最近、陽葵は毎日配信していた。
「あなたの後ろに」と名乗るファンは、配信のたびに必ず現れ、一日で三百万円もの投げ銭をしてくる。十日で三千万円、一ヶ月なら……。
陽葵は考えるのも恐ろしい。配信プラットフォームの手数料を差し引いても、自分の手元に残る額は相当なものだった。
彼女は慌てて「あなたの後ろに」にメッセージを送った。
「今まで応援してくれて本当にありがとう。でももう十分だよ。これ以上ギフトは送らなくても大丈夫。配信を観てくれるだけで私は嬉しいから」
だが「あなたの後ろに」は、またもや豪華なギフトで応じてきた。
【画面に手を伸ばせないこの無力感。お父さん、行方不明になった娘だよ。本当に私のこと覚えてないの、パパ!】
【ははっ、俺なんてさ、残高200円しかないのに、何者なんだ俺は!】
【全部、無駄な片思いだったんだな!】
――みんな冗談やネタで盛り上がっていた。
陽葵はもう何を言ったらいいのかわからない。
歌っている最中に、歌詞も間違えてしまうほどだった。
コメント欄はさらに大騒ぎ。
【証明する!うちの配信者は生歌だ!】
【投げ銭が多すぎるって思ってるでしょ、じゃあ私が代わりに受け取るよ!これ私のアカウント!@¥%¥@¥¥】
【私も混ぜて!#¥%#¥】
【参加希望】
【百人分加わる!】
ようやく配信が終わり、「あなたの後ろに」からは返事がなかった。
その頃、彼女が気づかない場所で――
男は東京の夜景を見下ろしながら、スマホ画面の中の明るい笑顔をじっと見つめていた。
女の顔を、指でそっとなぞる。陶酔と愛しさが入り混じる表情で。
昨日、彼は調べて彼女がすでに離婚し、今は自由な身だと知った。
一度彼女を失ったが、もう二度と手放すつもりはない――
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今日は、彼女にとって新しい職場の初日だ。
陽葵は早めに「エンジェルナンバー3」に到着した。
マネージャーがフロアや更衣室を案内してくれる。
その後、彼女はバンドと今夜の曲を合わせることにした。
夜が深まるにつれ、「エンジェルナンバー3」にはどんどん人が集まってくる。
「ねえ、蒼空、なんだか浮かない顔してるな」
友人たちに誘われて、灰崎蒼空は渋々飲みに出てきていた。
ここ最近、灰崎グループの事業がなぜか次々とトラブルに見舞われていた。
家では宮崎華恋が騒ぎ立て、会社も問題山積みで、蒼空はすっかり気が滅入っていた。
友人はそんな彼を飲みに誘い、気晴らしも兼ねて情報を探っていた。
「会社、大変らしいな」
東京の上流社会は、噂がすぐに広まる。
灰崎グループのトラブルも当然知れ渡っていた。
今日の飲み会は、蒼空を慰めるふりをしつつ、内情を探るのが目的だった。
「誰かに狙われてるんじゃないか?」
皆が勝手な憶測をしていた。
蒼空はその意図を見抜き、にこやかに答える。
「業務の波だよ。全部コントロールできてる」
他の連中がどこまで信じているかは分からない。
さらに、もう一つ話題が持ち上がる。
「それにしても、離婚したって聞いたぞ?」
蒼空が結婚していた平凡な家柄の女性のことは、皆知っていた。
突然の離婚の知らせに、皆は驚きながらも納得していた。
彼らは名家の出で、家柄を何よりも重視する。蒼空の元妻には家も後ろ盾もなく、運よく瀕死の蒼空を助けたことで、ずっと彼のそばにいただけだった。
蒼空自身も、元妻には多少の恩は感じつつも、今の自分の立場ではもう不要だと思っていた。離婚は正しい選択だと、友人たちは祝福していた。
だが、蒼空はどこか浮かない顔をしていた。
「まさか、あの女に未練でもあるのか?」
陽葵のことを好きかって? 冗談じゃない。
彼女があんなにも冷たく自分に別れを告げ、ケイル夫妻の前で自分を辱めたことが許せないだけだ。
勝手に態度を変える女なんて、好きになるわけがない!
そのとき、不二子がゆっくりとステージに現れる。彼女が登場すると、店内は一気に静まり返る。どれだけ彼女を見慣れていても、その美しさには誰もが息をのむ。
不二子は簡潔に告げる。
「今夜は新しいシンガーが来てくれています。皆さん、桔梗を歓迎してあげてください」
陽葵が選んだ名前は「桔梗」。
桔梗の花と言葉――「永遠に忘れない愛」が好きだからだ。
賑やかなバンド演奏の中、彼女は黒い光沢のあるセットアップに、黒い模様入りの仮面をつけ、星のように輝く瞳と鮮やかな赤い唇でステージに飛び乗った。
ウェーブのかかった長い髪が、躍動的に揺れる。
「準備はいい?みんな、行くよ!」
ステージで跳ねながら、何度も客席を煽る。
彼女はステージのスーパースターであり、女王だった。
熱いメロディと、セクシーでハスキーな歌声が「エンジェルナンバー3」に最初のクライマックスをもたらす。
蒼空は突然立ち上がり、ステージで踊る彼女を信じられないように見つめた。
どうして彼女がここに? そんなはずはない!
「どうした、蒼空?」
松下家の御曹司が、不思議そうに聞く。
蒼空は状況を飲み込めず、まさかここで陽葵に会うとは思いもしなかった。
彼女は一体何をしているんだ。
あんな格好で、ステージで男たちの前で踊るなんて!
怒りでグラスを飲み干し、テーブルに叩きつけると、そのままステージへ突き進む。
こんな場所で彼女が男たちに見せびらかすなんて、絶対に許さない!
「どけ、どけ!」と、ステージ前で彼女をいやらしく見ている男たちを押しのける。
片手でステージに跳び乗ると、音楽がピタリと止まった。
陽葵も驚く。まさかここで蒼空に会うとは――本当に腐れ縁だ。
陽葵は腕を組み、冷ややかに蒼空を見据える。
「ここで何してるんだ」
あら、ちゃんと私だと分かったの?
それは予想外だった。
以前、蒼空と一緒にいた頃は、いつも清楚で大人しい服装だった。
こんな大胆な格好も、濃いメイクも初めて。それに仮面までしているのに。
それでも彼は見抜いたのだ。
もうバレたのなら、陽葵も隠すつもりはなかった。
「見ての通り、歌ってるのよ」
歌? こんな短いスカートで、派手な服装と濃いメイクで、あんな風に踊って――
「恥というものはないのか!」と彼は怒鳴る。
陽葵も怒りを隠せない。
不二子がゆっくりとステージに上がり、二人の間に割って入る。
不二子は蒼空のことをよく知っていた。
彼は「エンジェルナンバー3」の常連客だったからだ。
「灰崎様、うちの桔梗が何か失礼をしたのでしょうか?」
不二子は陽葵を守るように彼女の前に立つ。
「関係ない、どいてくれ!」
陽葵は、ここで騒ぎを大きくしたくなかった。
もううんざりだった。彼女はすぐに踵を返し、裏方へと早足で向かった。
蒼空は逃がすはずもなく、そのまま裏方まで追いかけてきた。
陽葵は仮面を外し、メイクを落としている最中、彼に腕を掴まれる。
「放して!」
陽葵は全身で拒絶する。
彼を拒む。
彼女がステージで楽しそうに踊り、多くの男たちに見られているのは平気なのに、彼が少しでも触れれば、これほど嫌悪する。
「出ていけ!全員、今すぐ出ていけ!」