白鳥美桜は九条光司に目配せしながら、さらに火に油を注いだ。
「見た? あの新しい彼氏、身なりがみすぼらしくて、どう見ても貧乏くさいわよね。遥菜がなんであんな子に惹かれるのかしら。だって、光司くんみたいに優秀な元カレがいたのに……」
彼女は九条光司の顔色がどんどん険しくなっていることにも気づかず、言葉を続けた。
「たぶん久しぶりに暮長町に戻ってきて寂しかったから、適当にあんな安っぽい子を慰めにしたのよ。」
言い終わると同時に、九条光司が表情を険しくし、星野遥菜の方へ大股で歩き出した。
「光司くん、待って!」
体が弱い美桜は、足の長い九条についていけず、慌てて追いかけたが、足を取られて転んでしまった。
「痛っ……光司くん、痛いよ……」
だが九条光司は振り返ることなく、遥菜の目の前に立ちはだかった。
星野遥菜はちょうど野菜を選んでいて、星野陽向がカートを押して横にいた。二人は年も近く、並ぶとまるで美男美女カップルのように見える。
突然二人の頭上に影が落ちた。
九条光司の大きな手がいきなり遥菜の手首を強く掴んだ。骨がきしむほどの力だ。
遥菜は思わず痛みで顔をしかめ、鋭い目で睨みつけた。
「九条光司、何してるの? 離しなさい!」
九条は冷たい笑みを浮かべた。
「遥菜、あんなチンピラみたいな男を彼氏にして、俺に当てつけか? 駆け引きのつもり?」
遥菜の涼やかな表情に、さらに苛立ちが混じる。
「当てつけ? 自意識過剰もいい加減にして。あんたなんて、私が捨てたゴミよ。」
「よくも……!」
九条の目が怒りに燃え、手に力をこめる。
「遥菜!」
陽向が咄嗟に九条光司の背後から襟首を掴み、驚くほどの力で九条を投げ飛ばした。
ドサッ!
九条光司は人生で一番みっともない転び方をした。
見た目は細身の陽向だが、厨房で毎日重いものを運んでいるため、その力は侮れない。
九条光司が怒り心頭で立ち上がろうとした瞬間、陽向の拳が容赦なく振り下ろされた。
「俺の妹に手を出すな! 許さない!」
陽向は怒鳴った。
その騒ぎに、警備員と周囲の人たちが集まってきた。
遥菜は陽向の腕を掴んで止めた。
「陽向、もうやめよう。こんなところで騒ぎを起こしたら、九条は後で余計に厄介よ。」
九条光司が遥菜を睨みつける。
「陽向……?」
陽向は手を放し、地面に倒れた九条を指差して警告した。
「これ以上妹に近づくな。次やったら、ただじゃおかないからな。」
遥菜は陽向の手を引いてセルフレジへ向かう。九条の方には一度も振り返らない。
九条光司はようやく自分が嫉妬でみっともない行動をしたことに気づき、顔をしかめる。
「光司くん、大丈夫?」
美桜がやっと起き上がり、よろけながら彼の元へ駆け寄る。九条の口元の血を見て心配そうに手を伸ばすが、彼は顔をそむけて避けた。
「平気だ。」
低い声でそう答えながらも、視線は遥菜と陽向の後ろ姿を追っていた。たとえ相手が兄でも、こんなふうに殴られて引き下がれるか――悔しさが胸に残る。
九条は美桜を連れてレジへ向かった。
遥菜がスマホを出して会計しようとしたとき、不意に九条がブラックカードを差し出してきた。
「俺が払うよ。暮長町に戻って、苦労してるんだろ?」
九条光司は端正な顔立ちで有名だが、どこか近寄りがたい雰囲気があり、昔から「高嶺の花」と言われていた。遥菜もそんな彼に惹かれて、情熱的に追いかけた――だが、裏切られた。彼は美桜と関係を持ち、白鳥家と手を組んで遥菜を静心療養所に送り込んだ。
今の彼を見ても、遥菜はただ嫌悪感しかなかった。
陽向はすかさず妹の前に立ち、九条のブラックカードをひったくって彼の顔に叩き返した。
「汚い金なんか要らない! 二度と妹に近づくな!」
このときの陽向は、家で見せる弱々しい様子が嘘のように、妹を守る強さに満ちていた。
九条光司は冷ややかな目で陽向の色あせたショルダーバッグを見て、小馬鹿にしたように言った。
「貧乏人は見栄を張るな。俺に媚びれば、少しくらいは分けてやってもいいのに……」
パシン!
遥菜の平手打ちが九条の頬を打った。
九条光司は信じられないような顔で遥菜を見つめた。
遥菜は手を引き、氷のような声で言い放った。
「九条光司、次に余計なことを言ったら、これじゃ済まないから。消えなさい、邪魔だ。」
九条光司は暗い目で遥菜を睨みつけた。
「暮長町に戻ったら、すっかり底辺の人間になったな。」
「もういい!」
陽向が怒りのこもった目で九条を睨みつける。
「聞こえなかったのか? さっさと消えろ!」
その時、後ろで美桜がまた転んで痛そうな声を上げた。
「光司くん、ひざが痛いよ……」
彼女の泣き声が、場の空気を変えた。
九条光司は唇をきつく結び、遥菜をじっと見つめたが、彼女は表情ひとつ変えず、静かに頷いたように見えた。
「美桜、大丈夫?」
九条はわざと親しげに美桜を抱き起こす。彼は、ここまでしても遥菜の心に何の動きもないとは思えなかった。
だが、遥菜はすでに会計を終え、陽向の手を引いて、そのまま振り返ることなく店を出ていった。
九条光司は呆然と立ち尽くす。
(俺を嫌いになるはずがない……ちゃんと説明しないと……)
たくさん買い込んだ食材のほとんどは陽向が持ち、遥菜は白菜だけを抱えていた。
バスに乗り込むと、陽向がおそるおそる話しかけた。
「さっきの……」
「うん、あれは私の元カレ。私を裏切って、美桜と婚約して、あげく共に楽しい夜を過ごしたみたい。」
遥菜は淡々と答えた。
陽向は拳を握りしめて悔しそうに言った。
「許せない! もっと殴ってやればよかった!」
両親は、遥菜が白鳥家でお嬢様のように暮らしていると言っていたが、さっき彼女が九条を平手打ちしたとき、袖口から見えた腕には、痛々しい傷痕がいくつも残っていた。
「遥菜……」
陽向の声が震えた。
「その……腕の傷、どうしたの?」