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第3話 陽向は天然?


暮長町の夜はいつも以上に賑やかだった。古びた家は防音性が悪く、まだ夜明け前だというのに、上の階からは大人の怒鳴り声や子どもの泣き声、年寄りの愚痴など、さまざまな音が混じり合って響いてくる。


遥菜は仕方なくベッドを抜け出し、窓の外の薄暗い空を一瞥して、ジャージに着替えてランニングに出かけた。


階段を降りると、ちょうど買い物から帰ってきた母の星野由美と出くわした。


由美は遥菜を見るなり、少し戸惑いながらも気遣うように声をかけた。


「遥菜、もしかして寝付きが悪かった?こんなに早く起きて……」


母の優しい眼差しに、遥菜は口元をわずかにほころばせて応じた。


「ちょっとだけ。でも、そのうち慣れるよ。」


逆に母を安心させるように言う。


由美は思いがけない返事に少し戸惑った様子だった。


「遥菜!」


遥菜が出かけようとしたところで、由美が再び呼び止める。


遥菜が振り返る。


「食べたいものがあったら教えて。作ってあげるから。お昼には陽向も帰ってくるし。」


遥菜は少し考えてから「生姜焼きがいいかな」と何気なく答え、そのまま出かけていった。


由美はそれをしっかり心に留めた。


朝のランニングから戻ると、朝食の食卓にはお粥、中華まん、ゆで卵、そして出来立ての生姜焼きが並んでいた。遥菜は美味しそうに食べた。





朝食後、遥菜は両親に転籍手続きをしに行くと告げた。


手続きは白鳥家側の協力もあり、驚くほどスムーズに進んだ。すべてが終わり、遥菜が帰ろうとした時、白鳥美桜が声をかけてきた。


遥菜は足を止めず、無視するつもりだった。昔から美桜は表ではか弱く見せて、裏では陰湿なことをしてきた。


「遥菜!」


美桜が早足で近づき、綺麗な招待状を手渡してきた。


「皆が私の体調が良くなったのを知って、今週末に集まりを開くの。旧友や同級生も来るし、光司も来るわ。遥菜も来てくれるよね?」


その口調は親しげで、断れない雰囲気だった。


同級生の話が出ると、遥菜は学生時代を思い出した。クラスの坊ちゃんやお嬢様たちは皆美桜の周りに集まり、遥菜はよく仲間外れにされたものだ。


逆に隣のクラスの数人とは今でもいい関係だが、彼らは今やそれぞれ活躍している。一方で美桜の取り巻き達は、未だに親の財産に頼って遊び呆けている。


遥菜は表情を変えず、はっきりと「行かない」とだけ答えた。


美桜は意に介さず、さらに一歩近づいて声をひそめた。


「本当の家族の元に戻ったって、私たちの絆は消えないでしょ?光司とのことも、私のせいで別れちゃったし、それを埋め合わせる機会をちょうだい?」


遥菜はこれ以上相手にする気もなく、腕時計に目を落とすと、そのまま停まっていたタクシーに乗り込んだ。


美桜は遠ざかるタクシーを見送りながら、どこか誇らしげな笑みを浮かべていた。ようやく、邪魔者を追い払ったという満足気な表情だった。





タクシーで、携帯が鳴った。


ディスプレイには「高橋美紀」の名前。


電話に出ると、いきなり美紀の大げさな声が飛び込んできた。


「三年も音信不通で、急に暮長町に引っ越すって?星野遥菜、私たち親友だよね?」


遥菜は少し携帯を遠ざける。


「話せば長いよ。今転籍手続き終わったところ。白鳥家とも縁を切ったし、九条光司とも別れた」


「やっと目が覚めた?前から言ってたでしょ、九条光司のあの氷みたいな顔、絶対やめとけって!なんであんな奴にこだわるのか分かんなかったよ!」


美紀は容赦なく突っ込んだ。


「それで、うちに泊まる?暮長町の家、ちゃんと寝れるベッドあるの?」


「大丈夫。私は星野家の運を良くするつもりだから。家の運が上がれば、私自身も運が開けるの。」


電話の向こうで一瞬黙り込む美紀。陰陽道や運勢の話はよく分からないらしいが、すぐに話題を変えた。


「それなら、いい仕事紹介してあげる!三年もあなたのこと待ってた人がいるの。星野先生に家相を見てもらいたくて仕方ないって!どう?」


「前に話してた人?」


遥菜は思い出した。


星野家の現状や、再び陰陽師として活動するためには功徳を積む必要があることを考えると、この依頼は受けるべきだと思った。


「そう!うちの叔父さん!ちょうど東京からこっちに来てるから、週末どう?」


美紀の声はどこか嬉しそうだ。


久瀬直史……


遥菜はこの関東で有名な人物に会ったことはなかったが、美紀の話では、久瀬直史は冷徹で人を寄せ付けない雰囲気の持ち主。東京でも恐れられている存在だという。


そんな人が私に鑑定を頼むなんて。


美紀はさらに続ける。


「安心して!叔父さんはお金持ちだから。鑑定料は最低でも100万円だって!絶対受けた方がいいよ!」


その金額に惹かれて即答した。


「分かった、受ける。」


時給100万円の陰陽師、誰だってやってみたい。


暮長町の家に戻ると、弟の陽向が帰宅していた。昨夜はレストランで夜勤だったため、昼まで寝て今ちょうど起きたところで、突然できた妹と鉢合わせになった。


遥菜は着替えていたが、顔のほくろはそのまま、痩せてはいるが芯の強さを感じさせる姿だった。


陽向も妹をじっと見つめ、遥菜も陽向を観察していた。板前見習いをしている陽向は、清潔感があり油臭さもない。短髪で白い肌、母親似の目元が印象的で、きちんと整えれば相当なイケメンになりそうだった。


しばらく沈黙が続いた後、遥菜が先に口を開いた。距離を保つように、丁寧に挨拶する。


「はじめまして。」


陽向は、こんな綺麗な妹に話しかけられて、明らかに戸惑っていた。生活環境のせいで自信がなく、女の子と話すのも苦手なのだろう。親しい間柄のはずなのに、指先で服の裾をいじりながら、緊張でどもってしまう。


「は、はじめまして。ぼ、僕は陽向です。…えっと、星野陽向です。」


そんな陽向の様子が可愛らしくて、遥菜は思わず微笑んだ。


「両親、夜は帰りが遅いみたいだけど、晩ごはんはどうする?」


無表情の時は近寄りがたい美人なのに、こうして微笑むと場の空気が明るくなり、陽向は何でもしてあげたくなった。


「妹、遥菜が食べたいもの、作るよ!僕、料理は得意だから!」


「じゃあ、一緒に買い物に行く?」


遥菜がにっこりと提案する。


二人で家を出て、近くのスーパーへ向かう。


だが、入口まで来ると、陽向は立ち止まってしまった。


「どうしたの?」


遥菜が尋ねる。


「スーパーは…高いから、外の屋台で買わない?」


陽向は小声で申し訳なさそうに言った。


遥菜は納得して陽向の手を引いて店内に入る。


「大丈夫。ちょっとした買い物だよ」


少し歩いたところで、どこかで聞き覚えのある声が響いた。


「光司、見て!あれ、遥菜じゃない?もう新しい彼氏でも見つけたのかな?」





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