――事故だって?
森下美月はその言葉を聞いた瞬間、胸を締め付けていた不安が一気に消えた。
やっぱり!あの女が身の程知らずに悠真を誘惑したに違いない!悠真は最初から私になんて興味ないんだ!
あの狐女め、分をわきまえろっての!
森下美月はすぐに涙を浮かべ、被害者を装い始めた。
「絶対に私たちの関係を誤解して、こんなひどい目に遭わせたのよ!顔まで傷つけようとしたの……うう…」と、わざとらしく泣きながら、藤原悠真の顔色をうかがう。
彼女は藤原星奈を嫉妬深くて意地悪な女に仕立て上げ、悠真に嫌わせるつもりだった。できれば自分のために星奈を懲らしめてほしい――自分は悠真の命の恩人なのに、なぜあの女だけいい思いをするの?
「君のボディガードはどうしたんだ?彼女にやられても止めなかったのか?」と藤原悠真は淡々と尋ねる。
「ボディガードも…あの女が連れてきた人たちにやられてしまって!何台もの車で押しかけてきて、いきなり襲いかかってきたのよ!通りすがりの人が警察に通報してくれなかったら、私の顔はもう…悠真、お願い、助けて…!」と、美月は涙をぽろぽろこぼしながら訴えた。
藤原悠真は黙ったまま、しばらく考え込んだ。
美月はさらに大げさに怯えたふりをして、「悠真、私、本当に怖いの…。あの人、あなたにキスをしたから、自分が好かれてるって勘違いして、これからもっと私をいじめるに決まってる!ねえ…私、しばらく悠真の家に泊めてもらえないかな?あなたのそばなら、きっとあの女も手出しできないし、優ちゃんの世話もできるし…」
そんな計算を巡らせていた。
だが、藤原悠真の答えは――
「必要ない。誤解が原因なら、ちゃんと誤解を解けばいい。」
そう言って、小林健太に指示を出した。「小林、外部に伝えてくれ。森下美月さんとはただの友人だと、恋人関係ではないと。余計な噂を流す者がいたら、しっかり口を慎むように。」
美月は一瞬、呆然とした。
こんなはずじゃ…私はただ、あのタワーマンションに転がり込む口実が欲しかっただけなのに!関係をはっきり否定されたら、芸能界でどうやって立ち回れっていうのよ?
「悠真!そんな…」と、すがりつこうとするが、
「もう伝えた。彼女ももう誤解しないはず。安心して治療に専念してくれ。」とだけ言い、悠真はあっさり病室を出て行った。
美月はベッドの上で、怒りに震えて彼の背中を見送るしかなかった。
あの女のせいで、手も足も怪我したのに、最後は悠真にまで関係を切られるなんて――
「この女狐!絶対に許さない!」と、病室には美月の絶叫が響き渡った。
藤原悠真が病室を出るや否や、小林健太に尋ねた。「調べは終わったか?」
悠真の関心は美月の怪我ではなく、星奈のことだった。
「美月さんのボディガードが証言しました。美月さんの叔父、森下海が『悠真さんが居酒屋で藤原さんにキスされた』と連絡したそうです。それで美月さんは人を集めて藤原さんを待ち伏せし、頬を叩いた上、顔にまで傷をつけようとしたとか。」
「藤原さんは反撃して、美月さんを蹴り、護身用スプレーでボディガードを撃退して逃げたとのことです。その後、誰かがボディガードを襲って、美月さんの足首も折られたそうです。」
「誰がやった?」
「分かりません。ボディガードの話では、美月さんは業界で恨みを買っているから、アンチにやられたのでは…と。」
悠真は冷たい視線を落とし、心の中で呟いた――美月は嘘ばかり、自分を馬鹿にしてるつもりか。
「森下商事への百億円の融資、取り下げろ。それから森下海にも伝えてくれ。俺は、嘘をつく人間が一番嫌いだと。」
「かしこまりました。」小林はすぐさま悟った。美月はもう完全に社長の逆鱗に触れたのだ。
優ちゃんの病室へ戻ると、悠真の顔から険しさは消え、ただただ深い愛情だけが残っていた。
小さな体はまだ眠ったまま、顔色も蒼白だ。悠真はそっとベッドに腰かけ、優ちゃんの頬をやさしく撫でる。
「ママ……」と、優ちゃんは寝言をつぶやいた。
悠真の胸が痛む。あの女はどこにいるんだ?息子がこんなに母親を恋しがっているのに、心が痛まないのか?
藤原星奈の姿が、ふいに頭の中によみがえる――あのとき、必死で背伸びしてキスしてきた彼女の顔が忘れられない。
悠真の手がふと止まる。
確かに、この六年間、どんな女性も近づかせなかった。キスなんて、なおさら。
でも、星奈だけは違った。抱きしめられ、キスまでされてしまった。
彼女が泣いたとき、最初に感じたのは同情だった。
キスされたときも、嫌悪感よりも、あの六年前の夜の記憶がぼんやりとよみがえった。
――これは、どういうことだ?
もしかして……彼女こそ、あの時の女性なのか?
悠真の鼓動が速くなる。
もし彼女が優ちゃんの生みの母親なら、なぜ今も名乗り出ない?自分は確かに責任を取ると約束したのに。
それとも……自分が星奈を想うあまり、似ているだけで錯覚しているのか?
混乱する思考を振り払い、悠真は決意したように小林に電話をかける。
「今すぐ藤原星奈を探して、俺のところに連れてきてくれ!」
「今ですか?」
「今だ!どちらにしても、まず親子鑑定をする。もし本当に優ちゃんの母親なら……」
もし違ったら――俺にキスするなんて。ただじゃ済まさない。
小林はすぐに行動を開始した。
星奈の行方がつかめず、彼は「月見草居酒屋」へ向かった。
店長がアルバイト名簿を確認しながら、「藤原星奈?今日はその名前の人いませんよ」と言う。
小林が星奈の写真を見せると、
「ああ、この子か!でも藤原星奈って名前じゃなかったよ。ほら、本人がこう書いてた。」
小林と部下が名簿をのぞき込むと、全員が絶句した。
そこには、はっきりと「小川幸恵」と書かれていた。
なんて分かりやすい偽名だ。
「……住所も分かりますか?」
「一応あるけど……」店長は名簿の住所欄を指差した。「これ、見てください。本当の住所に見えます?」
小林がその明らかにでたらめな住所を見ると、ため息をつかずにはいられなかった。探しても、やはりそれらしき場所は見当たらない。
星奈はまたしても姿を消した。
小林は渋々病院へ戻り、報告する。
「社長、藤原さんはまた行方不明です。私たちも見つけられませんでした。ただ、高橋家も彼女を探しているそうです。高橋悠斗くんが目覚めて、『きれいなお姉ちゃんに会いたい』と泣き叫んでいるので、高橋家の方がむしろ必死みたいです。」
悠真は不機嫌そうに、「居酒屋の方は?」
「確認しましたが、藤原さんは偽名と偽の住所を使っていました。これが本人の書いたものです」と、名簿のコピーを差し出した。
悠真は、その美しい筆跡に一瞬目を奪われ、次に「小川幸恵」という名前に気づき、口元がわずかにひきつった。
「小川幸恵、か……」
小林は思わず苦笑する。「なかなか大胆な小川さんですね。」
悠真は無言で唇を引き締め、「引き続き探し出せ」とだけ命じた。