「俺が女だったら、成宮には惹かれるよ。うちの店の女の子たちだって、成宮を見たらみんな目が輝いちゃう。ここに来るマダムやセレブたちだって、みんな成宮の顔目当てでしょ!」
「でも、成宮さんはいつも店にいるわけじゃないんだよな。もし毎日出てたら、うちの店、絶対一番のクラブになれるのに!」
「でもさ、あの子、酒すごく強いんだよ。成宮と一緒にカクテル作ってても、一晩で何杯も飲んでも全然酔わないし。」
そんな話で盛り上がっているのに、誰も陽葵がいつの間にか近くに来ていたことに気づかなかった。
陽葵は話に出てきた成宮という名前に耳を傾ける。どうやらバーテンダーらしい。604号室の成宮さんと同じ苗字だな、と考える。
新しく越してきた隣人のことを思い出し、成宮という名字に彼の上品で優しい雰囲気が重なる気がして、なんとなく納得する。
そのとき、後ろからハイヒールが大理石を叩く、軽快な音が響いた。
不二子さんがやって来た。
「不二子さん!」
「不二子さん!」
不二子はみんなを一瞥して言う。
「今月の給料、いらないってこと?」
一瞬でみんな散り散りになり、それぞれの持ち場に戻っていった。
陽葵も控室へ向かう。
薄暗くて長い廊下を抜けると、前方に控室の扉が見える。
ふと足を止める。扉の前に、見慣れない女性が立っていた。
ピンクのワンピースに、ピンクの帽子、ピンクのエルメスのバッグ、ピンクのハイヒール。頭の先から足元までピンクづくし。
その女性は扉の前で拳を握りしめて自分に気合を入れていた。
「雅子、頑張れ!」
勢いよく扉を押し開け、堂々と中に入っていった。
陽葵はびっくりしてしまう。
この子、意外と力持ちなんだ……。
盗み聞きするつもりはなかったが、距離が近すぎて、扉がバンと開いたまま会話が耳に入ってくる。
「雅子」と、低く優しい男の声がする。
どこかで聞いたことのあるような声に、陽葵は思わず耳を澄ます。
「もう帰りなさい。ここにいなくていいよ。」
「嫌だ、どこに行くにも一緒がいいの!」
雅子と呼ばれたその女性はどこか幼く、我の強い声で返す。
「安室さん。」
今度は少し距離を感じる声で、彼女の苗字を呼んだ。
陽葵はその声の主の姿を想像し始める。
歌手であるせいか、陽葵は声にとても敏感だった。
特に成宮さんのような、低くて柔らかい声が好きだ。
今のこの声もきっと、成宮さんのように、優雅で紳士的な男性なのだろう。
「迎えの人を呼んだ、あの話はもうやめにしよう。」
「私、何か悪いことしたの?」
雅子は泣きそうな声になる。
「お酒が強すぎるのがいけなかった?じゃあ、もう飲まないから、成宮さん、怒らないで!」
成宮?
同僚たちが噂していた、あのカリスマバーテンダーの成宮さんが、まさにこの部屋にいるのだろう。
本当に奇遇だな、と陽葵は心の中で思う。
「もう迎えが来てるから、帰りなさい。」
きっぱりとした口調だが、決して相手を傷つけない、品のある優しさを感じる。
成宮さんはやはり、紳士なんだな。でも、どうしても隣の成宮さんと重なってしまう……。
「嫌だもん!パパとママに、成宮お兄ちゃんについて行けって言われてるんだから、絶対離れない!」
「結婚するつもりはない。ちゃんと聞いて。」
淡々とした声音で、感情は読み取れない。
「絶対帰らない。誰かに送られても、また戻ってくるから!」
成宮嵐は静かに雅子を見つめていた。
ほどなくして、二人の男性が入ってきて成宮嵐に一礼し、雅子の両脇を抱えて連れ出そうとする。
そのうちの一人は、雅子の顔をそっと手で隠す。
雅子は驚いて、廊下にいた陽葵にしがみついた。
陽葵も驚いてしまう。
ここまで必死になるとは、安室さんもなかなかだし、成宮さんの人気は本物だな。
でも、巻き込むのはやめてほしい……。
雅子は陽葵の腕にしがみつき、足まで絡めてまるでコアラのよう。連れて行かれるなら、一緒に、という勢いだ。
護衛の二人は申し訳なさそうに陽葵を見て、すばやく手刀で雅子を気絶させ、彼女を担いで連れて行った。
陽葵は自分の服を整えながら、昔から美男美女には人を惑わす力があるんだなあと、しみじみ思う。
そんなこんなで、気づけばもうすぐ出番だ。急いで準備をしようと控室へ向かおうとしたとき、ふと目の前に男性が寄りかかって、微笑んでいるのが見えた。
成宮嵐だった。
陽葵は、なぜか全然驚かなかった。
あの優しくて、上品で、気品漂う成宮さんは、やっぱり唯一無二だ。
「また会いましたね、一条さん。」
「またお会いしました、成宮さん。」
今日の成宮嵐は、黒いサテンシャツに身を包み、襟元のボタンを二つ外していて、鎖骨がちらりと見える。
シャツの片側だけジーンズに入れて、もう片方はラフに垂らしている。
普通の人ならだらしなく見える着こなしも、成宮嵐が着るとどこか優雅で余裕がある。
彼の持つ気品は、どんなものにも染まらず、自然に溢れ出る。
二人は顔を見合わせて、ふっと微笑み合った。
陽葵が着替えて席に戻り、鏡台の前でメイクをしていると、ふと手元が温かくなった。
見ると、優しい香りのホットティーが差し出されていた。
「これ、どうぞ。飲んだら少し楽になるはずです。」
カップを手にしながら、陽葵は思わずにっこりする。
「成宮さんって、本当に優しい方ですね。」
生理のことをわざわざ言わずに、そっとお茶を差し出してくれる心遣いが、女の子のプライドを守ってくれる。
そんな気遣いが、嬉しくて安心できる。
「気に入ってもらえてよかった。」
成宮嵐は穏やかに微笑んで、
「温かいうちに飲んでくださいね。僕はそろそろ行きます。また後で。」
「はい、また後で。」
陽葵は首をかしげながら、まるで恋人同士みたいだな、とふと思ってしまう。
……考えすぎだよ、陽葵!
成宮嵐が出て行くと、周りの同僚たちが陽葵の肩を突きながら寄ってきた。
「正直に言いなよ、二人ってどういう関係?ねえ?」
「私、ここで二年働いてるけど、成宮さんが誰かにあんなに優しいところ、初めて見たよ!」
みんな同世代だからか、気軽に話しかけてくれて、陽葵が新入りでもすぐに打ち解けられた。
陽葵は照れながら答える。
「みんな、考えすぎだよ。ただのご近所さんだから。」
「へえ、昼間はご近所さんで、夜は……」
「ベッドの上の仲?」
陽葵の顔は真っ赤。
「もう、やめてよ!」
「おっと、一条さん、顔真っ赤だよ~」
みんなは成宮嵐の真似をして「一条さん」と呼ぶので、陽葵はますます恥ずかしくなって、そのまま慌ててステージに向かった。