間に深いしわを寄せた。面倒な女だと自分に言い聞かせながらも、優の顔が脳裏をよぎり、結局足が勝手に非常階段へ向かっていた。


重い防火扉を押し開けると、そこには――


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