「……!」
慶太は激しく怒りをあらわにし、顔を真っ赤にした。
千雪の言葉は、まるで彼を公然と批判するかのようだった。
彼はこの娘をずっと疎ましく思っていた。自分の血を引きながら「水原」という姓を名乗っている——それは自分が婿養子であることを世間に知らしめる烙印のようなものだった。子どもに自分の姓を名乗らせることさえできなかったのだ。そのうえ、千雪の反抗的な態度はますます彼の目障りだった。
他の役員たちも顔色を曇らせていた。千雪の言葉には、彼らも批判されているような含みがあったからだ。
慶太は怒りを抑え、書類を広げて言った。
「本日の会議は二点。ひとつ目は、取締役会の決定により、美穂がアパレルデザイン部長に就任すること。」
「ふたつ目は、来月の新作ファッションショーを藤原部長が全面的に担当することだ。」
千雪は勢いよく立ち上がった。
「どういうことですか!」
デザイン部長のポジションはずっと彼女のものだった。来週のファッションショーも、彼女が心血を注いで準備してきた仕事だ。それを美穂が横取りするなんて!
慶太は強い口調で言い切った。
「これは取締役会の決定だ。異議があるのか?」
千雪は鋭い視線で返す。
「それは本当に取締役会の決定ですか? それとも社長、あなたの独断ですか? デザイン部長は実力で選ぶべきです! 美穂にはその資格があるとでも?」
「美穂はパリの一流デザイン学院で修士号を取り、ミラノ国際デザイン賞も何度も受賞している。経歴として申し分ない。」
慶太は断言した。
美穂は口元に挑発的な笑みを浮かべ、千雪を見下ろした。
千雪は大きく息をつき、会議テーブルを見渡した。
「斎藤さん、どうお考えですか?」
斎藤は彼女の視線を避けた。
「取締役会の決議に異議はありません。」
「渡辺さんは?」千雪がさらに問う。
渡辺はあからさまに不快そうな顔で言った。
「部長の座は実力ある者が就くもの。藤原さんは優秀で当然だ。コネや情に頼らず、会社は公正に運営されるべきだ。」
——コネで昇進したのはいったい誰だと思ってるの!
千雪は冷たい目で一人ひとりを見渡した。彼らの目には、逃避、傍観、嘲笑、そして他人の不幸を喜ぶ色しかない。誰一人、味方はいなかった。
……理解した。
千雪は無表情で席に戻った。
会議が終わり、慶太は美穂に声をかけた。
「藤原部長、執務室に来てくれ。ファッションショーの件、詳しく話そう。」
「はい。」
美穂は立ち上がり、千雪のそばを通るとき、わざと声をひそめて言った。
「千雪、ごめんね。私も部長の座を奪いたくてやったわけじゃないの。お父様がどうしてもって言うから仕方なくて……。それと、悪いけど、早めに“私の”部長室から荷物を出してくれる?」
「私の」という言葉を強調し、得意げな様子でその場を去った。
千雪は無表情のまま自分の執務室に戻り、あまねに荷物をまとめるよう指示した。
あまねは目に涙を浮かべて憤る。
「社長、ひどすぎます! 千雪さんもお父様の娘なのに、どうしてあの隠し子に部長の座を…!」目をこすりながら、「斎藤さんも渡辺さんも、味方してくれなかったんですか?」
「ええ、むしろ積極的に支持してたわ。」
千雪は淡々と答える。
あまねは怒りを隠せない。
「啓介さんがいらした時は、みんなあんなに良くしてもらってたのに! 今は手の平を返して……千雪さん、かわいそうです!」
「これから、どうするんですか?」
「諦める。」
あまねは絶句した。
渋々箱を取り出し、鼻をすすりながら荷物を詰める。高価な置物を手に取って言った。
「千雪さん、これ全部啓介さんのコレクションですよ? あの隠し子に渡すなんて……!」
「書類だけでいいわ。」
千雪はきっぱり言う。「大丈夫、半月もすれば戻ってくる。何度も引っ越すのは面倒だから。」
あまねは驚いて目を輝かせた。
「千雪さん、部長の座を取り戻す方法があるんですか?」
千雪は紅い唇をわずかに上げ、鮮やかな表情に不敵な余裕が漂う。
「覚えておいて。ひとつ、『人生万事塞翁が馬』。
ふたつ、『トラブルを解決したければ、自分の問題をみんなの問題にすればいい』。」
あまねは目をぱちぱちさせる。
「すみません……もう少し分かりやすく言ってもらえませんか?」
千雪は指先であまねの額を軽くはじいた。
「まだまだ、学ぶことはたくさんあるわよ。」
あまねは額を押さえながら内心で「私はストレート、イケメンが好き!」と三度唱え、危うく女の上司に心を奪われそうになる自分を必死に抑えた。
二人は書類箱を抱えて、一般デザイナーたちの大部屋へ。
一瞬にして、その場の視線が集まり、ざわざわとした声が広がる。
「本当に追い出されたの? 部長室から?」
「ふん、いつも偉そうにしてたくせに、自業自得よ。」
「水原家のお嬢様でも、私たちと同じオフィスに入るしかないんだね。どっちが偉いのやら。」
「新しい部長は社長の隠し子だって?」
「何言ってんの? あれは社長が一番可愛がってる娘さんだよ。藤原家の本当のお嬢様! いずれ会社もあの人のものになるさ……」
あまねは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「いい加減にして! 千雪さんは今までみんなに優しかったのに、今さら足を引っ張るなんて……!」
すぐに反論が飛ぶ。
「事実を言ってるだけでしょ? 本当のことも言えないの?」
「そうよ、まだ自分がお嬢様気分なの? そのしかめっ面は誰に見せてるの?」
「千雪に媚びるのが好きなら勝手にすれば? こっちはそういう趣味ないから!」
「あんたたち……!」
あまねは涙をこらえていた。ついこの前まで千雪に媚びていたのに、今は手の平を返して……。
「あまね。」
千雪は顎をしゃくって合図する。「荷物まとめて。」
——こんな日和見主義者たちに、付き合うだけ無駄。
社長室。
慶太は満足そうに美穂を見つめる。
「美穂、来月のショーは最重要だ。全力で頼むぞ。……それと、東京の森川財閥の御曹司が来る可能性がある。」
美穂は驚く。
「東京の森川家の御曹司が……?」
「ああ。」慶太は声を落とす。「森川夫人の専属デザイナーが解雇されて、今新しい人材を探しているらしい。もし目に留まれば、森川家と繋がれる。東京市場への進出は夢じゃない。」
東京——それは世界の金融の中心地。ここ神奈川とは比べものにならない場所だ。
美穂は息をのむが、すぐに不安を口にする。
「でも森川家の御曹司ほどの方が、神奈川みたいな地方に興味を持つんでしょうか……?」
「確かな情報だ。」
慶太の目が鋭く光る。
「その御曹司は今、神奈川にいる。しかも……神奈川大学の学生だ。」